瑠璃色の花

@koshiankojk

第1話

ふつう悪魔というものはフォークだのペンシルだの貝殻の中だの(ごくまれに人の心)いろんなところに隠れている。そして虎視眈々と悪さをする好機をうかがっているのである。

 

あくまはきのこの下で暮らしていた。たいそう腹がすいていた。数千年なにもたべていなかった。否、体が受け付けなかった。旨そうな獣肉や草や花や挙句の果てにはヒトの食い物まで手を出した。しかし吐いた、吐いた吐いたはいたはイた。吐いた。あくまはこのまま飢え死にするのもいいなぁ、と、軽くため息をついた。あくまは筋張った手であばらの浮出た胸を撫でた。

あくまは何も悪さはしていなかった。ただきのこの下にひとりで座っていたのだ。雨の日も。風の日も。

その日は晴れていた。鳶が円を描いていた。

「これ、食べますか…?」

その時何かを差し出したものがあった。差し出されたものが何かあくまには理解らなかったが、漂う旨そうな匂いに唾液が止まらなかった。

「それは…なんだ…?」

あくまはそう絞り出すのが精一杯だった。早く食べなきゃ死んじゃうでしょ、と急くような声が聞こえた。

不思議なことにそれはどうしようもなく美味かった。気づけば完食していた。

「あり…が…」

「そう!あり!ありだけじゃないんだけどね!食べられたみたいでよかった。」

彼女は瑠璃色の蜘蛛だった。年頃でかわいらしく何より明るかった。あくまとは正反対だった。蜘蛛の自慢は数が数えられることとその美しい脚だった。

その日以来あくまの腹がすくことはなかった。

「私の脚は12本あるけれど悪魔さんの脚はどうして2本なの?」

蜘蛛の脚は何度数えても12本には足りないような気もしたが、生憎あくまは数が数えられなかった。どうしても4までしか数えられなかった。しかしそんかことはどうでも良いくらい本当に彼女の脚はつやつやと美しかったのだ。


蜘蛛の持ってきてくれる食い物もだんだんと少なくなっていった。しかしあくまは蜘蛛が好きでたまらなかった。

ある冬の夜だったか。

あくまの腹の虫の機嫌が悪かった。腹がちぎれそうな空腹感にあくまは目を覚ました。苦しい。

この空腹感は前に感じたような気がする。なんでもいいから食べたい。

隣で寝息を立てている蜘蛛の脚を見ているとどうしてもそれを一本だけでいい。食べたかった。ダメなのはわかっている。しかし瑠璃色の滑らかな脚は至極旨そうだった。

ぺきぃ、と脚は簡単に折れた。一瞬蜘蛛の呼吸が乱れたが、それだけだった。血は出なかった。

もちもちしていて柔らかくてその脚はありなんぞよりもずっと美味しかった。もっと食べたかったがあくまはそれだけで満足だった。


次の日の朝あくまは聞いた。

「脚の調子はどうだい?」

「あら悪魔さん。おかげさまで12本とも元気よ」

この蜘蛛、数が数えられないんだ。あくまは悟った。


その日の夜も腹のすいたあくまは蜘蛛の脚を食べた。

一晩に一本。12本もあるんだからすぐに飽きるだろう。嬉しいことに蜘蛛も気づかないみたいだし。


7日目の晩が終わった。蜘蛛は動けなかった。

「あら悪魔さん、私なんだか脚の感覚がないようよ。しかも立てないし。」

「腹が減ってしまったのだな、私がとっておきをとってきてやろう、な。」

「あくまさん、ありがとう。」


9日目の晩がはじまった。蜘蛛の脚はもうなくなっていた。12日と言うものはこんなにはやいものだったのだろうか。その晩は増して一層あくまの腹がすいていた。何かおかしかった。見回しても殺風景な森にはあり1ついなかった。あくまは蜘蛛の腹を撫でた。


ぐしゅ、ぱきぃ、さくっ、ごくり。


月は出ていなかった。


次の朝、満腹の悪魔を起こす声はなかった。

その晩、悪魔と語らいながら眠る声もなかった。

悪魔はその蜘蛛を手にかけなければよかったと後悔した。しかし、1番腹がうまかったじゃあないか、と自分に言い聞かせながら過ごした。


それ以来悪魔は何も食べなかった。

「あの」空腹に襲われようが、他の者が食い物を持ってこようが構わなかった。

悪魔ははきのこの下で暮らしていた。たいそう腹がすいていた。もうずっとなにもたべていなかった。否、体が受け付けなかった。受け付けたくなかったのだ。心も体も空っぽにして抜け殻のようにしていた。ただ、愛する人が最後の晩餐だったのだなぁ、と悪魔は涙を落とした。その体には蔓が巻きつき、元の原型を留めなくなっても悪魔は生きていた。その蔓が蕾をつけて綻んだ。瑠璃色の花だった。

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