第3節-E

 目を開くと部屋の中は暗く、青い光が充満していた。時計を見るとまだ午後四時だと言うのにどうしてこれだけ暗いのか、そう思いながらカーテンを開くと、空を厚い雲が覆っていた。そして部屋の隅のゴミ箱には、茜の電車事故が一面記事になっている新聞が丸めて捨ててある。これを見た時、あの後西野がもう一度過去を書き換えたのだという事を否応無く思い知らされた。


 「なんでアイツは三度も死ななくちゃならなかったんだ?」


 茜は自覚していないが三度死んだ事になる。その事実に思い至った時、清田の口からは思わず乾いた笑いと共にこんな言葉が漏れてしまった。彼女は何も知らないままもう一度電車に轢かれて死んだのだ。そして口にはしなかったが、彼が過去になど干渉しなければこんなむごい事にならなかったのも分かっていた。ナイフで腹を刺された時、彼女はどれだけ痛かったか、無念だったか。それを思うだけで行き場の無い怒りが彼の脳から足のつま先までやってきて、やはり過去になど戻った自分が馬鹿だったと思わざるを得なかった。


 (清田……君……)


 そして新聞を見ていると、あの幻聴までまた聞こえてくるではないか。過去に戻ろうとこの幻聴はついてくるのか。そう思うと清田はイヤになって、また新聞を丸めてゴミ箱に叩き捨てた。彼はもうこの部屋にいたくなくなって、部屋を出ようと引き戸へ向かう。その下に出来た隙間からは細い光がやってきていた。自室の引き戸を開くと、その光が膨らんで暗闇に慣れていた目を眩ます。

 瞑っていた目を開くと、母がテレビもつけず沈鬱な表情でリビングに座っていた。そして清田の顔を見るや否や泣きながら清田の方を見て、それからどう声をかけるべきか分からなそうにわなわなと肩を震わせる。思えば清田はこの時、茜が死んだという事を信じられず毎日外へ出て行っては夕飯をコンビニで買い食いし、深夜0時を回ってから帰宅する様な生活を続けていた事を思い出した。当然こんな事を続ければ母とは仲違いするし、一ヶ月もしたら外にすら出ない引き籠もりになってしまっていたのだからとんでもない親不孝であったのかもしれない。そう一瞬思いはしたが、今もそれほど母と話をしようとは思えなかった。


 「敦。茜ちゃんの葬式が今日あるけど、行くかい?」


 だんだんと清田の中の記憶がはっきりしてくる。確かにそんな事を言われた記憶があったが、かつてはそれを無視し、葬式に行かなかったのだ。あの時は葬式に行ってしまったら、茜が死んだ事を肯定する事になってしまう様な気がしたからである。


 「ああ、行ってみるよ。制服着ていけば良い?」


 だが、今の清田は違った。茜が死んだ姿を二回も見て、しかもこれが三度目の死となれば彼女がいなくなった事をイヤでも理解してしまう。この質問に対して母はそれで良いよ、とだけ言ってまた次の言葉を探し始めてしまった。

 清田は制服に袖を通しながら、葬式に行く準備を整える。電車に轢かれてしまったのだから、彼女の死体は棺桶の中に無いだろう。それもまた彼がかつて葬式に行きたくなかった理由の一つで、茜はもう本当にこの世から消えてしまったのだという事実を突きつけられる様な気がしたからだった。だが、今回は違う。踏切の前で足がすくんで助けられなかった事も、木村の事を殺す前にナイフを突き立てられてしまった事も本質的には同じなのかもしれない、だが、今回は茜を守れなかったという自責と悔恨の念が止めどなく押し寄せてくるのだ。その理由も分からないのに、清田の脳内ではあの幻聴がより激しくなる。茜が自分を呼ぶ声がどんどん大きくなる。何故かは分からない。しかし、とにかく葬式に行って茜と別れを告げる事が出来ればこの声も収まってくれるかもしれないという無根拠な思いだけがあった。

 制服に着替え家を出ようとした時、母がもう一度清田に声をかける。


 「敦。とても辛いだろうけど、敦だけは……敦だけは父さんみたいにならないで。お願いだから……」


 玄関から清田は母の方を向かずに「分かってる」とだけ呟いて家を出た。母に聞こえているかは彼にも分からなかった。母からすれば父の様に研究者として夢破れた父の様に自分まで死んで欲しくないのは当然だ。しかしこの言葉に対して清田は、はっきりと死なないとは答えられなかった。清田が一番、もう自分の限界が近い事は分かっていたのだから。

 どうせこのまま現実に戻ってもよく分からない戦いに巻き込まれ続けるなら、いっそ茜と同じように電車に轢かれて死ねばもう戦わなくて済むのかもしれない。茜を助けても現在自体が消えてしまうならば意味が無いのだから、これ以上戦っても――そう思いながら漕ぐ自転車のペダルは重かった。


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近未来的過去への旅路 co.2N @abyrhydos

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