第14話 宝探し

第八章


二〇一六年九月二十六~二十七日


 事件後も、中浦酒造は酒の出荷のために営業を続けていた。しかし、酒造組合の協力によって、貞夫が亡くなった翌日までに、急ぎの出荷は一通り終了した。社員の疲労を鑑みた菊池たちは話し合いの末、社長の告別式の翌日から四日間、会社を休業する決定を下した。

 休業初日、私たちは三人で会社を訪れた。菊池が醸造課の様子を確認しに来ていただけで、会社の中は無人に近い状態になっていた。

 醸造課の窓から顔を出し、母屋を遠巻きに眺める。醸造課から観察する限りでは、母屋にも人の気配はほとんど感じられない。無人ではないのだろうが、少なくとも人の存在を感じさせる熱量は感じられなかった。

 私は振り返り、皆の近況を菊池に尋ねた。

「結城さんや郷田さんも、これから四日間は、ずっとお休みなんですか」

 菊池は、目を通していた書類を机の上に置く。老眼鏡を外すと、座っている事務用椅子を回してこちらを向いた。

「結城は、実家に戻っているようです。郷田は、お父上が特別養護老人ホームから一時帰宅するので、家で面倒を見ると言っていました」

「そうですか。菊池さんは、お休みしなくていいんですか」

 私が何気なく尋ねると、菊池は笑った。

「誰かしら、会社にいたほうがいいですからね。私は独り身なので、気楽なもんですわ」

 笑うと、目尻に深い皺が二本、刻まれた。

「コーヒーでも、飲みますか」

 菊池は、思い出したように私たちに尋ねた。

「先日、取引先から美味しいコーヒーを貰ったんですよ。ずいぶん高級なコーヒーとかで。ただ、私は、コーヒーの味などわかりませんし、郷田たちももったいないって飲もうとしないんですわ」

