渡り川

にゅーおでん

渡り川(ショートショート)

 どのくらい走ったでしょう。

 旧式のミラジーノに身体をゆすられながら、ひたすらまっすぐ、山道を走っておりました。

 左右どちらを見ても木や草ばかり。前も後ろも緑で埋めつくされています。

――どこまで行けばいいんだろう。

 自分で自分に問うたとき、急に視界が明るくなりました。視野が開き、やっと森を抜けたんだ。そう思いました。

 つぎの瞬間、なにかがフロントガラスに飛び込みました。白い猫のように見えました。私は慌ててブレーキを踏みました。

 高い空に、水平線。ガラスが割れた様子はなく、しかし前方には道がありませんでした。

 行き止まりを前に、私は車を降りました。森を抜けたすぐ先は、崖になっておりました。もう少しで落ちてしまうところだった。水平線を前に、私は思いました。もう少しで、この大きな川に落ちてしまうところだった。

 振り返ると、先ほどまで乗っていたはずのミラジーノが見当たりませんでした。ミラジーノの代わりに、てのひら程の、小さな招き猫が、土の上にちょこんと座っておりました。

 先ほど飛び込んできた白い猫だ、と私は思いました。それと同時に、おばあちゃんのタバコ屋にあった招き猫だ、と私は思いました。そう思うなり、小学三年生のときに私が割ってしまった、おばあちゃんのタバコ屋の招き猫だと、とうとう確信するにいたりました。

 にゃぁ、と招き猫が鳴きました。おいでおいでと、私を誘いました。

 私は招き猫に近づきました。私が割ってしまった招き猫に、近づきました。にゃぁ、と鳴く招き猫の頭に触れた途端、私はタバコ屋さんの前にいました。おばあちゃんのタバコ屋さんの前にいました。店番をしているはずのおばあちゃんの姿はなく、奥にはあぐらをかいてテレビを見ている、おじいちゃんの姿が見えました。

 おばあちゃんの代わりに、奥にいるおじいちゃんを呼ぼうと私は思いました。勘定場に手をかけ、私は身を乗り出しました。すると、私のひじに当たった招き猫が、床に落ち、大きく音をたてて割れました。

 私は驚き、音のした方を振り返りました。こなごなになった招き猫と、いつの間にかそこには、おばあちゃんがいました。

「おうちにけぇり」

 おばあちゃんは言いました。

「おうちにけぇり」

 私の身体は大きく宙に舞い上がりました。下から押し上げられるように、ぐんぐんと、空へ空へと昇っていきました。

 あっという間に雲を追い越した私は、眩しい光に包まれながら、あぁ、このままでは太陽に焼かれてしまう、と思いました。全身で熱を感じ、宇宙に放り出される途中、五年前廃車にしたミラジーノが、どこからともなくやってきて、私の身体を通り抜けていきました。

 私は、おばあちゃんのタバコ屋さんが壊されてしまった、ずっと前の日のことを思い出しました。私は、おばあちゃんのタバコ屋さんが道路になるずっとずっと前に、おばあちゃんが死んでしまったことを思い出しました。そして、それよりずっとずっとずっと前に、おじいちゃんが病気で死んでしまったことを思い出しました。

「おうちにけぇり」

 遠くでおばあちゃんの声が聞こるなり、あたりが真っ暗になりました。

 そうして私は、病院のベッドで目が覚めました。

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渡り川 にゅーおでん @new_oden

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