第44話 クロウ⑩ 【地下礼拝堂】



 

 一九四一年、十二月の寒い日だった。

 林太郎と烏貴子は、ベルネの身を隠すため、蔵を案内した。


 「本当にこれだけでしょうか」


 いつのまにか先頭になったベルネが、おかしなことを呟いた。

「これだけ、ってどういうこと?」

 烏貴子は不審そうに尋ねる。


「地下に礼拝堂があるはずなのです。ええ、確か元は、陶土の採掘場ではありましたけれど」

ベルネは妙に確信を込めて話す。


「地下に礼拝堂?」


 遠い異国からやってきたベルネになぜ、この土地のことをを教えてもらうだろう。

 烏貴子は、不可思議に感じる。


「日本に来てまず、『地下礼拝堂』のことをご主人に尋ねました。けれど、『ここに居続けたいならば、キリシタンに関わる疑問を無闇に口にしてはならない』そう強く、言われました。何か重たい空気がのさばっていました。だからいつしかただの、イコクジンでした、わたしは」


 ベルネはそう言い、何かと交信するように何もない空間にもたれた。


「わたしの先祖、シロタ=パジェスが二百年前、その礼拝堂で祈りました」


 ベルネが日本に来た八年前。あの頃の幼い烏貴子は、ベルネが日本へきた理由に思いを巡らせることはできなかった。


 ベルネはじっと宙を見つめていたが、はっとして言った。


「もしかしたら、この道は、礼拝堂を探しあてるために掘られたのかもしれない。でも、間に合わなかった」


「『礼拝堂』を掘り当てる?それが、『間に合わない』?」

質問をしたそばから林太郎は、ああ、と声を上げた。


「僧侶たちがここにいられなくなったから?つまり、政府に宿坊を接収されてしまったから?」


 ベルネは頷く。林太郎は続けて言った。


「僧侶たちはこの宿坊が接収される時、蔵の中身が明治政府の役人に見つからないように、蔵の鍵を菜園管理者に預けた?どうか、ここが守られますように、と?」


 それを聞き、烏貴子は納得のいかない顔で尋ねた。

「じゃあ、わたしの知っている言い伝えは?踏み絵を製作していた窯や採掘場、それらが崩落した事故。『地下礼拝堂』なんて、初めて聞いたわ。この同じ小さな村で、同じ『地下』にまつわるはなしだというのに」


 林太郎は静かに言った。

「崩落事故の言い伝えの方が、間違いという可能性もあります」


 そしてベルネの方へ向き直り、尋ねた。

「地下礼拝堂があったという記録は、どこかに?」


「祖国フランスで読んだ書物の中に、確かに書かれていました」

 ベルネと頷き合ってから、林太郎は烏貴子に尋ねた。


「烏貴子の言う、踏み絵を製作していた窯や、採掘場のはなしは、どこかに記録がありますか」

「あるわけない。だって、キリシタン信仰は禁止されていたのよ。書き残すなんて危険です」

「だとすれば、同じ時代に、記録を残したベルネの先祖のことばの方を、確かな歴史として信じたほうがいい。烏貴子の聞いた言い伝えは、誰かが意図して作り出した虚構のはなしかもしれない。もちろん、礼拝堂だってベルネの先祖が作った話という可能性もないわけではない。でも、そんなことをして何の利益があるでしょう?誰に何の利益が?遠い日本という国で起こった出来事を偽ったとして」


 蝋燭の火が三人の顔をぼんやりと照らす。想像力を働かせるにはあまりに閉塞的な場所だった。


 林太郎は火を消さないように注意深く一歩下がり、話し始めた。 

「言い伝えというのは、何人もの人の口を渡って伝えられます。渡るうちに、真実は必ず曲げられます。真実から、真実であってほしいはなし、に変わってゆくのです。烏貴子の聞いた言い伝えは、踏み絵を製作したせいで、全ては破壊した、という悲しい話でした。その話しで誰が得をすると思いますか?」


