第9話 辛酉の年の春正月庚辰の朔

 暦の話をしようと思う。


 もう面倒臭すぎて聞くのも嫌になっている方もいると思うが、事程斯様に暦というものは複雑極まりない。

 高校の歴史の教科書くらいなら「元禄十五年(1702年)」と書いてあっても誰もツッコまないだろうが、これが大学の歴史学くらいになるとさあ大変、なのである。そもそも一次資料の古文献に直接当たるようになれば、その文献がいつ書かれたものか、確定する必要が出てくる。幸いにも日付が書いてあったとして、それが果たして暦学的に何時のことなのか、確定させろと言われたらどうしたら良いのか。


 特に日本(や中国)で過去に使われていた太陰太陽暦は不規則性が高く、人間の恣意作為が入り込んでいるため、単純に暦法計算で過去に遡っても実際の暦が計算通りではないことがある。このため、暦学だけではなく文献史学等から「実際に当時使われた暦に基づいた過去の暦」を確認する必要があり、これ過去に遡ってまとめたものを「長暦ちょうれき」という。

 日本では江戸時代から様々な長暦が作られてきたが、現在専ら参照されるのは内田正男「日本暦日原典(第4版)」(雄山閣出版, 1992年)だろう。B5版ハードカバーで厚みが5センチ以上ある大判本であるが、開くと中は允恭三十四年(ユリウス暦445年)以降、ひたすら和暦と干支、ユリウス暦・グレゴリオ暦との対照表である。それが約五百ページにわたり、延々と続く。計算と史料が食い違う年も、暦を編んだ人の間違いとか、四大を避けたとか、説明が付されている。

 昔は本当にこのような対照表を参照するしかなかったのだが、近年は総合地球環境学研究所のHuTimeなど、インターネット上に暦の変換サービスが複数あり、大変便利になった。


 さて、普段見ることはないであろうこの「長暦」であるが、実は私たちの現代日本社会に一つの影響を与えている。

 日本において初めて本格的な長暦を編纂したのは小説「天地明察」(冲方丁, KADOKAWA, 2009)で知られる渋川春海だが、彼は日本の暦を遡っていった結果、日本書紀にある神武天皇の即位した年(「かのととりの年の春正月かのえたつついたち」)を、キリスト教紀元で紀元前660年であると判定した。

 現在「皇紀」と呼ばれるアレである。

 さらに先発グレゴリオ暦(グレゴリオ暦を1582年の施行前に遡って適用する暦法)によればその日(元旦)は2月11日であると算定される。もちろん、典拠の信頼性や計算方法の妥当性の問題は横に置いて、とにかく日本書紀に書かれた通りに計算すると、以上のようになる。

 2月11日、すなわち建国記念の日である。


 根拠がよくわからないなど言われる建国記念日ではあるが、一応計算に基づいてはいるのである。

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