第113話 一日一回、ごまかして乗り切る。

10月10日(木)




 眠りから覚めると、眠る前よりの強い睡魔に襲われた。


 珍しいくらいに寝起きが悪いことを実感しつつ、それでもなんとか体を起こす。


「……?」


 腕に重みを感じ、見れば由利亜先輩が横で寝ていた。これもまた珍しい。


 間違ってもらっては困るが、由利亜先輩が俺の横で寝ていることが珍しいのではない。俺が起きた時に、この人が寝ていることが珍しいのだ。


「…んぅ……」


 心地よさそうに眠る先輩を起こさないように注意して腕に乗った頭を枕に移し、顔を洗うために立ち上がる。時計を見れば針は六時の少し前を指し示しており、俺が日ごろより少し早く起きたことくを教えていた。


 結局、昨日は写真の件と文化祭の件をうやむやにして寝床についた。


 それこそ、文化祭の準備でかなりの疲労を抱えているのだろう由利亜先輩は、布団に入り俺の腕を枕にするなりスースーと寝息を立て始めていたので何かを言われることもなかった。


 あまりいいやり方ではないけれど、今日一日考える時間をもらうとしよう。


 どうやったら三日間で三人と文化祭を回ることができるのか、しかも一日目は事実上、周るということが不可能なので、実際は二日間で。


 先輩とはすでに約束を取り付けられているので、三日目の夜はどうやってもずらせない。そして、一日目はほぼ不参かな、俺たち特進組はある意味で一番忙しかったりする。


 ほかのクラスが歌やらの発表をしている間、翌日に控えた一般参加向けのイベントの準備をしなければいけないのだ。


 これは通例で、「勉強に重きを置くクラスだから歌はいいけど学校の役にはたってね」的な意図が多分に含まれている気がする。いや、多分含まれてる。


 俺と三好さんと弓削さんは同じクラスなので、明日は校内準備に当てなければならず、三好さんとの「二人で周る」という約束は果たせそうにない。つまり、この約束は二日目か三日目に行われる前提の約束といえる。


 で、由利亜先輩は特進ではない。だから明日は合唱の発表だったりがある。歌っている姿を見たことがないので興味はあるのだが、そちらには不参加なのでまたの機会を待つとして、この先輩との約束もだから、二日目か三日目に達成条件が絞られていると見ていい。


 さて、どうしたものか。


 そもそも俺はクラス展示の受付という大役を任されている身だ。二日目の午前中だけとはいえ、それでも仕事は仕事。だから二日目の午前は消失。


 二日目の午後と、三日目の一日。さて、どう交渉を進めれば、ダブルブッキングを避けることができるだろうか。


 ふらつく足取りで洗面台の前に立つと、少しやつれた感じのする自分と目が合う。


 なんとも感じないまま、蛇口をひねり水を出すと両手で流水を掬って顔に当てた。


 冷たさで背中が若干鳥肌立ったが、眠気が取れたような感覚はない。


 タオルで水を拭き、目の前に再度現れた自分は、やはりあまり健康そうな顔はしていない。


「三日は、もつかな……?」


 自虐的な言い方で、自分に問いかける。


 正直わからない。学校祭前に依頼が片付いたことで、少し浮き足立っている自分を律するようにもう一度顔に水を掛けた。










 * * * 








 朝ごはんをつくり、由利亜先輩を起こすと「私寝坊した!!?」と、ガバと起き上がった小学生に聞かれた。


 学校に行くのに支障のある時間ではないが、普段より遅くおきたことは確かだったので、「いつもよりは遅い感じですかね」とだけ伝えた。


「ごめんね、朝ごはん作らせちゃって……」


「いやいや、むしろ日ごろ作らせまくっちゃってるので、たまには作らせてください。こういう日があってもいいじゃないですか」


 身支度を整え部屋着のまま食卓につくと、恐縮しっぱなしの由利亜先輩に笑って答えた。


 時刻は六時五十五分。普段どおりの時間に二人で朝食をとっている。先輩がいない状態が、日常となりつつあるのが少し怖く感じていた。いや、一番怖いのは、そんな風に思考している今の自分なのだが。