 一瞬、ちらっと迷った。

 だが、社員たちがいない時に、私たちだけが貴重な高級コーヒーを飲むのは気が引けた。私たちは菊池に礼を言うと丁重に辞退し、醸造課を後にした。


         *


 その日の夕刻の出来事だった。

 宿の風呂から上がった私は、体中から充実の湯気を立ち昇らせながら藤の間に戻った。

 部屋に足を踏み入れると、矢永が唐突に切り出した。

「二人に話がある。三枝君を呼んできてくれ」

 私は、矢永に言われるがまま、「わかった」と、条件反射的に返事をする。今しがた入ってきた戸から廊下に出ると、桜の間へ美香を呼びに行った。

 呼びに行く道すがら、なぜ私は矢永の命令を無条件に聞いているかと疑問に思ったが、面倒なので敢えて不問に付した。

 私は廊下を進み、美香がいる、桜の間の戸をノックした。「はい」という返事とともに、美香が顔を出した。

「矢永が、俺たちに話があるそうだ。ちょっと来てくれないか」

 私が告げると、美香は訝しげな顔をしながらも頷いて、私の後に続いた。二人で、藤の間に向かう。

 戸を開けると、矢永は戸のすぐ前に立っていた。矢永は私たちを見ると、何の説明もなく唐突に告げた。

「今から、種子神社に行こうと思う」

「君の話とは、そんな内容か」と、私は呆れて口を尖らせた。

 間もなく、日没という時刻である。こんな時間に種子神社の参道を歩くのは、足元の悪さを鑑みるに危険この上ないし、何よりも怪しさが突出している。

 矢永のひねくれ根性を刺激しないように、私は可能な限り細心の注意を払いながら、翻意を促した。

「昨日、行ったばかりだぞ。それに、もう陽が沈む。神社周辺は明かりがないから、どうしても行きたいのなら、明日にしたほうがいい」

 好奇心では人後に落ちないさすがの美香も、納得がいかなかったのだろう。

「こんな時間に、いったい何のために、わざわざ種子神社まで行くんですか」

 口を尖らせながら、気が乗らない様子で抵抗する。矢永は、私たちの質問には一切答えない。

「バールを一本と、スコップを二本、懐中電灯を二本、用意してほしい」

 意味不明、かつ入手困難な物品を平然とした態度で要求した。

「そんなものを何に使うんだ。用途を明らかにしない限りは、我々も素直に要求を呑むわけにはいかない。考え直せ」

 矢永は私の言葉尻を捉えて、「理由を言えばいいのかな」と厭らしい笑いを浮かべた。

 私は、思わず「その通りだ」と頷いた。頷いて、これは誘導尋問ではないのかと疑念を抱いた。

 前言を撤回するかどうか、私の一瞬の逡巡を見透かした矢永は、すかさず嘯いた。

「理由は、宝探しだ」

 やはり誘導尋問だった。私は慌てて、恐らく味方であろう美香の姿を探した。

 味方であるはずの美香は、部屋の隅でスマートフォンを覗き込み、最寄りのホームセンターを検索し始めていた。恐らく「宝探し」という子供騙しのキーワードに反応したのだろう。小早川秀秋や浅井長政やブルータスも真っ青の、見事な寝返り振りである。

「美香、お前もか!」と、私はローマを統べる元老院前の廊下で断末魔の叫びを上げた。


         *


 タクシーを呼んで宿を出る時、玄関の隣の部屋にいた老婆がふらりと顔を出した。

「こがん時間に、どちらへお出かけね」

 しわがれた声で私たちに問い掛ける。私はできるだけ平静を装いながら「ちょっとした野暮用です。数時間で帰ってきますから」と答えた。

 私たちは、そのまま玄関を出る。後ろから、くぐもった老婆の声が響いた。

「今回ん事件には、あまり関わらんほうがよか。奇蹟ん邪魔ば、したらいけん」

 ――まただ。

 老婆の言葉に反応して、私は「奇蹟……ですか」と口にしながら振り向いた。しかし、そこには既に老婆の姿はなかった。

 私たち三人はタクシーに乗り、盆地の中央にあるホームセンターに立ち寄る。センターで矢永が指定した道具を購入すると、再びタクシーに乗り、種子神社を訪れた。

 駐車スペースでタクシーを降りた後、いつもと同じく山道を進み、鳥居をくぐって石段を登る。

 相変わらずの急な石段に息を切らし、手にした懐中電灯で三人の行く手を照らしながら、私は矢永に尋ねた。

「バールやスコップとは、穏やかじゃないな。さっきは宝探しと言っていたが、いったいどこを掘り返す気なんだ」

「そうですよ。これじゃ、まるで墓泥棒です」

 美香も、不満そうな口ぶりで私の言葉に相槌を打つ。いつもは矢永ファンを公言して譲らず、私にとっては天敵であるはずの寝返り女王も、今ばかりは珍しく私の側に立っていた。

「我々は、君に命令される通りに、奴隷のように従順に任務を遂行している。第三者から見ると、とんでもなく怪しげな装備でな。はっきり言うと、警察に通報されても申し開きできない姿だ。どう考えても我々には、装備と行動の理由を知る正当な権利があるはずだ」

 伝えたい内容を喋り終えた時、私ははっと気付いて足を止めた。

「まさか、神社を掘り返すなんて罰当たりな行為を考えてないだろうな」

 矢永は、冷徹とも思える目で、私たち二人の顔を交互に見詰める。唇の右端を不自然に吊り上げながら、にやりと笑った。

「神社を掘り返したりはしない。さすがの私もそこまで罰当たりではない」

 自己申告では「罰当たりではない」と否定しつつも、常日頃の行動を見るにつけ、矢永は神をも恐れぬ罰当たりとしか思えない。

 確信犯なのか、自己分析が足りないのか。矢永の深層心理が読めない事実に、私は石段を登りながら苦しみ悶える。矢永は、私の苦しみや神の機嫌など、どこ吹く風といった様子で、核心に触れる言葉を口にした。

「私は、スマートフォンの謎を解明しようと思っているだけだ」

「スマートフォンの謎? いったい何の話だ」

 私は、言葉の意味がわからず、矢永の後ろ姿に詰問した。私の横で、美香が思い出したように声を上げた。

「昨日、神社の裏の崖で、矢永さんが歩きながらスマートフォンを見ていた、あれですね」

 美香の言葉に、今の今まで忘れていた「あの時」の記憶が頭に蘇った。私は行く手を遮るように、矢永の前に立ち塞がった。

「あの時は、何をしていたんだ」

「大した話ではない。スマートフォンの金属探知機アプリを使って、ちょっと調べてみただけだ」

 また、「大した話ではない」だ。矢永は、昨日の種子神社でも同じ言葉を口にした。ますます意味がわからなくなった私は、声を張り上げ、さらなる答えを求める。

「金属探知機? 何だそれは」

 美香が、慌てて周囲を見渡しながら、心から迷惑そうな表情で、「しっ」と人差し指を口に当てた。しかし、時刻は真夜中近く、場所は山の中である。多少は大きな声を出したとしても、うるさがる人などいはしない。

「スマートフォンの金属探知機アプリは、内蔵されている磁気センサーを利用して地磁気を検出し、その情報を基に金属を探し出す。原理的には方位磁針アプリと同じだ。性能はなかなかに優秀で、磁石はもちろん、鉄などにも比較的敏感に反応する」

 そういえば、私のスマートフォンにも方位磁針アプリが入っていた。私のスマートフォンも、アプリがあれば金属探知機になるのか。

「金属探知機を使って、結果はどうだったんですか」

「ほんの僅かだが、探知機の数値が不安定に揺れた」

 矢永は表情を変えず、口を微かに動かした。

「つまり、この神社の裏には、大量の金属が存在している可能性がある。その金属は、恐らく神社の正体に関係する金属だ」

 矢永は、そこまで話すと、また黙ってまた石段を登り始めた。私は話の続きを望みながらも、暗闇に取り残される恐怖心に敗北し、慌てて矢永と美香の後を追う。

 恐怖心に加え、今から私たちが遂行しようとしている行為に対する心苦しさから、つい足早になる。

 足早に登ったおかげで、それほど時間を掛けずに神社の境内まで辿り着くことができた。境内に出た矢永は、脇目も振らず祠に向かって進む。

 私は息を整えると、矢永の後ろ姿に向かって「なあ」と声を掛けた。

「金属探知機は、いったい何に反応したんだ。神社の正体に関係する金属とは、何だ」

 ますます混乱し、思考のラビリンスを彷徨う私をよそに、矢永は祠の右側に回り込む。昨日、スマートフォンを持って行動した時と同じく、切り立った斜面に足を踏み出した。

「足下を照らしてくれ」

 矢永の声に、美香は今まで眼前に広がる木々を照らしていた懐中電灯の光を、矢永の足下に向ける。私は懐中電灯を持ち直して、私自身と美香の足下を同時に照らす。

 三日月の明かりだけでは心許なかった私たち三人の足下が、明るく照らし出された。

 矢永は、木の根元や岩の出っ張りに足を掛け、慎重に進んでいく。懐中電灯の光を頼りに、私と美香も注意深く後に続いた。

 十mほど進むと、不意に林が終わり、開けた場所に出た。

 いや、林が終わったのではなかった。よく見ると、その場所だけ幅数mにわたって不自然に林が途切れている。その向こうには、また同じような林が続いていた。

「今は暗くてよくわからないが、先日ここに来た時、この斜面の中央辺りに土が茶色く変色している部分を見つけた。その周辺が怪しい」

 矢永は前方を見詰めたまま、得意げに数m先の斜面を指で示した。

 しかし、木のない斜面では、もはや木に足を掛けながら進む方法は使えない。矢永は、所々に顔を覗かせている岩に足を引っ掛けながら、再び進み始めた。岩に足を掛ける度に、周辺の小石がコロコロと斜面を転がり落ちた。

 数m進んだ場所で、矢永は不意に立ち止まる。「この辺りかな」と呟くが早いか、突然、持っていたバールの根元を斜面の土に突き刺した。

 バールの根元は、土に刺さるとズブズブと土中に埋もれた。矢永は、バールが十分に埋もれた事実を確認すると、土から引き抜き、数十㎝先の位置に再び突き立てた。やはり、バールは深く埋もれた。

 矢永は場所を変えながら、同じ作業をひたすら繰り返す。

 そのまま、十分ほどの時が過ぎた。矢永の目的は、未だ達成されないらしい。

「もう少し、上のほうも調べてみよう」

 息を切らしながら、矢永はさらに一mほど上の土に、バールを突き立てた。

 その時だった。

 今まで土中深く刺さっていたバールが、二十㎝ほど埋もれたところで、カチンという金属音を発して止まった。矢永は、さらに力を入れてバールを刺そうとした。しかし、バールはびくともしない。

