第98話 だからそう、彼は彼女の夢を見る。
そこは、旅行に行くための飛行機の機内。海外に行くための国際便だった。
アナウンスが流れ、着陸準備を知らせてくる。隣に座る母の手で、シートベルトを締められると、私は笑顔で「楽しみだね!」そういった。
息を詰まらせた母の無理やり作った笑顔を見ても何も気づくことはなく、私は雲の上を悠々と滑るさまの見える窓の外に目をやった。
雲海。雲の下は曇り空を見上げることのない人々が歩いているのだろう。
それを思うと、自分がいまどれほど非現実的なことをしているのかがわかるような気がしてきて、心が躍り自然口から声が漏れる。
映画で見たことのあるような西洋の街並みを見ながら、駆ける。
未知の世界。初めての街。
知らない匂いと風景が、私の中に流れ込んでくる。
耳には聞きなれない言葉の数々を受け、ここが自分の住んでいる国とは全く違うことをありありと理解して。
「お母さん! お父さん! 見て見て!!」
指をさしたりそちらにかけて行ってみたり、私は全身を使って楽しさを表現していた。
私を見る二人の目が、うるんでいることもしらずに。
「パンが…いっぱい……」
ショーウィンドウ越しに見るパンの数々に、感嘆の声を漏らした。
「ねえ、ここに泊まるの? 高かったんじゃ……?」
「子供がそんなこと気にしなくていいの。今日は●●が楽しんでくれてよかったわ」
「そうだ、お父さんだって少しは稼いでるんだから」
お城のようなホテルの外観を見て、私が発した質問に、母と父はそれぞれおどけるように答えてくれる。
そうか、今日は楽しかったし、いっぱい色々なものが見れた。
その最後のところで、こんなにすごいホテルに泊まれるなんて、なんて素晴らしいのだろう。
心からのワクワクは、日本では張りぼてでしか見たこともないようなお城の荘厳さに、引き締められ、走るようなことはしなかったが、だからこそ、中に入りそのあまりの別世界感を体感したとき、「ふぁぁ……」としか言えなかったのは仕方がない。
部屋にあった見たことのないほどの大きなベッドと、初めて感じる布団のフカフカさに感動し、「私ここに住む!」と叫んだのも、また仕方のないことだった。
朝、朝食を食べると、世界で一番きれいな場所に行くと母に言われた。
楽しみと母に伝えると、「うん、そうだね」と生返事。
父の借りてきた車で山道を登りその場所の近くまで来ると、そこから先は歩きだった。
「ここからずっと行ったところにあるんだ」
前日に走り回った私だったが、そんなことはお構いなしに父も母も置き去りにしてすたすたと道なりに進んでいった。
あまり人のいない道だった。
森のような一本道を抜け、川を横目にさらに進む。上り路は木々の自生がだんだんと薄くなるにつれてなだらかになり、たどり着いた先にあったのは谷だった。
恐ろしいほどに深く、暗い谷。
しかしそこは確かに美しかった。
太陽の光を吸い込む谷の暗闇が、花々に彩られ木々に守られている光景。吹き抜ける風の冷たさが、太陽の温かさを教えてくれる。
「お父さん、お母さん!」
追いついてきた二人に振り向き、呼びかける。
近づいてきた笑顔の二人は、私を抱きしめて手を握った。
「もう少し近づいてみようか」
手を引かれ、規制線を越えて谷に近づく。私は二人に「危ないよ」と呼びかける。
「大丈夫大丈夫。お父さんたちも一緒だから」
そういって、私に笑顔を向けてくる父の目からは涙があふれていた。
「ごめんね…ごめんね…」
耳に入ってきたその声に、顔を顔を向けると、母も涙を流していた。
「え、えっ? お父さん? お母さん?」
何が何だかわからない。私は一体何をしたのだろう。
深い谷を見下ろせる位置まで歩み寄ると、また、二人がわたしを抱きしめてきた。
「ごめんね」
二人とも、私に何を謝っているのだろう。
「最期まで、一緒だから」
父も母も、私を抱きしめたまま。
谷に身を投げた。
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