普通のグルメ ~ラーメン屋編~


マズいラーメンなど存在しない。


いつかのある日、後輩がそう言っていたことを思い出す。


似たような話はカレーとかうどんでも聞いたことがあるのだが、まあそれはおいておこう。


ともかく、マズいラーメンは存在しない。それはつまり、マズいラーメン屋など存在しないということでもある。


真偽の程は定かではないが――少なくとも、好みというものはあるのではないだろうか。





社会人にとって昼飯というのは生き甲斐のようなものだ。午前中はクソであり午後はクソであり残業はクソである中で、昼飯時だけが生きていることを実感する。


愛妻弁当的なモノは一切与えられない……というか与えてくれる相手も居ないので、俺は毎日何を昼飯に食べるかを業務中常に考えている。


オフィス街の近くには、あくせく働く社畜達に向けて、飯屋がずらりと並んでいることが多い。大学の近くに飯屋が多いのと同じ理由だろう。


飯屋を選ぶのにも個性があるだろうが、俺は行きつけの店にとにかく通い続けるような、一店舗に操を立てるタイプではない。


行きつけの店を作りつつも、常に新規開拓を是としている。新たな刺激を求めてやまない性分……と言ってもいいかもしれない。


今日の気分はラーメンだった。とにかく味の濃いスープをすすり、モチモチした麺を一気に頬張って、冷たい水を一息に喉へと流したい。そんな気分だ。


一度でもラーメンを食べたことがあるのならば、誰しもそんな気分になることがあるだろう。


「家でも再現可能な料理」と言えば、色々とあるだろうが、ラーメンはその中でも再現が不可能なものだと思う。


ラーメン自体はインスタントで簡単に作ることは出来ても、ラーメン屋のラーメンというのは自宅では再現が中々に難しい。とにかく手間暇が掛かるからだ。


そもそも、ぐつぐつと食材を煮込んでスープから作るだけの暇など、社会人にはまず存在していないのだが――ともかく、ラーメン屋が世に数多くあって中々潰れないのは、その辺りも理由だと思う。


この周辺も例外ではなく、無数のラーメン屋がある。「○○屋」だの「○○ラーメン」だの「らーめん○○」だの、とにかく数が多い。


ここでインターネットを使い評価を調べる、というような真似はしない。


飯屋との出会いは初々しくあるべきだ。こだわりというわけじゃないが、最初から相手のレベルが分かっていると、何となくつまらなくはないだろうか。


刺激とは未知から来るのである。既知から来るのは安心感だけだ。


俺は未知を選ぶ性分なので――良く分からんラーメン屋ののれんをくぐった。


こじんまりとした、ゴチャついている個人店だ。系列店の類ではまず有り得ない雑多なこの感じ……体の奥がざわついてくる。


入ってすぐには案内されないのも特徴だろう。夫婦で切り盛りしているからか、人が慢性的に不足しているのだ。


店長のおっちゃんは俺に見向きもせず、ひたすら中華鍋を振るっている。おばちゃんは配膳に忙しい。


居心地の悪さを入り口で十数秒味わっていると、おばちゃんが「一人?」とだけ聞いてきた。一も二もなく俺は頷く。


「空いてるとこで」とだけアバウトに告げられた。こういう時床とかに座ったらどうなるんだろう……みたいなクソガキじみた妄想をしながら、手近なカウンター席に腰を下ろす。


店内はまばらに客が居た。昼飯時なのに待ち時間が発生していない――この段階で察するものはあるかもしれない。


が、全く客が居ないわけでもない。むしろ常連なのか、店の上部にある古いブラウン管を観ているおっさんや、いつのものか分からないスポーツ新聞を広げているおっさん、もうアルコールに溺れているおっさん達が、空っぽの器をそのままに寛いでいる。……おっさん多いな。


メニューは全部手書きで、写真とか気の利いたものは載っていない。名称から察しろ、とでも言いたいのだろう。


どちらかと言うとここはラーメン屋というより、個人経営の中華料理屋の趣が強いのかもしれない。でも看板はラーメン屋だった。謎である。


カウンターはちゃんと拭いていないのか、ややヌメヌメしている。油をとにかく使う厨房に面しているからだろう。スマホを置く気にはなれなかった。


水は最初の一杯だけおばちゃんが持って来る。アサヒビールの小さいグラスに、水だけが注がれている。氷のような気の利いたものは入っていない。


そこは気を利かせて欲しいが、何も言わないでおいた。因みに、雑巾の上に置かれているプラスチック製のピッチャーの中は、ぬるい水で満たされている。


二杯目からはこれで、と言うことだろうが……もうぬるくなっている。水がぬるいラーメン屋、その絶望感はフリーザと初遭遇したクリリン達にも勝るとも劣らないだろう。


あまりメニューを眺めていても仕方ない、というか心躍らない作りなので、俺は豚骨ラーメンを頼んだ。


通は塩だの、醤油ラーメンの出来でその店のレベルが分かるだの、そんな寸胴と一緒に煮込まれてしまえと言いたい論を展開する奴も居るが、俺はとにかく味の濃いラーメンが食べたかったのだ。


しばらくスマホを眺めていると、ドンっという壁ドンじみた音を立てて、横からおばちゃんが丼を滑らせて提供してきた。


「はいラーメン」と言っていたが、多分何のラーメンか覚えていなかったのだろう。塩、醤油、豚骨の値段は一緒なので、向こうからすれば違いなど無いのかもしれない。


余談だが何故どのラーメン屋も味噌ラーメンだけ高く付くのだろうか。この店も例外ではなかった。


さて、昼飯を楽しむとはいえ、別段俺はグルメ気取りではない。写真を撮って批評するつもりもない。


割り箸を不揃いに割って、水を一口、そしてレンゲでスープをすくう。ずず、と飲み込んで、そのまま麺に挑むのがラーメンを食べる時のルーチンだ。大体の人間がこのルーチンな気はする。


……。…………。………………。


何か味薄くない?


いや、待て、水が口の中に残っているからか? 結論を急いてはなるまい。


ズズ…………。


……。…………。………………。


これ味薄くない?


てかもう断言するわ、薄いわ。水かと思ったわ。いやそれは大袈裟過ぎたわ。水っぽいと言うべきだわ。


何だろう、香りは豚骨ラーメンの生臭いそれだ。「身体は獣で出来ている」と言いたげな、あの人によっては吐き気を催す豚骨臭。


それはこのラーメンから感じるのだ。そして往々にして、その豚骨臭は舌が痺れるぐらいの味の濃さに繋がるはずなのだ。


だがこのラーメンは違う。スープがちょっとシャバってるし、物凄く飲みやすい。だがその飲みやすさは別に褒めているわけではなく、大体液体というものは水に近ければ近いほど飲みやすいものなのだ。


しかし飲みやすい≠美味いでは決して無いことは頭に留めておかねばなるまい。


何だろうこの……ほのかにあとから感じる若干の豚骨感は……。数秒後に気付いたら俺の舌の上で豚が死んだかのような、そんな気付いたら死んでたナランチャみたいな香り方は……。


いや、もしかしたら麺に何か秘密があるのかもしれない。


麺とスープが異様に絡んで、そして凄まじいハーモニーを発するのかもしれない。


ズズズ……。


……。…………。………………。


普通~~~~~~~~!


ザ・中華麺という感じの中華麺だ。小麦粉のわざとらしい口当たりが、味の薄いスープと全く調和していない。


麺とスープが絡むだの何だの言ってしまったが、こいつら全く絡む気ないわ。三年間全く喋ったこと無いクラスメイトを卒業後に同じ電車で発見した時のアレな感じに似てるわ。互いに存在を認知してるけど一切関わらないわ。


じゃあ具はどうなんだ? もしかしたら死ぬほど美味いのかもしれない。


こうやって何かに縋ろうと丼の中の希望を探している時点で、もう俺は敗北している気がしなくもない。


具は……メンマ、チャーシュー、もやし、そしてナルトの四つ。紅しょうがも乗っていたが、紅しょうがは風味破壊の王と俺は思うので最初に排除しておいた。


まずはメンマを口に放り込む。


クチッ……クチッ…………。


……。…………。………………。


ゴム製かな?


どこぞの悪魔の実でも食ったのかもしれない、このメンマは。本来メンマに期待する歯応えやシャキシャキ感と言ったものを犠牲に、この味の薄いグランドラインで覇を唱えるつもりなのだろう。懸賞金は¥680だ。雑魚やんけ。


俺はもやしに箸を移した。もやし……もやし! ヤバイぐらいに普通のもやしだ。全く代わり映えがしない。ラノベ主人公の語る「普通」ぐらいに異常さがあれば良かったのに、このもやしはキョロ充の語る「個性的」ぐらいに普通だった。


シャコッ……。


……。…………。………………。


MOYASHI……。


それ以外の感想が浮かばない。貧乏人の救世主たる、あのもやしだ。世紀末救世主伝説だ。でも全く俺を救おうとしない。すぐ口からペンキ吐いて死ぬアイツに似てる(パチスロ並感)


チャーシューを食べてみる。ラーメンにおける裏の顔と言えばチャーシューだ。多少ラーメンが不味くても、チャーシューが美味かったら何となく許せる、そんな免罪符みたいな存在。ラーメン界のネゴシエイター、それがチャーシューだ。


クチッ……。モッ……モッ……。


CAST IN THE NAME OF GOD, YE GUILTY. (我、神の名において叉焼を製造する。汝ら死刑)


何だこれは……無限に噛める豚味のガムなのか……?


硬い、筋っぽい、味がない、という地獄の三連星が俺の舌を踏み台に胃袋へジェットストリーム虚無アタックを仕掛けてくる。


因みに叉焼は二枚しか入ってない。オルテガ不在だった。


最後にナルトを見る。「真打ち登場だってばよ!」みたいなことは全くなく、どちらかと言うと「分かるってばよ……」みたいに、俺にやたらと同情的な感じがした。もう自分でも何言ってるか分からん。


…………(無音)


……。…………。………………。


悲しみは頬を伝って涙の河になるだけ


揺れる想いは強い渦になって溶け合うのよ(神曲)


まず「美味いナルト」というものを俺は知らない。うずまきナルト連弾とか螺旋丸とかなら割と知ってるけど、前者はもう終盤一切出番無かった気がする。


俺の口の中でせめて仙人モードぐらいは使ってくれと思ったが、NARUTOは特に何の感慨もなく胃の中へSASUKEした。


すげえなこのラーメン……ジャンプオールスターズじゃないのか……?


よくよく見ると、店長のおっちゃんが持っているお玉は、命を刈り取る形をしていた。(強引なBLEACH)



……。…………。………………。



きっちり完食して、¥680を支払う。出されたものは全部食べるし、味がどうあれ踏み倒すようなことは絶対にしない。社会人として当たり前のマナーだ。


しかし、強い真昼の日差しに目を細める俺の脳内は、虚しさで満ちていた。


マズいラーメンは、存在しない。


これはこれで好きな人がいるかもしれない。つまり、この言葉は万人がマズいと思うようなマズいラーメンは存在しない、と言うことなのかもしれない。


……何故この店は潰れないのだろう……。





「あ、先輩お疲れ様です」


職場に戻ったら、後輩が椅子で寛いでいた。こいつはこいつで中々にグルメらしいので、俺は苛立ちを隠せずに、この昼の顛末を全て語って聞かせる。


後輩は「あー、あそこ」と頷き、そして「ははは」と笑った。何だコイツ喧嘩売ってんのか?



「あの店チャーハンめっちゃ美味いんすよ」



ラーメン屋とは何なのか(哲学)




《終劇》
















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練る前の小麦粉 ―突発的短篇集― 有象利路 @toshmichi_uzo

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