第57話 洞窟の独演会②
みんなそれまで立っていたけれど、タマミが現れて、なんとなくタマミを囲む格好になる。
タマミとシロタさんを、三人は見下ろしていたが、「わたくしもちょっと腰を落ち着けますかな」と、多古田さんが座り込んだのを合図に、皆、思い思いの場所を見つけ一息ついた。
「──この辺りには隠れキリシタンの文化が今も息づいている。僕の家もそうだった。そのことは以前話した通りだ」
皆が腰を落ち着けたところで、岬青年がようやく話し始める。
「わたしは…初耳なんだけど、…大丈夫。続けてください」
シロタさんが「どうぞ」と手を差しだす。
「キリシタンはその歴史からして、秘かに受け継がなければならなかった。信仰の自由がある現代なら、キリシタンのいる地域に新しい移住者がいれば布教してもいいくらいだけど、江戸時代は違った。潜伏している彼らの、新しい人間に対する警戒は相当なものだった。もし、キリシタンであることを幕府に密告されてしまったら自分だけでなく地域のキリシタンみんなが犠牲になるかもしれない。だから、どこの誰が、いつから、どこに住むかということは非常に重要なことだった。もちろん、今はもう隠れて信仰する必要はない。誰に知られても構わない。でも、『土地の持つ気配』は簡単にはなくならない。このあいだ、額縁市を案内したとき、額屋の主人が、二玖さんがどこの家の何者か、妙に問題にしていたよね。あれは、この土地の名残なんだ。事実、額屋の主人はあれから、君の家の先祖がどういう経緯でこの土地に移り住んだのかを、話題にしたよ。君の方がよく知っているはずのことだ。でも、ここでは周囲の住人の方がその情報を大事に受け継いでいる。秘密を持つ者の宿命だろう」
「命を懸けてでも守るべき秘密がある人は、周りを塀で囲うんですね」
二玖は自分の家、元宿坊を取り囲む高く長い塀を思った。
「そして、塀の内側から、塀の外側の人間を把握して、自分たちを守る」
多古田さんはそう付け足し、うなずく。
「わたしの先祖は、その、塀の外側の人間ということですね。元々塀の外側の人間だったのに、塀の内側に暮らすようになった」
二玖の言葉に岬青年はうなずき、続ける。
「さかのぼって明治の半ば、君のおじいちゃんのお父さん、大日本帝国海軍の将校、霧野林蔵氏。彼がまず、訳あってここへ住むようになった」
先日母から聞いた話を、二玖は思い出していた。
「その時代はちょうど、明治政府が国の力を上げ続けていた頃。日本も他国に追いつこうと、軍事力、工業技術力、全てで右肩上がりを目指していた頃。…その頃、君の先祖林蔵氏は、明治政府から重願寺の宿坊跡地をもらい受けた」
「もらえるの?お寺の土地を?」
いまいち、繋がらない、という表情をしているシロタさんを見かね、「ちょっと補足しても構いませんかな?」と、多古田さんが岬青年に、断りをいれる。
「明治政府は、今の日本の政府のように、当初から国内に認められていたわけではないんですぞ。最初は一勢力に過ぎんかったんです。だからとにかく、反発する力を、速やかになくしたい。それで、廃藩置県、廃刀令、と、立て続けに武士の力を削ごうとした。武士という身分が特別である時代は終わる。では武士の他に、反発する可能性のある力、と言えば?」
シロタさんと二玖は顔を見合わせる。
「フクちゃん、習った?」
「…ええっと、習ったのかな?」
二玖は、延々と古代エジプトをさまよう世界史しか、思い出せない。
「江戸幕府が政治的に利用していた宗教。守られていた宗教…わかりますかな?」
「…仏教、ですか?」
「そう。幕府に擁護されていた仏教は、新政府にとって厄介な存在でした。…どうしたら、仏教の力を削げるか。それには彼らが大切にしているもの、信仰の対象としているものを破壊する。寺を壊す、僧侶を追い出す、仏像を打ち壊す、そして空になった宿坊を、軍人に譲る」
多古田さんが、岬青年に続きを促すように、どうぞ、とさっきのシロタさんをまねて手を差しだす。
「多古田さんの言った一連の出来事を
「じゃあ、宿坊にいたお坊さんも、兵隊に入ったりして、いなくなってしまったの?」
二玖が尋ねる。
「そういうことになるね」
「誰もいなくなった宿坊に、移り住んできたのが、わたしのお祖父ちゃんのお父さん、っていうこと?」
違うと言ってもらいたいであろう二玖に対し、ためらいがちに岬青年はうなずく。
「わたしの先祖は、破壊された寺の、住まい手を失った宿坊を譲り受けた」
それはとても無神経な、愚かしいことのように二玖は感じた。
「ここがかつて宿坊だと知った時から、心の中で、昔の住人の、お坊さんたちとは友人のような近しさだったけれど」
もちろん、会ったこともない。だけど、時代を超えて同じ空間を過ごした人々をふと感じる瞬間があるのだ。ひんやりした板の間の廊下を歩く時だとか、天井の、太い梁を見ながら眠りに就く時だとか。
「譲り受けたのではなくて、奪ったのね」
友人だと思い込んでいたのは二玖の方だけだ。
「軍人は相当な権力を持っていたから。正面切って異議を唱える者はいなかったんだろう。けれど、周囲の住人の、密かな反感は免れなかった。額屋の主人の態度がそれを表している」
お祖父ちゃんが、軍人の家に生まれつつも医学の道へ入ったのは、命を救う人間になって周囲の人に受け入れてもらいたかったというのもあったのかもしれない。ふと、そう思い当たる。
「タマミちゃん、だいぶ太ってる」
二玖の想いをよそに、シロタさんはずっとタマミを撫でている。
「さあ、シロタさん、次はあなたの話を聞かせてほしい」
「…あ、ああええっと」
こほん、とわざとらしい咳払いをして立ち上がると、シロタさんは宙を見あげる。見上げてもそこに空はなくて、黒々した岩肌があるだけだ。
「これからまず話すのは四百年前、キリスト教宣教師シロタ=パジェスが記録していた、ここでの出来事。それから同じこの場所で、その約二百年後にシロタ=ベルネが記録していたこと」
「それが、その日記の内容だったの?」
「そう。予想以上に壮大だった」
シロタさんの説明そのままでは物語が終わりそうにないので、ここに要約する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます