操り人形
教授のつまらない話を聞いていると、いつのまにか講義は終わっていた。
今日の時間割は終わり。特に大学に予定もないので帰るとしよう。
ほぼ開いてない教材をリュックに入れ、教室を出た。
〜〜〜〜〜〜〜〜
帰宅途中、好きな漫画の新刊が発売されていることを思い出して近所の本屋に寄った。
そこそこ大きいこの本屋は、漫画コーナーまで歩くのに結構時間がかかる。でも逆に、いつもとは違うルートで漫画コーナーに行ったりすると、小説などの他の本が見れたりしてなんだか楽しいので嫌いではない。
参考書コーナーは頭が痛くなるのでまず通らないが。
ぶらぶら本屋を歩き回っていると、雑誌コーナーを見つけた。ファッション雑誌なんて俺とは縁がないので飛ばして陳列棚に目を通していると、1つの雑誌を俺の視線が捉えた。
バイトの求人雑誌だ。
表紙は緑の背景に白い豚のキャラクターがせっせと荷物を運んでいるイラストが書かれている。
そういえば1ヶ月前くらいに怜ちゃんがバイトをしたい、と言っていた。
結局応募したのだろうか?
取り敢えず面接すれば、彼女の容姿とハキハキと喋る姿で即採用だとは思うが。
パラパラと適当に雑誌をめくってみる。
流石にずっと親戚の脛をかじって生きていくわけにもいかない。将来ちゃんと就職して働くために、経験としてバイトはやっておいたほうがいいだろう。
何がいいかな?居酒屋とか?あれはウェイ系の集まりだ。俺には無理だろう。
じゃあコンビニ?仕事量が多いらしい。嫌だな。
カフェ?あそこは全体的にお洒落で俺には不釣り合いだ。というか、まず飲み物のサイズを覚えられる気がしない。
本屋?
……そうだ。本屋だ。本屋はいいかもしれない。静かだし、本も沢山読めるし(多分)それに何より、俺はこの本屋独特の匂いというのが好きだ。決まりだ。俺は本屋に応募しよう。
もちろん家に帰ったらな。いや、今日は大学のレポートをやるんだった。無理だな。明日応募しよう。いや明日は新作ゲームの発売日か。クリアするまでに少しかかるな。また今度に——
結局俺は、雑誌を閉じて陳列棚に戻した。
……つまるところ、長年自分の意思を誰にも伝えなかった挙句、メンタルが弱い俺のような人間は、いきなりバイトを始めようと思ったって無理なのだ。
まず応募する決心がつかない。
本屋の中で1人暗い気持ちになっていると、聞き覚えのある声がした。
「津崎くん?」
振り返ってみるとそこには怜ちゃんがいた。
「何してんの?……求人雑誌?」
「へっ?あ、うん!世の中の学生はどのような仕事に勤しんでるのかふと気になってね!」
マズイ。もしかしたら今までバイトせずに親戚の脛をかじって生きていたことがバレてしまうかもしれない。
そしたら俺は怜ちゃんに見下されるだろう。ナメられるだろう。
それは嫌だ。俺は大学生なのだ。彼女より年上なのだ。今まで情けないところを沢山見せているのに、これ以上カッコ悪いところを見せたら見放されてしまうのではないか?
あら津崎くん、あなた大学生なのにバイトもしないでだらだらと、人のお金を使って生活していたダメ人間だったのね?
ち、ちがう!いや違くはないが、これからやるつもりだったんだ!そう!これからこの求人雑誌を勢いよく、それはもう破るくらいの勢いで開き、バイトに応募して、日本社会に貢献しようと思ったんだ!
それを怜ちゃん、君が邪魔したんだぞ!
これからやるつもりだった?そんなはずないわ。
どうせパラパラめくって、多種多様な理由をつけて、自分には無理だと結局雑誌を棚に戻して帰るつもりだったんでしょう?あなたって本当にクズ人間ね。
う、うるさい!大体、一人暮らししてる学生なら誰だってお金をくれる誰かの脛をかじるもんさ!バイト代だけでやってけるか!
あらあら津崎くん、健全な大学生は生活費全てをバイト代だけで補うとまでは行かなくても、ちゃんと自分でお金を稼いで、親の負担を減らすものよ?
それなのに、自分は悪くないって正当化して……。もう金輪際近寄らないで。ダメゴミクズ人間菌が移るわ。
ま、待ってくれ怜ちゃん!俺が悪かった!
