第5話
エドのいる小屋を後にして、僕たちは歩き出した。
ひらひらのスカートをなびかせて、ミシェルは僕の前を歩いていく。ミシェルによく似た人形を抱いて、僕もそのあとをついて行った。
「ねえ、ミシェル。 この子の名前、なんていうの?」
そう僕が言うと、ミシェルは立ち止まり少しの間考えたあと唇を開けた。
「ミシェル」
「これはミシェルなの?」
「違う、俺じゃない。けれどミシェルだよ。俺がミシェルになったんだ」
「だからそんな服を着ているの?」
僕のその問いに、ミシェルは何も答えなかった。その代わり、僕の首にうっすらと残る、繋がれた跡を指でなぞった。
それは僕の胸をすべり落ち、そのまま腰へ手を伸ばす。
「この先を真っ直ぐ行けば、あいつに会える。 きっとお前の探し物が見つかるはずだ」
ミシェルは僕の耳元で囁いた。
気づけば僕が抱いていた人形はすでに無く、その方角へ指を指すミシェルの腕に抱かれていた。
そしてミシェルは僕の元を去り、来た道を歩いて行く。
一人ぽつんと置いていかれた僕は、ミシェルに教えてもらった方角へと足を運んだ。森を抜けて、草むらがずっと続く道は気が遠くなるほど長く、僕のまわりには蝶や蜜蜂が飛んでいる。
蜜蜂はぶんと羽をならせ、耳を掠めて空へ飛ぶ。
僕はそれを目で追った。
蜜蜂は上下に揺れながら空高く、蜜を探して飛んでいた。
その中に、僕の頬にばちりとあたって落ちてしまった蜜蜂がいた。地面に落ちた蜜蜂を拾うと、お腹の方が何故か血で濡れている。
頬を拭うと、赤くべたついたものが指を染めていた。
その匂いを嗅げば、甘く生臭い。何故だろうか、僕の心の中は寂しさでいっぱいになっていた。僕の唇は「ママ」と形をつくり、呼んでいる。
早くスティーブンを見つけて帰りたい。僕は足を早めて草むらを抜けた。
しばらく歩いて行くと、煉瓦の道が姿を現す。
明らかに人の手によって整備されたそこは、真っすぐと綺麗に並べられた煉瓦を囲むように、色とりどりの小さな花が咲いていた。
煉瓦の道はひんやりと、僕の裸の足を冷やしていく。ここには僕の足の裏を刺すものは無く、何ともここち良い。
鼻歌を歌いながら歩いて行くと、庭の広い可愛らしい家が見えてきた。
この庭の住人は、花をいじるのが好きなのだろうか、家をぐるりと囲むように、様々な草花が植えてある。整えられた垣根には、小さな赤い花が咲いていた。
僕は木の柵になっている門を開けて、その家の庭に足を踏み入れた。さくさくとやわらかな芝生が、僕の足をくすぐっている。
僕はうふふと足の指を動かした。
すると、僕の足元をするりと何かが掠めていった。
それを目で追いかけると、草の影に潜むように一匹の鼠のようなものが、鼻をひくひくと動かしながら僕を見つめていた。
鼠と言うには尻尾は短く、あまりにも可愛らしい姿に僕は首を傾ける。
手を伸ばしそっと捕まえれば、それは僕の手のひらでもぞもぞと動いている。触ったことも無いような柔らかな感触に、僕の心がふるえた。
僕はそれを手でつつみながら、その家の中へと足を運んだ。
ドアノブを回し、玄関のドアを開ける。その隙間から見える長い廊下は、掃除がいきたわり、靴箱の上のランプが明るく照らしている。
エドのいたあの小屋とは大違いだ。僕は捕まえていた鼠を、両手が使えないのは不便だと庭へ放した。
そして僕は、ゴミの落ちていない廊下を歩いて行った。
いくつもの部屋のドアを開けていき、中を覗いて行く。清潔なトイレや広々としたバスルーム、難しそうな本がたくさん置いてある書斎。そして、リビングにある大きなソファーはやわらかく、僕の体がふわりと沈んだ。
ソファーのすぐそこの壁には、家族写真が飾ってある。この家の住人は、四人家族のようだった。けれどもすぐに、三人なのかもと僕は首をひねってしまう。
幸せな顔をして家族写真に写る子供たちは、双子のように顔立ちは似ているけれど、肌の色はまったく別の色をしていた。
部屋をぐるりと見わたすと、ダイニングテーブルのそばには、女性らしい趣味で整えられた台所が見える。
鍋や調味料が綺麗に並べられて、様々な料理を楽しんでいるようだった。僕は蛇口とコンロの間に置いてある、ミキサーに目が止まる。ソファーから下りて、まだ中身の入っているそれに近づいた。
中からは美味しそうな林檎の香りがして、僕の喉はゴクリとなる。
棚からコップを出して、ジュースを注いで飲み干した。ざらりとした林檎の皮の食感が、粒となって僕の舌に残る。
それを舌で動かし味わいながら、この部屋を出た。
ドアのそばには二階に上がる階段が伸びていた。絨毯のひかれた階段は、らせん状になっており、慣れない僕は手すりを使って上がった。
二階に上がれば、たくさんのドアが並んでいた。僕は次々それを開けていく。
大きなベッドが置いてある寝室に、質素な客室と二段ベッドが置いてある子供部屋。その部屋にも、リビングで見た子供たちの写真が飾ってあった。
それらの部屋を後にして、さらに奥の扉を開けていく。
その部屋は、誰にも使われていないみたいに、家具には埃除けのシーツが被せてあり、人の気配が全くしなかった。
