第8話 世界統一暦の夢

 暦の話をしようと思う。


 ここまでの話を読んできた人の中には、こんな面倒で多様な暦を一掃し、世界で統一された暦を使いたい!と思う方もおられるのではないか。度量衡の単位は世界でほぼ統一されつつあるのだから、暦だって統一してもいいじゃないか、と。


 だがちょっと待って欲しい。


 既に何度も書いてきたが、暦とは政治や宗教と密接な関係がある。例えば、グレゴリオ暦は近代社会の発展を牽引した西欧諸国と共に世界に普及した、恐らく最も広汎に使われている暦であるが、だからといってグレゴリオ暦を世界統一暦にしようとすれば宗教戦争に発展しかねない。他の暦だって同じだ。政治的・宗教的に中立な暦など、作ることができるのだろうか? それこそフランス革命暦などは宗教的には中立だったが、一般には浸透しなかった。

 そもそも、今どの暦を使っているか、が既に政治的・宗教的な問題なのである。その上、暦は原理的にどうしても政治性が混入する。よしんば政治的・宗教的に中立な暦というものを作ることができたとして、その「世界統一暦」を使わせようと思えば、やはりそれは政治的・宗教的に敏感な問題とならざるを得ない。

 SF作品などで未来世界に「宇宙暦」だとか「統一暦」といったものが至極当たり前の顏をして登場することがあるが、私のような人間としては、作品世界における暦法統一までの間に流されたであろう血の量を想像すると戦慄を禁じ得ない。


 ちなみに、1950年代に「世界暦」なる暦の採用を国連に迫ったエリザベス・アケリスなる米国人が過去に存在するのだが、幸いにもこの運動は既に終焉している。


 あるいは、誰もが自分が信奉する暦を自由に使えるような社会が望ましいのかも知れないが、そのような社会が本当に幸福なのか、私には確信が持てない。計量単位の如く、常に日付には暦法を書き入れ、誰もが自在に暦を相互変換する社会。

 確かに理想社会なのかもしれない。しかしそれは社会に大変な負担を要求する気がしてならない。そもそも、暦の変換が問題なく出来る人など、世の中にどれほどいるというのか。


 統一できれば便利だが、統一するには反発をどうにかしなければならない。げに、暦とは面倒なものである。

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