第41話 クロウ⑧ 【私立図書館】
それからは文字通り、ベルネは全く外に出なかった。
完全に家の中で暮らすしかなくなったベルネのために、花子は林蔵の書斎を開放した。林太郎も、ベルネの日本語の勉強になるから、と自分の本を書斎に詰め込んだ。壁面全体が本で埋め尽くされ、決して小さいわけではない部屋が、本が増えるたび小さくなっていった。
「ここ、深く、なってゆきます」
ベルネは目を閉じて、ゆったりと話す。
「深く、ですか」
そういう感じ方もあるのか、と烏貴子は新鮮に思う。
「そうね、確かにここはだんだん深くなってる」
本の海。底にたゆたう文字の破片は何か別のものを意味する日まで埋もれている。そんなイメージが烏貴子を無口にさせた。
いつしかその部屋をライブライエ、と呼ぶようになった。もちろん、キリシタンにとっての「ライブライエ」の意味はわからないままだった。けれど意味はどうでもよかった。文字はまだ、音にならなくてもいい。埋もれたまま未成熟な言語として何にでもなれそうな予感を常に携える。いつか何かになる。魔法の呪文にも、物語の始まりの一文にも、それから新しい誰かの呼び名にも。
ライブライエの受付に座るのは烏貴子だ。
ベルネは借りたい本を抜きだし、代わりに閲覧板を差し込んだ。
「カラスの羽ペンがあったらなあ」
ベルネの日本語は時々童謡の歌詞みたいになる。
「カラスはいないけれど、」
烏貴子は一枚のカードを差し出した。
「やはり知の森で、賢者といえばふくろうです」
それは手製の貸出しカードだった。細密に描かれた唐草模様の縁取りの中に、探せばフクロウがこちらを見ている。
「ひとりじゃないんですね。本の世界では」
「そうです。むしろこんな世の中じゃ、本の世界にいたほうが豊かですよ」
「そうですね。ひとり、この部屋でじっとしている方が、安全ですね」
誰も、ベルネを監禁しているという意識はなかった。鍵は開いていた。いつだって出て行けた。外の世界がベルネにとってどれほど危険に満ちていて、壁の内側にとどまることがどれほど安全か、一番よく知っているのはベルネだったから。
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