第14話 致命的な剪定


 


 陽炎かげろうゆらめく車道から脇道へ逸れ、さらに入った細い路地は、ほとんど直線を持たない。だからどの方向から陽射しを受けても数歩おきに塀の影があった。こういう道が歩行者にはありがたい。


 ようやく門に辿りつき、門柱の陰で二玖は一息ついた。すると白い軽トラが道幅すれすれでこちらへ近付いてきて、門のそばで停車した。


「お待たせしました」


 足腰の丈夫そうな、日に焼けた老人だ。

 手には使い込まれた剪定鋏を持っている。


「えーと、どなたでしょう」


「本日人材派遣要請がありまして。庭木の剪定ということでお電話頂きました」


 母が気を利かせて頼んだのだろうか。剪定なんて受験生にさせることではないと気がついたのか。汗だくの二玖に引き換えその老人のさらりと羽織った祭りの半被のような作業着は涼しげだ。

 すそひるがえし老人は少し高揚した調子で先を歩いた。


「素晴らしい生垣ですが、残念なことに少々手遅れでもありますな」

「どういうことですか」 


「いえね、生垣というのは定期的に刈ることで細かく枝分かれして垣としての面を作るのですが、」

老人は恨めしそうにこちらを見る。


「長いこと、剪定をせず放っておられた、ですな」

 二玖はうなずき、心の中で言う。

(優先順位としてはかなり低い仕事なんですよ、わたしにとっては)

 


 老人は続ける。

「しかしあんまりにも生い茂って邪魔になったから、」

 二玖。

「そうです、剪定しました」

 老人。

「もちろん、計画性などは…」

 二玖。

「ありません」

 テンポ良い二玖の答えとは裏腹に老人は勢いを失っていく。


「木の種類にもよりますが──このようにばっさりと葉のない部分まで枝を露わにしてしまうと、再生できないことが多いのです」


指し示した所は先日ちょうど二玖が剪定した通りだった。


「この樹種はとくに再生が難しい木です」


「はあ」

二玖にとってそんなことはどうでもよかった。


「穴が、開いてしまっていますね。ほら、ここ。いずれ付いている葉は枯れ落ちてぽっかりと向こう側が見えてしまうでしょう」


 はてさて、とつぶやきながら、まだ望みを失っていないのか、剪定面を撫でるようにして、老人ははさみを入れる。少しずつ位置を変えながら、生垣の上部の茂り具合から根元の風通し、葉の艶、幹の充実度等々、隈なく観察し終えると、「やや」と小さくつぶやいて二玖に向き直った。


「自己紹介がまだでしたな」

 二玖もそれにならい、向き合う。

「あ、どうも」


 『シルバー人材センターの人』以上の個人情報を知る必要性はなかったが老人は構わずフルネームを名乗った。


多古田孝三たこたこうぞうです」


変な間があったのでこれはきっとこちらの自己紹介を待っているんだな、と気が付いて二玖も名乗った。

 もちろんフルネームだ。


「霧野二玖です。つい勢いで伐り過ぎて。何だか取り返しのつかないことをしてしまっていたようで」

「ほほう、あなたが剪定を」


 そこで一瞬黙った。


 沈黙には、若いのに庭の手入れなどして感心、という意味と、余計なことをして、という両方の意味が含まれていそうだった。


 多古田さんは取り繕った笑顔を見せると作業ズボンからさっと軍手を取り出し、早速さっそく手を加えていく。


 しばらく二玖は側で立っていたが、手にぶら提げたカバンも重く、じりじり後ずさりして家へ引き揚げた。


 ともかくは有り難い、と麦茶を一杯飲み干してやっと汗を拭うと、カバンから数学の課題プリントを取り出した。居間のテーブルの上にとりあえず広げて眺める。

           

 網戸にした窓から時々シャキシャキと鋏の音が聞こえてくる。

 何だかおかしな感じ。おじいちゃんが戻ってきたみたいだ。

 そういえばしょっちゅうこうして庭から鋏の音が聞こえたものだ。時々連打するように鋏を鳴らしたかと思うと、今度はしんとした静寂に包まれる。懐かしいのは、どちらかというと空間のほう。そこに在る緑の塊ではなくて過去にそこに在った、空間のほう。


 気がつけば眼を閉じて鋏の音を追っていた。


「もしもし」

 おじいちゃん?

「お嬢さん」

 お嬢さん?


「ここは元々は生垣なんかじゃあないですなあ」


 脚立にまたがった多古田さんの出るに任せた大きな声が網戸を震わせる。


「どういうことですか」


 一気に眠気の覚めた二玖は、網戸越しの多古田さんと目が合う。

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