俺は本当にダメゴミクズ人間なんだ!だから君に見放されたら、もう誰からも必要とされなくなって、存在意義が——
「……津崎くん?何してるの?」
「やっ、やぁ怜ちゃん!今日もいい天気だね!そう思わないかい!?」
「さっき挨拶したじゃん……」
俺が脳内で怜ちゃんと俺との口論(俺が押されぎみ)を身振り手振りをつけながら演じているところを、怜ちゃんが現実に引き戻してくれた。
「あっ、そうそう求人といえばね、私前にバイト始めるって言ったじゃん?ちょうどその次の日にね、バイト募集してたから面接行ってきた!」
怜ちゃんは気を使ってくれたのか興味がないのか、俺がバイトしてないことを疑ってはこなかった。
それよりも、自分が始めたバイトのことを話したくてたまらないらしい。
「それでねそれでね、あそこの居酒屋なんだけど、給料が結構高くてさー、この前初任給で服買った!」
「へぇ、楽しそうじゃん、よかったな」
俺は適当に相槌を打つ。
「うん!あとはバイト仲間の里美ちゃんと仲良くなったり——」
どうやら初バイトはかなり順調らしい。
まず応募もできない俺とは大違いだ。
俺もそろそろバイトしなきゃな、と一応は思っているので、アルバイトとはどんな感じなのかを聞いてみた。
「それで、ブラックだったりしないの?給料……は高いんだっけ、勤務時間が長いとか、休憩が無いとか、店長とか正社員がセクハラパワハラしてきたりとかさ」
バイトのことを聞こうと思って最初に聞いた質問がブラックなのかどうか、というのは自分でも悲観的だなぁと思いながら、怜ちゃんの返事を待つ。
しかし、返事はいくら待っても来なかった。
時間が勿体無いので俺から返事を促してみることにした。
「……怜ちゃん?」
「……え、あ、ごめん。私ぼーっとしてたね。疲れてるのかな。はは……」
その笑いは乾いていた。
笑顔は作り笑いだった。
「……バイト、本当は上手くいってないのか?」
ブラック企業なのかハラスメントを受けているのかという質問をしたら途端に黙ったので、もしかしたらそうなのではないかと思って聞いてみる。
再び怜ちゃんは沈黙し、俺の質問には応えてくれなかった。
その代わりに、一言残して本屋を去る。
「……バイト先、来てね。絶対。時間の空いた時でいいからさ、料理美味しいし、もしかしたら多少値下げとかしてあげられるかもだしさ」
言葉を言い切る直前までは笑っていた。作り笑いだったが。
本屋を出ようと俺に背を向けた彼女の表情はもちろん分からなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜
居酒屋に一緒に行く友達も、1人で行く機会も勇気もないので、結局怜ちゃんのバイト先には行けないまま、暦は10月。季節は秋に。
外は肌寒い。
大学に出かけると、周りのいちゃいちゃしている学生共が目に映る。
自分がぼっちであることを思い知らされるのと同時に冷たい風が身に染みるので、大学生として初めての秋という季節は「ダブルパンチ」という印象になった。
……いや、考えてみるといま自分はぼっちではないではないか。
美少女女子高生、河合怜ちゃんがいるじゃないか。
俺は少し気分が軽くなる。
しかし、彼女との関係は全く健全なものではなく、血生臭いクレイジーな関係であったことを思い出し、結局気分は沈んだ。
そして今日はその少女、河合怜ちゃんとの定期殺害日だ。
定期殺害日というのは俺が勝手につけた名前で、怜ちゃんと俺の家に集合し、俺が彼女の実験——彼女を「他殺」することを手伝う日だ。
そして肝心の実験結果についてだが、……実のところ、俺はまだ怜ちゃんを殺せないでいた。9月同様、多種多様な理由をつけて実験から逃げていた。
だからだろうか、この奇妙な関係が築かれた当初は毎日あった定期殺害日も、今では週に3回程に減ってしまった。
しかし、これは俺にとって面倒ごとが減ったという良い結果なのだ。
普通の人ならそう思うのだろうか?
