第51話 コーヒーとともに①



 次の朝、近くの駐在所に、写真を一枚持って行った。

 最近、写真なんて撮ってなかったから、と、母は三年前のお正月に、皆で初詣に出掛けたときの写真を引っ張り出してきた。

 それにはおばあちゃんだけでなく車椅子のおじいちゃんも写っていた。

「おじいちゃん、おばちゃんどこにいるか、知らない?」

 握りしめた写真に向かって、二玖は小さく尋ねた。


 

 駐在所の帰り、二玖は門の前まで帰ったけれど、何となく振り返り、坂を下った。


 まっすぐ前方に寺の三重塔が見え、その先には海が広がる。

 

 二玖は多古田さんが持ってきた「地図」を思い出していた。あれが地図だとすれば、一体どこの地図だというのだろう。けれど、地図だ、と言われて、腑に落ちた感覚もあったのだ。あの絵はおばあちゃんの部屋の片隅で、くるくると巻かれ紐で縛ってあった。二玖も最初はてっきり地図か何かだと思った。そして第一印象。絵に中心がない。模様?壁紙か何か?──延々、細密に描かれた葉と、その隙間。

 とにかく、美しかった。木漏れ日のようにも、森そのものにも、そう、それからじっと眺めていたら葉と背景が逆転して、なんだか迷路にも見えてしまう、だから。


 また、苦しくなる。あの時の自分を思いかえすと自分ではなかったように感じる。

 そう感じることで、自分ではない誰かのせいにしているのか。


 主題とか意図なんて普通の地図にはない。平面上に存在する全てをまんべんなく記載するのが地図の役目だ。

 あのが表現していること。それは一体何。中心も、何もない、あるのは様々な葉っぱと、その隙間。それを強調することで隠される何か。


 いつの間にか、お寺の門の前に来ていた。

 

 鉄の門扉は開け放たれ擦り切れた石畳が地面を覆っていた。

 木が片側から覆い被さるように陰を作り日向の反映でそこだけ一瞬背景が遠退くような錯覚があった。

 一旦門扉の内側に入ると空気が変わる。足元の熱気も頭上からの日差しも嘘のように止み、ただ蝉が金属性の爆音を音というより圧力として響かせていた。


『重願寺』

 石柱に彫刻された文字は彫られた当初の凹凸を、時間によって消し去られそうになっている。


「あ」

 他方片隅の、小さな平屋建ての、少しだけ開いた引き戸の向こうから現れたのはタマミだった。

 タマミはまるでここの猫のように戸の隙間から顔を出すと閉まりつつある戸をひょいっと避けて尻尾を器用にしならせた。

 戸に掛けられた手は閉めかけて、二玖の存在に気がついたらしかった。


 「ああ、ようこそ」

 迎えたのは真っ黒い修道服をまとった多古田さんだった。


「ここにも派遣されてるんですか」

 いやいや、そうだった、このひとは、本来ここのひとなんだ。


「うちの祖母、知りませんか?」


「いらっしゃらないのですか?」

 目を見開き多古田さんは重ねて尋ねた。

「ねこちゃん、ではなくて?」


「ねこは、」

 二玖は足元を指差した。うなずいて多古田さんは二玖に話しの続きを促した。


「いつから?」

「昨日からです」


「先日お庭で拝見した時、造園学を教授して下さった頃の印象がまるでなかった」

 十数年前、と多古田さんは懐かしげな目をした。


「造園学のお話は大変興味深かった。実はその頃、わたくしは当時会社をあと二年で定年退職という頃でした」


「会社ですか?」


 会社とは縁遠い自分の現状から「長い話になるから」と、多古田さんは二玖を寺の境内に案内した。


「うつ病を患い、使い物にならなくなったわたくしはいわゆる窓際族、コピー機の番人として無為な日々を過ごしておりました」


 ひんやりとした風が足元から吹き抜ける。多古田さんは履いていたぞうりを靴脱ぎ石に置いて、縁側に腰掛けた。二玖も習ってそうする。


「今考えると、わたくしは創造するということを人生から放棄していたのです。わたくしがものを書くのは伝票のチェック欄に線を引く時くらいであり、ものを読むとすれば新聞を読み飛ばしながら見出しを拾う程度でした。まして絵筆を持つこともなければ土と遊ぶことも皆無でした」


 多古田さんは二玖に座布団を勧める。


「日々、人生にあといくらのお金が必要で、あとどれくらい働けばよいのか思案していました。もちろん、うつという病によってそういう偏狭な思考回路に嵌まり込んでいたともいえます。そんなとき、当時通っていた心療内科の医師に土に触れる趣味を持つよう勧められて、地域の公開講座を受けることにしたんです。そこで先生に出会いました。先生はおっしゃいました。庭を造る目的は大事なものを隠すためだ。一番大事なものをそっと包み込むために庭は造られる。誰にも、本人にさえもわからないように隠すことができれば庭造りは成功だ、と」


 最初意味がよくわからなかった。

(一番大事なものが庭にあることを、誰にも、本人にさえもわからないようにする?)


 多古田さんは続ける。


「それでふと、わたしに一番大事なものとは何か考えました。家族も、特別な才能も、何もない。大事なもの自体がない。…ああしかし、それでもいい。そういうことか。だいじなものが、なくてもいいのだ。それはいつまでも、本人にも姿を現さないのだから。もし仮に中心になにもないとしても、そこが上手く隠されるのなら。もしかしたら在るのかもしれない。そう信じていられる。それから、わたしは庭造りに執り付かれました。緑を盛り上げたり、削りとったり、色彩を添えたり。面白いことにどんなに複雑そうなことも大抵、単純作業で成り立っている。つなぎ合わせると複雑に見える行程も単純作業で成り立っているのです。それはわたしにとって好都合でした。作業をしている間は少なくとも仕事のこともお金のことも病気のことも忘れていられる。この庭のどこかに大事な何かが隠されている。決して見えてはいけない。ない、かのように繊細に包み込む。そのために大事なのはよく見ることでした。大事なものが欠片ほどでもはみ出してしまってはいないか。毎日庭に出てよく見ること。盲目的に作業をしてはならない。よく見ればどの作業をすればよいか自ずとわかる。そうして毎日すこしずつでも庭に出て、わたしは全てに眼を凝らしました」


 皺の多い瞼を、多古田さんはゆっくりと閉じる。


「するとだんだん、庭に大事なものが隠されているような気持ちになるんです。ここには一体なにが隠されているのだろう。ふいに疑問が浮かび、いや、何も隠していないではないか、と自答する。いやけれど、ほんとうに?…無だったものにどうにかうすくうすく紙を貼り付けて空洞をつくりだす。中心はもう誰にも見えない。けれど明らかにそこには形ができあがる。…先生に教わったのはそういうことです」


多古田さんはそこまで言うと「コーヒーを淹れましょう。」と席を立った。

(お寺なのにお茶じゃなくてコーヒーなんだ)

 広い境内の縁側で、ひとり二玖は少し笑った。

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