 烏貴子には、誰の顔も思い浮かばなかった。

「誰もいないわ」

「それが、真実じゃないでしょうか」

「どういうこと?」

「つまり、それは、外側の人間によって作り出されたはなしなのではないでしょうか」

「外側の人間?」


「キリシタンを禁じた側です。キリシタンを禁じ、取り締まる側にとって、陶土採掘場が破壊した理由が、踏み絵を製作していたという、キリシタン自身の信心の浅さにある、となれば、都合がいいでしょう。裁かれるのが自分たちではなく、キリシタンの側であるということ」


 三人とも黙って、地中の壁を見ていた。

 僧侶たちは地下礼拝堂を掘り当てようとした。その壁は失われた礼拝堂の壁を貫くことなく、そこでただ壁として留まる。いつか扉に変わると信じられながら。


「僧侶たちは当時、秘かに礼拝堂を探さなければならなかった。幕府によって禁じられたキリシタンの礼拝堂を、堂々と探すことなどできない。だから地中からアプローチするほかなかった。でも今わたしたちはもう、キリシタン狩りに怯える時代にはいない」

 林太郎が頭をフル回転させながら話す。


「つまり、地上から探しだす、ということですか」

 烏貴子も考える。


「どこかに礼拝堂の入り口があるはずです。おそらく、埋められ、わからなくなっている」

 ベルネは考えるというより、既に知っていることを少しずつ明らかにする、というように話す。


 ──埋められた。

 埋めるためには、新たな土を盛る必要がある。ここはつい最近まで島だった。島では新たな土など大量には手に入らない。手に入るのはただ、砂浜の砂。


「わたし、わかるわ」


 烏貴子は菜園の土質を熟知していた。宿坊に比較的近い一角に砂地があった。水はけが良過ぎるため、そこは西洋の薬草を主に生やしていた。


「ずっと不思議だったの。なぜかここだけ砂質で」


 根の張った薬草を避けながら、ベルネと林太郎は土を掘り進めた。大人の背丈ほど掘り進めると、カツン、と当たる感触があった。


「大きな石です」

 現れたのは、石組みの入り口だった。


「もっと早く見つけてあげたかったです」

 ベルネは誰に言うでもなくつぶやいた。


 腐ってしまった木製の扉の成れの果てがあり、それは簡単に外れた。

 僧侶が掘った穴よりも、ずっと大きくゆったりとした洞穴の、ベルネは奥の暗がりへ入った。


「恐らく、礼拝堂です」


 扉を開けると、夥しい数の人骨が整列していた。

 息絶えたままの状態なのか、誰かが並べたのかはわからなかった。

 ただ地面を覆い尽くす数の人間がそこで静かに骨となっていた。




「キリシタンたちは生き埋めにされたのです」


 予想を越える空間の拡がりと、息づく気配とで誰も口を開かなかった。

 中央には堂々とした石柱が二本対に立っていた。ずっと番をしていたように。 


「ベルネは、この場所を探しに日本に来たの?」

 ようやく烏貴子は尋ねた。


「はい。やっと、見つけました」


 言葉とは裏腹に、ベルネの顔に、目的を果した充足感は微塵もなかった。この時のベルネはもう、日本に来たときとは別人だった。光の失せた瞳の奥にあるのは、洞窟の奥深くに続く闇だった。


 ……………


「踏み絵を作っている者がいるぞ」

「この中に、踏み絵を作っている者がいる」


 誰が言ったか、暗い採掘場ではお互いの顔さえよく見えない。

 一瞬で誰もが疑心暗鬼に囚われる。

 裏切ったのは誰か。


 自分かもしれない。今この手の中にある土の塊が、踏み絵にならないと、どうして言い切れるだろう。


 裏切ったのは誰か。


 ……………


──地下礼拝堂に、三人がたどり着いた翌日、一九四一年十二月七日。日本は真珠湾を奇襲攻撃し、戦争は連合国との全面戦争に突入した。


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