第24話 祈り、働け

 


 通された廊下は薄暗く、岩肌は削がれた後が無数にあった。天井からは、ぽたぽたと雫が垂れている。所々に明かりが灯され、光と影が交互に連なる。この先は、行き止まりなのか、それともまだ先があるのか。影が深まり闇となる。


 鉄格子のドアには、『祈り、働け』と毛筆で書かれた札がぶらさがっている。

女は有無を言わさず二玖をドアの向こうへ押しやる。


 (祈り、働け?)


「あなたも閉じ込められたの?」

 ふいにすぐそばで声がして驚いた。

 特徴的な声が、暗がりでもすぐ誰だか判明させた。


「フランス語のひと、ですか」

「骨董屋の子ね」


「どうしてここに?」

「辞書を探して図書館を巡るうちに変わった図書館を見つけて。入ってみたらレトロで雰囲気があって。いいなと思ってたらアルバイト募集中ですよって誘われて」


「安易ですね」

「いえそんなことはないわ。あなたこそ騙されたの?」

「巧みな勧誘を受けまして」

「それはいけないわね。本人の意志は大事よ」


 こそこそと話しをしていると、扉がギギイ、と開いて、老いぼれた傘佐木さんの手に蝋燭の灯されたランプが握られていた。


「ほれ、これで絵を描け」

「絵?」

「そこに見本があるから、忠実に再現しなされ」


 照らされた壁面の棚には、ぎっしりと紙片や木片、それから陶片が積まれていた。

 二玖が近寄ると空気の流れができたのか、ちらほらと棚から紙が舞い落ちた。


「これですか」


 それらは、黄ばんでいるうえ、表面が剥げかけて、描かれたものが一体何なのか見極めるのに目を慣らす必要があったが、一旦わかるとどれもこれも、キリスト教の宗教的な絵だった。


「大量の宗教画ですね」


「こんなところに地下空間があったのね。まるでフランスの牢獄。知ってる?バスティーユの牢獄がベルサイユ宮殿と繋がってたって」


 フランスさんは絵を確認する気などなさそうだ。

「ねえ、知ってる?」

 うんざりして顔を上げると、フランスさんは涼しい目で、訳もない、というふうに言った。

「ここにある絵はおそらく踏み絵の原画よ」


(踏み絵?)


「キリシタンであるかそうでないかを見極めるために踏ませた絵よ。踏み絵自体はたいてい、石とか青銅とか、頑丈な素材でできてるわ。だって踏まれるためにつくる絵よ。大事にするつもりがないんだから頑丈につくらないとね。ここにあるものはその元になった原画。踏まれるとわかって描くんだから、描くほうも気が重いわよね、きっと」

 フランスさんにしては自信ありげに、一気に知識を言葉に変えた。


「そう、ですね」

 二玖は一瞬黙った。

「知りませんよ」


 知りませんよ、と急に言われても、意味がわからずフランスさんは首をかしげた。


「何が?」


「踏み絵のことは知りません」


「別にあなたが知ってるかどうかなんてどっちでもいいわ。わたしがあなたに絵を踏ませるとでも思ったの?その時代は終わったんだからだいじょぶよ、あんしんして」


 どの時代からの、「その時代」なのか、果たしてフランスさんと同じ時点に立っているのか。過去をぐるぐる回っているはずの彼女の「現在」を鵜呑みにはできない。

そんな二玖の抱く懐疑など知りもせず、フランスさんはさっきからどうしても言いたいらしい『バスティーユの牢獄とベルサイユ宮殿の関係』について話し始める。


「べルサイユ宮殿に住むのは王様でしょ。王様には双子の兄弟がいて、自分が王になった時、双子の兄を牢獄に閉じ込めたの。死ぬまで出してはならない、って。それを家来に任せるだけじゃ信用できないから牢獄に続く地下の廊下を掘らせたの。いつでも監視に行けるようにって」


「どうして自分の兄弟を閉じ込める必要があるんですか」


「自分と瓜二つなのよ。クーデターを図る者にとって、王と同じ顔を持つ人間ほど利用価値のある人物はいないわ。たとえ兄が王になどなりたくなくても。どちらかが王になればどちらかが囚人になる運命。双子なんて、元々ひとりだったんだからね」


 フランスさんは、老婆が置いていった紙と鉛筆を拾い上げると、作業台に向かった。

「写せばいいのかしら」

適応力、切り替えの早さ、このひとの長所に呆れつつ、感心した。


「写せばいい、といっても結構難しいんですよ。目の前にあるのは完成作品、しかも相当古いものです。作者が、どんな画材を使って、どこからどのように描きこんでいったかなんて、見ただけではわかりません。しかもこれ、古くて、劣化が激しいですからね」

 二玖はちょっと得意げに説明した。


「あら、まるでもうしたことがあるみたいに言うのね」


「したこと、は…」

あった。したことがあった。


「…模写って重要な絵画の訓練なんですよ」


 間違いではなかった。『名画を模写することで習得する力は大きい』と、確か先生は言っていた。一枚の絵を本物そっくりに写し取ることは、本物を描くこととどう違うのか。多分、描くという「労力」だけでいえば、「同じ」だと、二玖には思えていた。


「見分けがつかないくらいに描けたら、今度はそっちが本物、としても構わないのかもしれません」


 言って、それが自分の本心かどうか探ったけれど、もう、声に出した途端、紛れもない本心と成り代わって、二玖自身に取り込まれたようだった。

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