 私は、慌てながらも慎重に歩み寄ると、音がした辺りにスコップを刺した。今度はカチャンと、先ほどよりもはっきりとした金属音が響いた。

「間違いない。ここに金属が埋まっている。それこそ、私たちが目的とする存在だ」

 私は、矢永の声を合図にスコップを握り直し、慎重に周囲の土をどけた。美香が、横から懐中電灯で私の手元を照らし出す。

 間もなく、茶色く錆び付いた金属板らしき人工物が姿を現した。

「これは、間違いなく扉だ」

 矢永が、独り言のように呟いた。矢永の言葉に、私はさらにピッチを上げて掘り進める。

 数分もしないうちに、周囲の土はあらかた取り除かれ、崖の一角に一m×一・二mほどの鉄製の扉が全貌を現した。

 扉は、粗末な南京錠で密閉されていた。

 南京錠は長年、土に埋まっていたためか、すっかり錆び付いている。たとえ鍵があったとしても、とても開きそうには思えなかった。

 矢永は、錠の環の部分におもむろにバールを差し込むと、力任せに捩じり上げた。パキンという軽い音とともに南京錠が外れ、そのまま斜面の土の上に落下した。

 錠が外れた状況を確認した矢永は、今度は扉の隙間にバールを差し込む。十分に差し込まれた状態を確認すると、てこの原理を利用して扉を力任せに手前に引いた。

「力のモーメント=力×支点からの距離」という公式通りに、少しずつ扉が動く。金属が軋むギギイという音を立てながら、僅かな隙間が開いた。

 瞬間、錆びた鉄とカビ臭い臭いが混じった空気が、私の鼻孔を刺激した。数十年もの間淀んでいた空気が、一気に解放された瞬間だった。

 私は、美香と一緒に恐る恐る扉の隙間を覗き込み、ごくりと唾を飲み込んだ。十㎝ほど開かれた扉の向こうには、常世の国への入り口を思わせる漆黒の闇が広がっていた。

「一応、確認のために訊くが、ひょっとして我々は今からこの穴に入るのか」

「そうだ。嫌なら外で待っていてもいいぞ」

 矢永は、挑発する口ぶりで返事をする。私は、二人を外で待つ自分と、二人と一緒に中に入る自分を交互に思い浮かべる。

 結論はすぐに出た。生まれながらにして私に備わっている、ネオジム磁石のように強力な責任感が、二人を見捨てるわけにはいかないと私自身に囁いた。

 私も男だ。「行くに決まっているだろう」と語気を強めると、扉に手を掛けて人が通れるぐらいの広さまで開いた。

 強がっているのか、冷静を装った矢永が先頭にしゃしゃり出る。ひったくり犯並みの乱暴な手付きで、私から懐中電灯を奪い取ると、まず扉をくぐった。私と美香も、矢永に続いて真っ暗な通路にゆっくりと足を踏み入れた。

 一度入ったら、もう二度と出る望みは叶わないのではないか。そんな不安を抱かせるほどの底知れぬ暗黒、不気味な静寂だった。

 私は、足がすくむ思いに抗いながら、懐中電灯の光を目で追って歩き続けた。

「思ったよりも深いですね」

 美香が、通路内の四方の壁に声を響かせた。どうやら、周囲を落ち着きなく見回しながら喋っているらしい。

「さすがの三枝も怖いか」

 私は、自分の不安を押し殺しながら語り掛ける。美香は私に懐中電灯を向け「怖くないですよ」と、むきになって虚勢を張った。

 きっと、美香は暗闇の中で恐怖に震えているに違いない。心優しい私は美香を正視するに堪えなくなり、目を瞑った。

 目を瞑った拍子に、小さな段差に躓いた。躓いた私の不規則な足音が、暗闇に反響した。

 足音の響き方が、先ほどまでとは異なっているように思えた。

 私は全神経を集中させ、五感で周囲の様子を感じ取ろうと試みる。言葉にできない、空気感の変化も感じられた。通路を抜け、やや広い空間に出たようだった。

 足元を集中的に照らしていた美香の懐中電灯の光が、ゆっくりと前方に移動する。暗闇に慣れた目に飛び込んできた光景は、想像していた通りの広い空間だった。

 空間の奥。

 堆く積まれた大量の古い木箱。

 矢永は、静かに、しかし興奮を抑え切れない様子で呟いた。

「これが種子神社の正体にして、今まで四百年もの間、秘密裏に守られてきたイエズス会の遺産だ」


         *


 矢永の言葉を遮るように、金属が軋む音がした。入り口の方向からだった。

 私は、音がした方向に、反射的に顔を向けた。

 入り口から続く通路を僅かばかりに照らしていた三日月の光が、みるみる暗くなっていく。

 何が起こったのか理解できずにいると、洞窟の中にバンと金属的な衝撃音が反響した。

 同時に訪れる、漆黒の闇。

 ――扉が、閉まったのか?

