第36話 紅茶とともに②
「どーぞ」
母は渡されたカップを手に包むと、やっぱり、暑いときは熱い飲み物に限るわ、と笑った。二玖も隣でくつろいで話しを続ける。
「実はね、シルバーの多古田さんに地図を見せてもらったの」
「ああ、剪定のおじさん?」
「そう。剪定のおじさんでもあるし、寺の住職でもある。あ、ほら、まさにその、重願寺」
「なかなか一筋縄ではいかない人なのね」
「まあね。でね、一筋縄ではいかない。といえば、地図なの」
ひとくちふうっと、吹いてからゆっくり飲み、改めて言う。
「地図だといわれる、絵なの。それは、多古田さんのお寺に寄贈されていたの」
母は、意味がわからない、と首を傾げる。
「わたしは絵だと思っていて。まあ、どっちでもいいの。おばあちゃんが描いたその絵が、どうして何の関係もない所に保管されてたんだろう」
「おばあちゃんが描いたものなの?」
「わからないけど多分」
二玖には、核心の周りしかまだ話せなかった。一方の美樹は、話しが見えてこないと思いつつ、言った。
「おばあちゃんとお寺に、何も関係がない、と言えば嘘になるわ。ここは元、宿坊でしょう。宿坊はお寺の僧侶が生活するところ。そしておばあちゃんは、宿坊菜園を代々管理してきた農家の娘よ。ここがお寺の土地から引き離されて、霧野の土地になった時から、お寺の人間はもうここへ気安く立ち入ることはできなくなった。ただ、菜園の手入れは、広すぎて霧野の人間の手に負えなかった。だから土地のこと、そこで育つ作物のことを熟知している者を使用人として雇ったのね。つまり霧野の家はおばあばあちゃんの奉公先なの。おばあちゃんは使用人で、おじいちゃんは雇い主の息子」
「ああ、元々はそういう関係だったんだ」
「で、その絵だか地図だか、それがどうしたの?」
母は律儀に話しを戻した。
「お寺に寄贈されていたんだって」
「おばあちゃんが、お寺へ持っていったということ?」
「わからない。これは地図です、と言って、見た目はどう見ても絵なんけど」
「隠し絵みたいな感じ?地図であることさえ、読み解けないように?」
母はじっと考え込んでいたが、諦めて紅茶を飲み始めた。
「おばあちゃんが霧野の家に嫁ぐずっと以前から、おばあちゃんの実家とお寺は関係があったのよ。そう考えると、霧野に嫁いで以降数十年の繋がりより、時代を超えて信頼し合った関係を選んだのかもしれないわね。秘密の保管場所に」
一枚は自分の部屋へ。もう一枚は代々繋がりのあるお寺へ。どちらかが不意の事故や悪意によって消されても、どちらかが守られるように、と。
「おばあちゃんはこの家を信用していなかったということ?」
「どうだろう。父、霧野林太郎と母烏貴子は、仲のよい夫婦だったと思うけど。でも、所詮、義理の実家。おばあちゃんの生まれ育った家ではない、というのはあると思わない?それは、わたしも、きっとオウルもそうでしょう。わたしがここに感じる親しみと、オウルがこの家に感じる親しみは違うように。おばあちゃんの実家の木谷家は、親類縁者皆、戦争で散り散りになったらしいから、おばあちゃんにとって『実家』ってないのよ。だから、お寺は娘時代から繋がる唯一の場所だったのかもしれないわね。おばあちゃんが『おばあちゃん』じゃなかった頃、聞いたことがあるわ。おばあちゃんのおうちが管理する菜園のはなし」
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