「今日はどういう予定ですか?」


 トーストを手に持ち、モムモムと口いっぱいにほおばる由利亜先輩に問いかけた。


 ハムハムハムハム、そんな効果音と供に口を動かし飲み込むと、スープを一口啜る。


「…んっ…。授業が半日終わりでしょ? そこから準備に入って、一通り終わったら合唱の練習するって言ってたかな」


「そうだ、合唱、聞けそうにないんで残念なんですよね」


「い、いいよ、聞かなくても」


「ビデオとかって残るんですかね? 売ってるなら買わなきゃですよね」


「か!! 買わなくていいから!!」


「……?」


 いきなり大きな声を出した由利亜先輩に、驚いた目を向けると、いったん目を逸らされる。


「そんなことより、太一くんは今日はどうするの? というか、文化祭全日どう過ごすの?」


 そして話も逸らされた。しかも俺に悪い方に。


 あ、やべ。思ったところでもう遅かった。


 さっきまで学祭のことを考えていたからついつい話題にしてしまったが、時間を設けるのなら、この場では別の話題を提示すべきだった。


 学祭の話をすれば、昨日のやり取りを由利亜先輩が思い出し、俺に問いを投げることなど明白だっただろうのに。


「え、っと、そうですね、今日はまあクラス展示の準備ですかね。まだ丸ごと残ってるみたいですから。当日の予定は、まだちょっとクラスのこととかで色々あるのでちょっとわからないです」


 少し早口気味に捲まくし立て、今の段階では予定は立てられないと告げる。うそではない。実際に、クラス展示の準備は終わっていないだろうし、分担に不備が出ているかもしれない。そういうところも、三好さんとなんとか君が頑張ってくれているのかもしれないが、それでもきっと、当日になったら何がしか問題が起こるだろう。なにせ三好さんだし。


「そっか、じゃあ決まったら教えてね。二日目の午後とか、あいてるでしょ?」


「そう、ですね」


 曇りのない綺麗な笑顔で言われ、そういえば分担の話とかしたなぁと思い出しつつ、相槌のような返事を返す。


「決まり次第、って感じで」


 朝はなんとか、これで乗り切ることができた。






~後書き~





 全校が学祭で盛り上がっている中で、職員室では粛々とその準備が進められていた。


『山野太一百点阻止計画』


 そう銘打たれたこの会議も、数得て五回目を迎えた。


 前期の、学力テスト、学期中間テスト、学期期末テスト、全校一斉統一模試。


 後期に入る以前に行われたテストにおいて、山野はオール満点。学校始まって以来の偉業を成し遂げていた。


 中学のころの学力は、中の上。


 高校入学の段階での入試試験でも、合格者の中で中の上。


 平均点より五点高い程度の点数でこの学校に入学していた。


 それが、蓋を開けれてみば、全国でも有数の進学校である桜の森高校での定期試験において、無失点。


 しかも、中間以降の試験において、山野には特別に難易度の高いものが割り当てられていた。それでも、無失点を守りきった。


 このことに、職員室は騒然とした。


 何か裏があるに違いない。そう考える者が後を絶たなかった。それゆえに、山野は別室での試験を余儀なくされた。


 しかし、裏などなかった。


 ただひたすらに、彼自身の実力で、彼自身の点数だった。


 そもそも、数学では高校数学の枠を超えた問題を出し、英語ではネイティブですら知らないような単語を出し、理科科目や社会科目に関しては教科書に載ってすらいないほどの最新の研究に基づく問題が出された。


 それでも、彼は点数を落とさなかった。


 絶対に解けない。誰あろう、作っている自分すらも、解を見てようやく理解できるほどと考えた問題を出し、初見で尽くを回答して見せた山野に対する試験問題を作ることとなった教員たちの目は虚ろだった。


 会議はそれほど長くならずに終わりを迎えた。


 どうせ今回も満点を取るに決まっている。そう考えて、自らに絶望するものが後を絶たないのだ。


 しかしそれ以前に、この学校の教員たちは知っていた。


 違う次元にいる自分とは異なる生物とは、対話などありえないのだということを。


 そう、世界が認めた天才、山野一樹が、三月にこの学校の職員室に顔を見せた時点で。




 山野太一は天才である。


 山野一樹は教員たちにそう告げた。


 この場合の教員たち、とは、一から三年までの学年主任、副主任と教頭、それから校長のことだ。


 彼らは山野一樹の言葉に耳を傾けながら、ひそかにほくそ笑んでいた。弟を贔屓させるためにわざわざ来たのか、そんな風に。


「あいつは化け物です。せめて殺されないように、気をつけてください」


 そんな風に切々と告げる男の姿には、弟を語る兄の面影などどこにもなかった。ただひたすらに、迫りくる脅威に対する警告を行っていた。しかし、その言葉がこの場にいる教員たちに、正しく届くことはなかった。


 後に、校長は思う。


『真に恐ろしいのは、振るう力の大きさに自覚的でありながら、その力を意図的に制御しない人間だ』と。


 そして、山野太一は思うのだ。


「俺ほど普通な人間はいないだろ」


 などと。




 学祭が終わると、一週間後には後期学力テストが控えていた。

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