 耳を澄ますと、ガチャガチャと金属同士が接触する音が聞こえる。しばらくすると音は止み、何事もなかったかのような静寂が訪れた。

 我に返った私は、美香から懐中電灯を奪い取ると、慌てて入り口に向かって駆け出した。冷静さを失っているせいで、途中で何度も躓いた。

 入り口にたどり着いた私は、右腕で力いっぱい扉を押した。しかし、扉はびくともしなかった。

「どうしたんですか」

 恐怖に慄いていたのであろう、私に後れを取っていた美香が、矢永とともに私の背後に歩み寄った。

「扉を閉められた。どうやら、閉じ込められたようだ」

 美香が慌てて扉に駆け寄り、両手で力いっぱい押す。やはり扉は動かなかった。

「誰がこんなことを……」

 絶望感を帯びたか細い声で、美香が呟いた。

「二人とも落ち着き給え。何かしら方法があるはずだ」

 美香の横で、恐怖に慄きながら腕組みをしていた矢永が、一歩進み出る。突然、右足を上げると、足の裏で扉を押した。

 金属の扉が、矢永の足の動きに合わせてギシギシと軋んだ。

 音を確認するように目を瞑っていた矢永は、やがて目を開けると私の方に向き直った。

「山際。スマートフォンを持っているかな?」

 なるほど。スマートフォンで助けを呼ぶという方法があった。

「俺もそう思っていたんだ」

 急速に勇気を取り戻した私は、冷や汗をぬぐい、ポケットから取り出したスマートフォンを矢永に手渡した。

 後ろで、美香が自分のスマートフォンを覗き込みながら囁いた。

「でも、ここ、圏外ですよ」

「いや、私が欲しているのは、スマートフォンのバッテリーだ」

 矢永は言うが早いか、私のスマートフォンの裏蓋を手際よく開けると、中のバッテリーを取り出す。

「三枝君、手元を照らしてくれ」

 そう言いながら、矢永は私に背を向ける姿勢でしゃがみ込んだ。矢永に言われるままに、美香は懐中電灯の光で矢永の手元を照らし出す。

 何かを洞窟の壁に打ち付ける音が、ガンと響いた。

 私からは背中しか見えないので、矢永が何をやっているのかはわからない。しかし、扉の前にしゃがみ込み、禁じられた遊びに興じる子供のように、何やらごそごそと手を動かしている矢永の様子は、怪しさ満載である。

 私の頭の中に、哀愁を帯びたトレモロ奏法のギターの音色が響き渡った。

 いや、今は頭の中で演奏会を楽しんでいる場合ではない。矢永の怪しげな作業の中心にあるのは、他の誰でもない、私のバッテリーなのだ。

 ふと我に返った私は、使われているのが自分のバッテリーであり、矢永が企んでいる計画が謎であるという二重の不安に耐え切れなくなり、語気を荒げて詰め寄った。

「いったい、何を始めるつもりだ」

「よく見てい給え。これから、面白い現象が起こるぞ」

 矢永は私から目を逸らすと、愉快そうな表情で呟き、洞窟の奥へと移動した。


         *


 矢永が私からスマートフォンを奪い取って、どれくらいの時間がたっただろう。

 三分、いや、五分以上は経っていたかもしれない。

 気が付くと、周囲に鼻を突くような刺激臭が立ち込め始めていた。

「おい、何か変な臭いがしないか」

「そういえば、そうですね」

 美香が相槌を打つ。

 矢永は、三人の中でもっとも洞窟の奥に近い場所に突っ立ったまま、微動だにしない。

 洞窟の壁に凭れ掛かった状態でしゃがみ込んでいた私は、数少ない自慢の一つである敏感な嗅覚を駆使し、臭いの方角を探った。

 予想通り、臭いは扉の方向から流れてくるらしかった。

 嫌な予感を胸に抱いた私は、美香から懐中電灯を奪い取り、足元に細心の注意を払いながら、扉に近付いた。そのまま、扉に光を向ける。

 懐中電灯の光に、私のバッテリーが浮かび上がった。

 バッテリーは、扉と金属製の枠の僅かな隙間に捻じ込まれていた。

 バッテリーの端子部分からは、懐中電灯から取り出したのであろう導線が二本延び、数十㎝の白い棒の両端とつながっている。よく見ると、白い棒の正体は、直列繋ぎになるように白いビニールテープで固定された数本の単三乾電池だった。乾電池は、明らかに懐中電灯から取り出したものだった。

