第56話 洞窟の独演会①
最初は急勾配で、岩肌を伝って足から下りる。
もっとじめじめしているかと思ったが、特殊な土で固められているのか、草も苔も生えることなくカラリとしている。
先頭に立つのはシロタさん。続いて二玖、岬青年、多古田さん。
足から下りたものの、間もなく勾配は緩やかになりシロタさんが戸惑っている。
「ちょっと、回転してもいいかしら?」
そう言ってぐるりと体の向きを変え、今度は頭から匍匐前進していく。二玖も、シロタさんが回転した地点で、同じように方向転換する。
あとは前に
冷涼な空気が四人のあいだを吹き抜ける。足元の地面は踏み固められ、艶やかだ。
壁には、削り跡が無数にある。
天井の隅には一定間隔で
「これ、ついさっきまで
シロタさんはつま先立ちでロウソクに触れた。まだ新鮮な、ロウの跡がある。
「日常的に、誰かの手が入っているようですね」
反響した多古田さんの声は、その「誰か」に届くようだった。
アーチ状にくりぬかれた短い通路を下ると、さらにすっと拡がる空間を感じる。
「ここ、地上と逆」
シロタさんの素っ頓狂な声が、空気をほどく。
「地上はかなり、木やら建物やら、込み入ってるのにね」
「まことに」
初対面のシロタさんに、多古田さんはフルネームで挨拶をする。シロタさんもそれに習って名を名乗る。
「自己紹介ついで、というにはちょっと長いけど、わたしのこと、話してもいいですか?今日わたし、自分のことを伝えるために、ここへ来たのよ」
マイクはいらなかった。洞窟のホールで、ささやくようなシロタさんの演説はちょうどよいエコーがかかっていた。
「わたしの両親は、わたしが生まれてすぐに新興宗教に
前触れもなく始まった独演に、三人は視線を泳がせた。
「…ええっと、シロタさんの、お父さん、の話?」
二玖は確認する。
「…そうよ?…、あ、何いきなり、自分のこと話すのかって、不思議なんでしょう?ごめんね。わたし、そもそも人に話をするのが苦手なの。とりあえず、はなし、していい?スタートは、わたしの両親のところからにはなるんだけど、着地点は必ず、『ここ』になる予定だから」
そう念押しして、シロタさんは「ここ、ここネ」と足踏みする。
「…は、はい。そうすると、まずは、シロタさんのお父さんね。ええっと、ご両親は新興宗教、…つまり、ええっと生き方とかに迷った人が救いを求めて話を聞いてもらったら、そこで何だかお守りとかもらっちゃったりして、気分がすっきりしたからその後も通い続けて、──みたいな感じのモノに、嵌っていった、ということですよね?」
シロタさんは、
「…まあ、そう。フクちゃんの理解はそう。…ええっと、結局どこまではなしたっけ?」
「お嬢さんのご両親が新興宗教にのめり込み、あわや、父親においては、信者ならぬ宗教者となり、生まれたお嬢さんを『ない』ものとした、というくだりです」
多古田さんは朗々と声を響かせる。
「素晴らしいです。端的に言っていただきありがたいです。では続けます」
シロタさんはお辞儀をし、改めて正面を向く。
「——父はそれから二度とわたしに会うことはなかった。でも、母は数日に一度、わたしの前に現れて、最小限度の世話だけして父の元に帰って行きました。母にとってはそれが決まりだから。まさに、さっきタコタさんが言ったように、わたしは存在しないことになっていました。わたしがいると父親役と引き換えに位を頂いた父の立場が危うくなるのです。わたしはずっと隠されていたんです。わたしはいらなくなった物に埋もれるように隠されて、それでも一応生かされていた。
小学生になる年にわたしは発見されました。両親の宗教団体が、社会に認められない行為をして、排除されることになったのです」
「社会に認められない行為?」
岬青年が口を挟む。
