第11話 クロウ② 【おばあちゃんと孫】


 オウルが生まれて最初の半年は、ほとんど烏貴子がオウルを育てたようなものだった。

美樹は産後の肥立ちが悪くて、しばらく入退院を繰り返した。美樹の夫は駆け出しの医師だったけれど、医学の対象である人間の、成長過程をこの目でみる、といったことに興味を示さなかった。


 消去法的に、オウルは烏貴子と共に生活した。烏貴子の夫、林太郎は定年を迎えて家にいたけれど、これもやっぱり、赤ん坊にはそれほど興味はないようだった。 

 もちろん、初めての孫だから、会うのが待ち遠しかっただろう。オウルがうちに初めて来た日の林太郎は落ち着きがなかった。

「赤ん坊のやわらかいほっぺたに傷を付けたら大変だから」

と、何時にも増して丁寧に、剪定をした。

 

 美樹の体調が良くなっても、オウルは美樹に連れられてよく烏貴子のもとへやってきた。烏貴子はオウルに会えることが何よりの楽しみになっていたから、快くオウルを引き受け、あらゆる面倒をみた。泣けば抱き、ミルクを与え、眠ればその間に汚れものを洗い、室温に気を使い、そっと掃除をした。起きれば再び抱き、ミルクを与え、暖かい午後には散歩をした。

 ふと、美樹を育てた日々を懐かしむ。

 美樹にわたしがしたことは恐らく今と同じようなことだったけれど、美樹とオウルと、それらの日々と。違っている。同じようで違っている。ずっと続いてきた繰り返しは似ていて違う。感じるわたしは別のわたしだ。

 オウルも美樹も、果てしなく愛おしいものに思えた。

 片言を話し始めた一歳のオウルは、烏貴子の話し相手として申し分なかった。出かける時のお供としていつも楽しい気分にさせてくれた。三歳までの、ほんの三年のあいだに色々な場所へ出掛けた。近所の公園、ちょっと遠出をして動物園、水族館。烏貴子はオウルに、色々なものを見せてやりたかった。自分には期限が迫っている、と感じていたから、余計に。


 期限は突然やってきた。

 美樹が急に疎遠になったのだ。美樹の体調のせいだと思い込んだ烏貴子は、オウルだけでも預かろうか、と電話口で提案した。しかし申し訳なさそうに、美樹は言った。


「トシアキさんがね、というか、トシアキさんの両親がね、オウルにきちんとした教育を受けさせたい、って言うの。三歳から入れる英才教育専門の幼稚園があってね、そこへ行かせなさいって。それが、トシアキさんの実家の近くで。母さんにはとても世話になった、って感謝してるのよ。オウルだって、母さんのこと大好きだし。でも、ごめんね、あんまり、連れて行けなくなる」


 美樹が別の国の言葉で話をしているように思えた。


 それからだ。

 烏貴子は、以前にも増して気分のゆらめきを感じるようになった。記憶も曖昧になり、オウルのことでさえ、忘れそうだった。いっそ忘れたら、つらくなかったのかもしれない。

 時間を持て余した烏貴子に残されたのは、絵を描くことだった。


 烏貴子の絵の才能を最初に認めてくれたのは、かつて共に暮らした異国人、ベルネだ。

 ベルネは、烏貴子がまだ十代、戦争の始まる前、日本で西洋人がまだ安全に暮らすことができた時代に、はるばる日本へやってきた。


 ベルネがやって来た日のことは今でもよく憶えている。


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