第三章

第32話 パッチワークの建築



 浴室改修工事の進み具合にはムラがあった。土曜も休まずなされたかと思えば急にブルーシートが数日掛けっ放しになった。

 お盆過ぎに始まった工事は終わりが見えず、庭では鈴虫が鳴き始めていた。


「この調子じゃ、肌寒くなって湯船に浸かりたくなったら、銭湯通いするしかないわね」

 母は、毎晩のシャワーが不服そうだ。


「頼んだ工務店、大丈夫だったの?」


 遠慮がちに二玖は母の顔を見上げた。


「すごく仕事が丁寧な工務店なんだって馴染みのお客さんに勧められたのよ。まるごとユニットバスに入れ替えるならどこに頼んでもよかったの。でもこの空間をできるだけ残すって決めたから」


 母の信頼は厚いようだった。


 次の日、緑葉の濃い生垣を抜けて、工務店の人が菓子折りを持って尋ねてきた。


「やあこのたびは工事が遅れまして申し訳ございません」

 応対に出た二玖はタイミングの良さに感服していた。信頼は大事だ。

 現場責任者というおじさんは言った。

「それがですね、これが全く、いやはや」

 神妙な顔つきになって菓子折りを上がり框に置くとカバンから書類を取り出した。

「今回のお宅の工事の図面です」

『霧野邸』とラベルの貼られたファイルだった。

「実は、風呂場天井の、雨漏り箇所の修復というのが当初のご要望でありましたが、天井を修理するうちに壁面の歪みが著しく進行していることがわかりまして」

「はあ」

「で、窓が…」

「窓がどうかしましたか。」

「窓が閉まらなくなってしまいまして」

「閉まらない」

「そうです。開けたまま作業しておりまして、あれです。熱中症対策で換気は重要でして」

「わかりますよ。暑い最中ですから」

「で、いざ今日の作業終了となりまして窓を閉めようとしたら」

「…閉まらないんですね」

「そうなんです」

 二玖は眼の前のおじさんが気の毒になった。雨漏りが発生するぐらいだ、壁が歪んでいて何の不思議もなかった。

「仕方ないと思います。とにかく古い家ですから。母に伝えておきます」

 ほっとしたおじさんは真顔で言った。

「ひとつ、質問が」

「何ですか」

「この家は一体どういう建物だったのでしょう」


 純粋さはとうの昔消えてしまった疲れた瞳だったけれど、奥の奥に、ぽっと点いた光は湿気や黴も何のその、キラキラ輝く。


「まるで、そうですね、何というのが一番しっくりくるか…。ツギハギ…、いや、失礼過ぎる。違う違う。ええっと…」


「パッチワーク、とか?」


「ああ、それがぴったりです。パッチワーク。何だかお洒落な響きだ。最初にここが建築されたのがいつだったのかわかりませんが、数百年、相当古いのは確かです。部位、部位で修繕した年代が異なっています。浴室は比較的新しい技術ばかりでできあがってました。新しい、といっても昭和の始め頃ですよ。この建物自体には元々浴室なんてなかったんでしょう。ここの主はその都度、パッチワークを縫い繋げるように家を修理した。駄目になっては騙し騙し小さな修繕を繰り返し、住める状態を維持してこられた。こういうのは嬉しい物件です。古い貴重な大工仕事が随所に残る建物に、自分も手を入れることができるっていうのは、感慨深いことです。だって、大工の側にしてみれば、直して住まい続けるという選択肢が在り続けるということですから」


 おじさんは輝く瞳で続ける。

「けれど実際そこに住む人のことを考えたら、もうそろそろ、基礎から見直した方がいい時期かもしれません。この家の基礎をご覧くださればおわかりでしょうが、石の上に木を並べてその上に柱を立てているわけです。玉石基礎というんですが、これは地面の上に家をちょこんと載せた状態なんです。現在の耐震基準には適合しない基礎なんです。まあ、地球とのゆるい繋がり方が逆に地震のエネルギーを逃すことができていいのではないか、という考えもありますが。わたくしどもとしましては基礎はやはりコンクリートをお勧めしますよ。しかし、土台をやり替えるとなると、かなり大きな重機も必要になります。材料も相当な量になるでしょう。まずそれらを家まで通す道がいります。すると大部分の生垣を潰さなければならないでしょう」


 お風呂の雨漏りがえらく大掛かりな話になり、そのことを自覚したのか今度は話しを仕舞いにかかった。


「まあ、まあ、情報としてお耳に入れておいていただきたかったまでです。では窓のこと、申し訳ございません。早急に対策を打ちます」

 と汗を拭き拭き帰っていった。


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