きょろきょろと目を動かして部屋を見渡していると、僕の背後で「やあ」と明るい少年の声が響いた。
すぐに振り返ると、さっきまで誰もいなかったはずのこの場所に、浅黒い肌の少年が立っていた。
「スティーブンだろ? ペティが話していた。ここで何をしているの?」ときらりと光る青い目が話しかけてくる。
「探し物をしているんだ」と僕が言うと「ふうん」と答えて、その少年は椅子や机に被せてあるシーツを外した。
「きみは誰? 僕を知っているの?」
「お前だって僕を知っているだろ」と僕に目を合わせた。よく見ると、目の前の少年はリビングに飾っていた少年と同じ顔をしている。近くに寄ると、背丈は僕とよく似ていた。
そして、耳が少しだけ欠けている。ミシェルやエドが言っていた「嫌な奴」とはこの少年のことだろうか。
「もうひとりの子はどこに行ったの?」
「あれは双子の兄さん、ここにはいない。僕は龍巳だよ、スティーブン」
「変な名前、外国人なの?」
「違うよ、双子の兄さんとは、あべこべの名前をつけられたんだ。祖母はアジア系だからね。兄の名はマシュー、この国の名前で、僕はよその国の名前」
「全く似てなかったもんね」と僕が笑うと「そうだろ」と龍巳も笑った。
「ねえ、龍巳。僕のスティーブンを知らない? どこかに行ってしまったんだ」
そう言うと、シーツを外した椅子に龍巳は座り、「どうぞ」と僕をうながした。
「そんなことよりお茶にしないか?」
龍巳はにやりと唇を歪ませ笑った。
何もなかったはずのテーブルの上に、いつのまにかポットやティーカップが置かれていた。
カップの中を覗くと、いい香りがしてくる。その隣には切り取られたパイがお皿に乗っていた。
「何のパイなの?」
「友達のミートパイだよ」
「お友達からもらったの?」
「・・・うん、そうだよ」と龍巳は唇の端を釣り上げて笑った。ブルーの目玉がきらきらと光っている。
手で掴んで一口食べると生地の甘さと、甘酸っぱいトマトに煮込まれた肉の味がした。
それを見て、何が可笑しいのだろうか、龍巳は手を叩きながら声を上げて笑っている。
「スティーブンを探しているんだってね」
「さっきからずっとそう言ってるんだけど、みんなが知らないんだって」
パイを口いっぱいに頬張って僕は答えた。龍巳はにこにこ聞いている。
「みんなが見ていないのは当たり前だよ。僕が持っているからね 」
「ほんとうに?」
「嘘はつかないよ、だってこれ以上に面白いことなんてないもの」
どういうことなのか分からなくて、僕は首をひねった。
龍巳は何も言わずに指をさした。その先に視線を移すと、銀色の大きなお皿に、銀色の丸い蓋がかぶせてある。
「あけてみて」
そう龍巳が僕に囁いた。伸びてきた彼の腕がしっかりと肩を抱き、僕は身動きができない。僕はかぶせてある蓋を指でつまんだ。
それを開けると、甘く香ばしい香りが鼻をついた。
銀のお皿にのっているのは、お腹が破けて腹わたを出している子熊だった。ぐにゃりと血の滴る腸を出して横たわっていた。
「スティーブン?」
ふるえる声でそう言うと、龍巳がけらけらと声を上げた。
「食べちゃった、お友だちを! 食べちゃった! 美味しかったかい? スティーブン?」
手を叩いて笑う龍巳を振り払い、力いっぱい押した。地面に倒れた龍巳はまだお腹を抑えて笑っている。
「ああ、可笑しい。ふふ、ふふふふ。ずっと探していたのに、もういないんだねぇ、スティーブン」
そう笑いながら地面に転がる龍巳を僕は見下ろして、テーブルの上に置いてあるフォークを手に取った。
寝転がっている龍巳の前髪を掴み、目玉をつこうと腕を振り上げると、彼はにやりと笑って僕に指をさした。
「きみと同じ、茶色い目をしたスティーブンだ」
お構い無しに振り上げた僕の腕は、その青い目玉をくり抜くようにフォークを刺す。引き抜いた青い目玉はぎょろりと僕を見つめ、血が滴る頭はがくがくと笑っていた。
「冗談じゃないか、スティーブン。何をそんなに怒っているんだい?僕の目玉を返してくれ」
血だらけの手で押さえながら、龍巳は僕に退いてくれと言う。
そしてフォークに刺さる青い目玉を抜いて、きゅっと元に戻そうとした。
血で真っ赤になった目玉が僕を見つめた。
「きみのスティーブンはあそこにいるよ」
指を刺す方を見ると、部屋の隅にぽつりとベビーベットが置いてある。
まだけたけたと笑う龍巳を放っておき、僕はそこに足を進めた。
柵を掴んで覗き込めば、僕のスティーブンがすやすやと眠っていた。
けれどもその首には、何も結ばれてはいない。
すると、いつも聞いていたテレビ番組の音楽が聞こえてきた。それは四角く切り取られた狭い空間で、少しだけ開いた扉の先から聞こえてくる。僕は瞼を閉じて耳を澄ました。
「おいでスティーブン、リボンを結んであげる」
ママのように優しく語りかけるのは誰の声だろうか、色鮮やかな夢の空間を惜しむように僕は目を覚ました。
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