 全体を見渡すに、どうやら矢永の謎の工作物は、私のバッテリーに電流を流す装置らしい。

 私は懐中電灯の光を移動させ、今度はより詳細にバッテリーを観察した。

 懐中電灯の光に照らし出された私のバッテリーは、電子レンジでチンしたばかりの餅のように、パンパンに膨らんでいた。もやは、直方体の美しくもスリムなフォルムは、面影さえ残っていない。

 ――過充電か!

 過剰な電圧が掛かったリチウムイオンバッテリーは、時としてその電圧に耐え切れなくなり、内部の回路に異常をきたす。全てを理解した私は、我がバッテリーを一刻も早く回収しようと、思わず手を伸ばした。

「気を付けろ。そろそろだぞ」

 矢永が背後から言葉を発したのと、ほぼ同時だった。

 ボンという鈍い爆発音とともに、目が眩むほどの閃光が私の視界に広がった

 気が付くと、私は扉から三mほど離れた場所で、尻餅を突いていた。足元にはバラバラに砕け散った元バッテリーが、無残な姿を晒していた。突然の出来事に放心状態の私と美香を尻目に、矢永はつかつかと扉に歩み寄った。

「破損したスマートフォンのバッテリーは、過剰な電圧を掛け続けることで爆発する。君たちも、スマートフォンの爆発事故に関するニュースを聞いた経験があるだろう。その威力は、馬鹿にできない」

 矢永は回路を組み立てている時、何かを洞窟の壁に打ち付けていた。私のスマートフォンのバッテリーを、わざと破損させていたのか。

 余りと言えば余りの所業に眩暈を起こしそうになる私をよそに、矢永は澄ました顔のまま、足で扉を何度も蹴り飛ばす。扉はギイという摩擦音を残しながら、いとも簡単に開いた。隙間から月の光が差し込み、洞窟の中を照らし出した。

「見た給え。私たちを閉じ込めた輩は、針金を使って鍵の部分を固定していたようだな。大の大人を三人も閉じ込めようとするには、随分とお粗末な手法だ」

 矢永は、鍵の部分に巻き付けられた針金の残骸を解きほぐすと、私と美香に指し示した。続いて、何かに気付いたのか、「おや」と言いながら扉の外の地面に手を伸ばす。

「面白いものが落ちていた」

 拾い上げたのは、古びたクリアレッドのボールペンだった。

 軸の部分にアルファベットが書かれているが、長年の酷使によるためか、擦り切れて読みにくくなっている。目を凝らすと、「SODA」の四文字だけが、かろうじて読み取れた。


         *


 私たちが、種子神社の崖で宝探しととんだ冒険ごっこを敢行した翌日、宿から矢永の姿が消えた。

 藤の間にあるテーブルの上に「数日、ちょっと出かけてくる」と簡潔に書かれた書き置きだけを残して、矢永は旅立った。

 理由は本人が語らなかったので、私にはよくわからない。早速、美香のスマートフォンで連絡を試みたが、矢永のスマートフォンは圏外で繋がらなかった。

 あまりにも唐突、かつ無責任ともいえる行動を前に、私は途方に暮れた。美香は、書き置きを太陽の光にかざしながら、暢気な声で他人事のように呟いた。

「いったい、どうしたんでしょうね」

 私は思う。

 矢永の脳の前頭連合野で、事件というパズルの完成に繋がる新たなピースが生まれたのだろう。もしかしたら矢永は、ピースの発見によって存在が明らかになった、新たな欠片を探しに旅立ったのかもしれない。

 そう信じるよりほかに、今の私たちにできる行為はなかった。

 私と美香は、いつになるかわからない矢永の帰りを、気長に待とうと決意した。

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