でも俺は、少し寂しいと感じていた。
〜〜〜〜〜〜
ピンポーンといういつもと変わらないチャイムが鳴り、俺はカーテンを閉めてから来客に応じる。
「おじゃましま!」
「言い切りなさい」
予定通り、夜8時に怜ちゃんは家に来た。
いつも夜8時〜10時くらいまでいるので、「家族は心配しないのか」と聞いたところ、バイトを入れてると伝えてるらしいことが分かった。
いつものように、実験レポートを広げ、今日はどんな死に方をするのがいいのか、などという物騒な話を繰り広げる。
レポートをガサガサ見ると、最新のレポートはNo.109となっていた。
俺は彼女を殺せないでいるので、その全てが自殺である。
最近は怜ちゃんも俺にナイフを持たせるのは無意味だと悟ったのか、俺に殺しを強要してくることはせず、実験や不死身の能力について考察したり、適当な話し相手になるのが俺の役目となっていた。
その役目を果たすため、何かを話そうとしたら先に怜ちゃんが話しかけてきた。
「私明日ね、学校の校外学習?で、医学系の研究室行くんだ」
「へぇ、理系だったんだ?医学系って具体的にどんな?」
「わかんない。友達が行くところ適当にマークしただけだから」
「怜ちゃん……将来に関わることなんだからもうちょっと真剣に考えてもいいんじゃないの」
と、あまり人生上手くいってない俺が言っても説得力は皆無かもしれないが。
「いや、でもね、一応理由それだけじゃないんだ」
どんな理由なのだろうか、少し気になった。
彼女がどんな学問に興味を持ち、どんな人生を歩むのか。
なんとなく、なぜ彼女のことが気になるのかを考えて、これは恋じゃないかという結果が出た。
しばらくして、これは違う。俺は女性に耐性がないから誰でも惚れそうになるだけで、心の底から恋愛感情を抱いているのではないのだと、結論づける。
なぜなら俺のタイプは女子高生ではなく、年上のお姉さんだからな。
自己完結して、彼女に問う。
「他の理由って?」
怜ちゃんは少し思案する。
何か言いにくいことなのだろうか。
しばらくして、彼女は口を開いた。
「そこの研究室、今は死んだお父さんが使ってたらしいんだ。……だから、気になって」
俺は何も言えなかった。
他人の家族の死というのはそれなりにデリケートな話題であり、こういう時何を言っていいのかわからない。
沈黙が気まずかったのか、怜ちゃんが口を開く。
「あはは、そんな神妙な顔しなくていいよ。大分昔のことだし。私が小学生になるかならないかの頃。もうあんまり覚えてない」
こういう雰囲気になりそうだから言うの迷ったんだよね、と笑って彼女は付け足した。
「……それと」
怜ちゃんはまだこのことについて話す様子だった。俺は彼女の言葉をじっと待つ。
「泣いちゃう、かも、しれないから……い、言うの迷ったっていうか……」
怜ちゃんは俯いていて表情はよく分からなかったが、声が震えていたし、ポト、ポトと涙が落ちる音がしたので、泣いてるであろうことがわかった。
弁解するように怜ちゃんが話す。
「ち、違うの。お父さんが死んだのが悲しいとか、そういうのじゃないの」
ごめんね、ここからは愚痴になっちゃうけど。そう前置きしてから話を続ける。
「私の親さ、どっちも頭良くて。お父さんはさっき言ったように医学の研究とかしてた人だし、お母さんも医療系の道に行こうとしてたみたい」
正直、声が振るえていて聞き取りにくかったけど、それでも聞いた。
「お父さん、仕事で忙しかったからさ、大体お母さんと一緒にいたんだ。お母さんといる時は大体、勉強してた」
俺は両親が生きていた頃、中高のころ、かなり勉強させられた。
「勉強は全部理系。お母さんってギリギリ医者になれなかったらしくてさ、あの頃は意味もわからず言われたことをやってたけど、今思えば多分、自分が叶えられなかった夢を娘に叶えさせたかったんだと思う」
俺の親は言っていた。
『ちゃんと勉強すれば、俺達みたいに良い大学行けるからな。父さん達は、その後なんの功績も残さずに普通に生きてきたけど、お前
はちゃんと立派な人間になるんだぞ』
そう言われたから、やりたくもない勉強をやっていた。
「……それでまあ、今もお母さんの勉強しろっていうスタンスは変わってなくて、私もそれにずっと逆らえないまま」
俺もあの頃、逆らえなかった。
「なんかそんな自分が情けなくて……ちょっと、泣いちゃった。ごめん」
最後に暗い雰囲気をごまかすように彼女は笑った。
……怜ちゃんも、操り人形だったのだ。
自分の意思はちゃんとあるのに、間違ってると思うことに逆らえない人間だったのだ。
彼女も、俺と同じ人種だったのだ。
「あ、もう10時じゃん。私帰るね。それじゃ」
パタン、と扉が閉まる音がして怜ちゃんが帰ったことに気づくと、部屋はなんだか広く感じた。
自殺少女 @yuhawa-ugase
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