第43話 クロウ⑨ 【蔵のなか】
この国に「いない」ことになっているベルネの居場所を少しでも広げられるなら。
烏貴子は意を決して林太郎に相談した。
木谷の家に、使い道のわからない道具があること。それがもしかしたら、蔵の鍵ではないかということ。
林太郎は初め驚いたが、間もなく自分なりに答えを出した。
「鍵は最も信頼の置ける人物の家に託されたのかもしれない。宿坊が他人である霧野家の手に渡る前に、秘かに」
「それが、わたしの家だった?」
「宿坊の菜園内に建つ蔵の鍵を託すのに、一番適任なのはやはり、菜園を守ってきた家だったんでしょう」
日暮れ前。蔵の前。持ち物は鍵とロウソク。
間もなく鍵は、鍵であったことを思い出し、当然のように扉を動かす。
封印された空気がふたりを別の時空へ運んでいく。
「ここは……、」
何かを創作していた気配が満ちていた。
大きな樽に、凝固した泥の成れの果て。木製の簡素な棚に、作りかけの器、これから焼くつもりだった器、完成した器。使い込まれた木べらの束。
「工房か、何かだったんでしょうか」
林太郎がやっと口を開く。
「僧侶が陶器をつくりますか」
「さあしかし、それ以外誰が」
濃い土の香りは、何の違和感もなく烏貴子を包む。
「この地域は元々、焼き物がさかんだったと聞いたことがあります。たしか陶土が 豊富に採れた、と」
「ええ、そうよ。唯一あった陶土の採掘場が、なくなってしまうまでは」
「唯一あった採掘場、ですか。…どうしてなくなったんです」
「どうして、ねえ」
烏貴子は迷った。言うべきか、言わざるべきか。
「……キリシタンの間で語り継がれていることなら知っています」
木谷家の亡き父から他言を禁じられてたことだった。
「その採掘場では、陶土を使って、踏み絵を作っていたんです。陶製の、踏んでも踏んでも欠けない踏み絵」
「キリシタンを見分けるために踏ませる、あれですか」
あれ、といっても林太郎も烏貴子も見たことはない。
「キリシタンは、踏み絵を作る側に回ることで、自分たちがキリシタンであることを隠そうとしたのです。製作の側にいれば、それを踏む必要もない、そう思っていた。けれど、ある日ひとりの製作者が、燃え盛る窯の中に飛び込んだ。踏み絵を作っている後ろめたさからなのか、窯の中で炎に包まれるマリアさまを助けるため、だったのか。それは誰もわかならない」
「ある意味殉教とも言える死を遂げたその踏み絵製作者の怨念なのか、採掘場は突然の崩落事故で跡形もなく消えてしまった。崩落した採掘場の中にはかなりの人が働いていたけれど、坑道の入り口も何もわからなくなってしまった。崩落事故のあと、この土地の、生き埋めになった多くのキリシタン家系は途絶えてしまった。そして、陶土の産出がなくなり、この辺りの陶業は廃れてしまった」
「でも、この蔵の内部では、秘かに陶器が製作されていた、と?」
ふたりは顔を見合わせた。
「そういうこと?」
また、ふたりは顔を見合わせた。
「土はどこから?」
答えの出ないまま、奥へと進んだ。蔵は内部が真ん中で仕切られていた。塗り壁の端に長方形の通路が開いており、そこから向こうへ抜ける。
祭壇のような棚が四方に張り巡らされ、そこに草履とか着物とか茶碗とか、何でもない日常の品々がひとつずつ大事そうに並んでいた。それぞれは細々としていたが、かなりの品数がきちんと整列していた。
「かつての僧侶のものだろうか」
さらに奥へと進むと蔵の突き当たりに人がひとり通り抜けられる穴が地中へと伸びていた。
「ここが、採掘場だった、ということ?」「ということ、でしょうか。」
坑道は意外にも深く地中に延びていた。
「唯一あった採掘場は、崩落事故で消滅してしまったんですよね?」
「そう伝わっているはずだけど……だけど、百聞は一見にしかず。と言われる通り……、」
「烏貴子さん、頼りないおへんじですね」
林太郎がクスリと笑った。いつも感情をあまり表現しない林太郎がおどけると、ちょっと面白くて、烏貴子は嬉しかった。
「探検ですね。地中探検」
「次はもっと大きな蝋燭がいりますね。それに烏貴子は寒そうだから温かいものを一枚羽織ってね」
「そうですね。羽織りと蝋燭と、それから用心棒」
「何に用心するんです?」
「それは、やはり…」
「わたしが烏貴子の用心棒、ではいけませんか」
いつから林太郎は強さを身に付けたのだろう。烏貴子は隣にいる林太郎が急に別人のように感じられた。
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