「つまり犯罪です。…私たち世代はまだこどもだったけど、当時大きなニュースになったから、タコタさんならピンとくるかもしれません」
多古田さんは、ちょっと考え込んで、ああ、と思い当たったような表情をする。
「その事件によって、──あ、事件そのものについては、またべつの機会に記事に目を通していただいて…、──死者は出なかったものの後遺症の残る被害者もいて、…とにかく大勢が人生を狂わされました。わたしは罪を犯した両親のこどもだから、こんなこと言う資格はないってわかっているんだけど、でも、ハイ。わたしもまた、人生が大きく方向転換したうちのひとりではありました」
皆、黙って聞いていた。
「ある日知らない人が大勢現れました。みんな靴を履いたまま家に上がってきたわ。母以外の人を見るのは初めてでした。そのうえたくさんの大人が次々説明することが全く理解できなかった。…それからは地獄だった。わたしは身寄りのないこどもたちが生活する施設に入れられました。大勢の見知らぬ子たちとの共同生活。そこではみんなから無視され、いじめられた。言葉が、わからないから。言葉のない世界でずっと育ったから、聞こえてくる言葉の意味を辿っている間に次の言葉が降ってきて時間が渦を巻いていくの。結局、物で埋もれた誰もいない部屋でも、人が大勢いる場所でも、わたしはひとりぼっちだった。…言葉を、わたしは図書館で学びました。図書館だけが寛げる場所。図書館では誰もわたしにたくさんの言葉を浴びせませんでした。じっと黙って待ってくれます。そこにある言葉はこちらが読み取ろうとして初めて音として頭の中で鳴り響く。わからなければ辞書がある。辞書にはあらゆるものの答えが載っていました。シロタは固有名詞。あなた、は一般名詞。わたしは一般名詞。シロタは固有名詞。固有。わたしは固有。いいえ、わたしは一般名詞。…でもいくら言葉を学んでも、『わたし』と『あなた』の境目がどこにあるのか掴めませんでした。…高校を卒業して、施設を出ることになりました。わたしは長いこと空家となっていた実家に十数年ぶりに戻ったの。部屋は出た時と全く変わっていなかった。無言でわたしを迎えてくれた。生活は新鮮でした。自分の生活。物は相変わらず溢れていたけど少しずつ、その物のひとつひとつを確認していった。よく見ればどれもこれもただのゴミだった。でも、どれもこれもわたしがわたしなのか何なのか判別する材料でもあった。わたしにとっては、それらのモノが「あなた」。ずっとわたしに在ったのは、わたしとあなたではなくて、これらのモノとわたしだけだったから」
シロタさんが息継ぎをする。継ぎ目と継ぎ目の深い、息継ぎだ。
「やっと物が整理され床が見え始めた頃、古めかしい木箱を見つけたの。中には何重にも封をされた日記があった。それは未知の言葉、フランス語で書かれていた。感じたの。これはわたしに対して書かれている、と」
二玖は両手をパチンと鳴らした。
「ああ、それを解読するために探していたのね、フランス語の辞書」
「そう。どうしても、何が書いてあるのか理解したかった。それで、この間ついに全文を解読したの」
シロタさんが笑顔を見せ、三人が、暗黙の了解と、暫しの休憩に入ったところで、みゃーという鳴き声とともにタマミが上から顔を覗かせた。
「ああ、ここ、猫の棲みかになってたのかな?」
岬青年が言う。
「シロタさん。君の翻訳した貴重な文書の話しを聞く前に、僕が辿りついた事実を話してもいいだろうか」
多分話したくてウズウズしていたのだろう。岬青年がついに、シロタさんの話を中断させる。それで構わないというようにタマミは青年の足元にすり寄る。
「…え、ええまあ…」
シロタさんは不服そうだったけれど、うずくまって岬青年の足元に行き、タマミを撫でる。
ここで演説者の交代だ。
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