第30話 ろくろの旅
傘佐木さんの部屋は地下空間に続く廊下を歩き、例の、踏み絵保管庫を過ぎたところにあった。
「おはいり」
古い木のドアを開けると部屋の中心には作業台があり器のスケッチが広げられ何か
「これな、今作っておる器」
そっとめくられた内側にはお茶碗が四つ並んでいた。
「まだ形が決まっとらん。形を変えられるうちにとことん悩むつもりなんじゃ。で、形を変えられるうち、というと結局何時まで経っても焼き上げられん」
傘佐木さんは少女のように微笑んだ。
「つくる、ということはな、まだこの世にないものを、『ある』に変える恐ろしい作業でもある。完成が怖い、という気持ち、と表現しようかな?いっそつくらなければよかった、と思うもの。まあ、誰が作ったもんでも構わん。…何か、思いつかんか?」
質問されて、考える。つくらなければよかったもの。
二玖は、渡り廊下の壁に掛かったあの絵を思い浮かべたけど、言い出せなかった。だから二つ目に思いついたものから二玖は言った。
「原子爆弾、とか?」
「最たる不要品じゃな」
「作ってみたけどサイズの合わないセーター」
「あるなあ、そういうこと。そのセーター、作っているときはどんなふうじゃ?」
「とても愛おしい」
「実際、そんなセーターを編んだ思い出があるのかな」
「ついこないだの冬です。あ、誤解を招きそうなので言っておきますけど、自分のですよ」
傘佐木さんはふふ、と笑ってまた質問をした。
「他に、あるかな?」
他に。
「いえ、」
「この世に生み出さなければよかったもの」
「これ以上思いつきません」
場違いなものが想起される。
ルイ十四世の双子の兄弟。
片方は今どこに。
二玖は頭をぶんぶんと振る。
「そうか。…もう構わん、大丈夫じゃ」
傘佐木さんは何かじっと考えているようだったが頭の中でまとまった言葉をゆっくりと紡ぎだす。
「つくっておる間は自分の体の一部くらい親密。あたしの手のなかで熱を帯びてつながっておるんじゃ。わたくしに成り代わる感覚にさえなる。でもな、完成したらモノでしかないのよ。どんなモノもそうして完成へ辿りついた。できあがったものの形を変えるには一度解体するしかないじゃろう。けどな、製作途中のこれは、いくらでも変えられる」
傘佐木さんは生き生きと話を続ける。
「器はな、それを使うことと、置いてある空間と、中に入ってみることとを想像しながら作るんじゃよ」
「中に入るんですか」
「まず一寸法師のように小さくなって、すべり台の要領で」
傘佐木は目を閉じる。
「そこでしばらくお湯に浸かったり」
「いつの間にか、どこかに流されていたり?」
「舟、じゃな。それもええわなあ。そんなふうに使える用途には全部使ってみるわけじゃ。そうして器と旅に出て、戻って来た頃に、器はすっかり形を変えておる」
「ろくろの上で?」
「そう。全てはろくろの上で起こること。どこへも行かない安上がりな旅じゃろ」
壁際に事務机があり書類が乱雑に置かれていた。
「あたくしはここでしか生きられん。ここで働いてここで祈る」
「何て祈るんですか」
「らいぶらいえ、らいぶらいえ、あんめん、あんめん、」
(ライブライエ、ライブライエ、アンメン、アンメン)
「そうしてここでできることをしているだけ。そしてあんた、オウルは、絵を描いているらしいな?」
どうして知っているんだろう。
「はい、でもなかなか思うものは描けなくて」
「思うもの、なんて実際はどこにもないのかもしれんぞ。あんたが思うしかないんじゃ。あるとすればオウルのなか。単純作業から始めるんじゃ。指はただ動きたいだけ。持ったものがたまたま絵筆だっただけ。どんなふうにでも構わん。とにかく埋める」
「埋める?」
「そう。今を記録する。自分がそこに存在する時間ごと、空間ごと。すると少しへこむ。水の溜まるへこみが現れる」
「埋めたのに?」
「そう。どんなに埋めてもへこむ場所。そこに水が染み出てくる」
「すると器になって?」
二玖の質問文に断定の動詞を添える。
「流れる」
ナガレル。
傘佐木さんは目を閉じて気配だけになっていた。
「乗ってみるのじゃ。そうやってあたくしはここでずっと過ごしとる」
…ここ、どこ?
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