第6話
気怠い体を引きずって、気づけばふらふらと部屋の中を歩いていた。首の縄は擦れて千切れている。それを手で引っ掻くとぱさりと縄が落ちた。
その縄を手に持って僕は再び歩き出すと、赤ん坊のぐずる声が聞こえてきた。
僕はその音がする方へ歩いて行き、ドアノブをくるりと回す。そろりと近づき、屈んでベビーベットの隙間をのぞいた。
するとぱちりと目が合った。
その目玉の色は、僕と同じ色をしていた。
ふかふかの布団の中に、その赤ん坊は包まれている。その布団を小さな手で押してみた。それは簡単に腕が沈んでいった。
瞼を閉じれば、真っ青な空の中で雲の上に横たわる僕が見えた。
それほど僕にとって縁遠く、柔らかなものだった。
僕はゆっくりと呼吸をする。鼻を鳴らすと、甘ったるいミルクの香りがした。どこから匂うのだろうかと、目を閉じながら首をきょろきょろ動かすと、鼻先にふわりとやわらかいものが当たった。
目を開ければ、僕は赤ん坊の首元に顔を擦りつけていた。
顔を上げると、その赤ん坊は無邪気に僕を見つめている。
その時僕は気がついた。
赤ん坊のとなりに、小さな熊のぬいぐるみが寝かされていた。
首にはリボンが巻かれている。
「ここにいたんだね、スティーブン」
僕がにこりと微笑むと、赤ん坊のきゃっきゃとした笑い声が響いた。
子熊のスティーブンも笑っている。
僕とおんなじ茶色の目が笑っていた。
ここにいるのはみんなスティーブンだ。だったらみんなにリボンを結んであげよう。
僕はまだ、ママにリボンを結んでもらっていないスティーブンの頬をつついた。ぷくりとふくらんだ頬が指の形に沈んでいく。
「おいで、スティーブン。リボンを結んであげる」
僕はそう言って、手に持っていた縄をその赤ん坊の首に巻きつけた。そして、その両端をきつく捻り上げた。
キリキリと締まっていく柔らかな首が、ぐっと後ろに反れて、白い肌が徐々に赤くなっていく。
ふと子熊のスティーブンに視線をやると、茶色い目玉が僕をじっと見つめていた。そうしている間も、赤ん坊の柔らかい首はどんどん締まる。
抵抗をしようとしないその体は、ぐにゃりとよじれて、やがて動かなくなった。
うふふと笑う声がする。
その横で眠っているスティーブンが僕に笑いかけてきた。
僕もにこりと微笑んだ。
ベビーベットによじ登り、動かない赤ん坊のとなりに寝転がる。小さなスティーブンを手にとって、ぎゅうっと胸に抱きしめた。
「ねえスティーブン、もうすぐママが帰ってくるよ」
胸に抱いたスティーブンに向かって呟いた。
首にリボンをつけたスティーブン達は、やわらかな布団につつまれて、すやすやと眠るのだ。
それを見て、ママはどんな顔をするだろう。
僕はうふふと微笑んだ。
想像の世界ではない、ふわりとしたベッドは暖かく、僕を優しく夢へと誘う。
しばらくすると、まどろむ中で、ママの優しい香りが鼻をくすぐった。ママの指が僕の頬とうなじを撫でて、ピタリと止まる。
目を開けると、見たこともないような顔をしたママが、真っ赤な顔をして僕を睨みつけていた。
優しい声が聞きたいのに、どうしてだろう、ママはずっと泣き叫んでいた。僕の肌に食い込む指が、ぎりぎりと爪を立てていく。
喉を引き裂くかのように、ママは僕の首を締めていた。
魚のようにぱくぱくと動く僕の口は、声も出せぬまま「ママ」と叫ぶ。届かない声の代わりに、小さな手を伸ばしてママの頬に初めて触れた。
けれどもその手は、かわいた音を響かせる冷たい手で、いとも簡単に払い除けられてしまう。
喉を押しつぶす痛みに、ピンと伸ばしたつま先は、激しく震えて上下に揺れる。動かない体のかわりに目玉をぐるりと動かした。
揺さぶられた僕の頭はベッドの柵に打ちつけられ、その度に僕の脳みそはゆれて視界が定まらない。
すぐに覚えのある香りがして、夢の中を思い出した。目眩と吐き気と痛みのなか、視界の端に移るスティーブンを見つめた。
茶色い目玉が青く光っている。くすくすと僕を嘲笑う口元が、あの少年のようだった。
僕の首には、まるでリボンのように、血の滲んだ真っ赤な跡が巻かれている。
薄れゆく意識の中で、付けっ放しのテレビの音が耳に響いた。
「おいで、スティーブン。首にリボンを結んであげる」
そう僕に言うのは、部屋からもれてくる可愛い声。
いつも聞いていたその言葉は、死にゆく僕の手をひいた。
子熊のスティーブン あつしれんげ @renge56
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