第97話 マタシカル子と呼ばれる子。
十月三日の、雨も風も止み、すがすがしい天気をして迎えられたそんな朝。
昨日の夜の時点で完全に雲は散っていた。そして、当然のように夕飯前に帰って(やって)来た由利亜先輩は、自分の買った少し大き目の服に身を包み、熱心に勉強をしていた三好さんを見て俺を半殺しにした。
何とか三好さんの手によって落ち着きを取り戻した由利亜先輩から、「長谷川さんが大変なんじゃないの?」と、最恐の皮肉を言われ、「そういえばお兄さんも倒れたって言ってたよね」と、三好さんからもなぜか攻撃されるという夜が過ぎた次の日ということで。
「鷲崎先輩のご飯おいしいです!!」
「ありがとう、名前で呼んでくれてもいいんだよ?」
「ゆりあ先輩……。ねえねえ山野君、ゆりあ先輩天使だよ、こんなに可愛いのにエプロン付けて料理してるよ…超天使」
朝食時にばぐった三好さんも、登校するころになれば元通りとなり、名前の呼び方が若干親しげになった後輩となった。
そういえば、部室で一緒になっても先輩二人とはあんまり話してはなかったな。いつも俺が行くかどうかを確認してから来てたし。
「太一くん、帰ってきたら話あるから、私が帰ってくる前に絶対にここで正座して待ってなさい」
由利亜先輩からは、登校前にそう言づけられ、マジやばいと思いながらも少し頬が緩む。
ここに来ればいつも通りな日常がある。それだけがうれしいような。いや、別に旅に出たりはしないけど、日常のありがたさってこう何ともない時に感じたりする。
まあ、怒りは納めてもらいたいが。
ともかく、そんな晴れ晴れしい秋の空を仰ぐ今日、俺は学校には行かず先輩と、兄の眠る病院へと足を向けていた。
ここ最近の騒動に、決着をつけるために。
「……はっくしょん!!」
ああ…秋は花粉の季節だよねぇ……。
そもそも、今回、兄から頼まれた俺のしなければいけないことというのは、先輩の両親を目覚めさせることだ。
なぜ寝ているのかを突き止め、脳死状態ですらない植物状態の人間を、どうにかして覚醒させる。それが俺のすべきことだった。
さまざまに情報を集めること早数週間。
思わぬところに穴を見つけてしまったがために、俺はいつの間にか神様なんて言う物騒なものを相手になんだかんだと調査の手を伸ばし、きっと普通に生きている間なら知らないほうが幸せだろうというようなことまで知るに至った。
ここで白状しておく。
俺には正直いまだに何もわかっていない。
これは嘘偽りのない事実だ。
なぜ、先輩は美しさを誇り、先輩の両親は先輩に生命力を吸われる形で寝たきりを続けているのか。なぜ、土地神を祀る女性神官たちが、神に魅入られ輝きを放ちなが眠りに落ちているのか。
なぜ、あの男はあんな風になっているのか。
すべてに回答を得ていないし、何もかもが意味不明だ。
できることなら、すべてを丸投げにして出雲にでも赴いて、「あの人たちを助けてください」と神頼みでもしてやりたいくらいだが、神なんていない。
それが俺の答えで、俺は依然、表側から出ていない。
ならば、専門家に聞くのがよかろう。
神のことは、神に聞くのが一番だ。
これが一番手っ取り早いし、逆に、なぜ今まで気づくこともなくこんなに調べものばかりをしていたのかと聞きたくなるくらいだ。
「じゃあ、よろしく頼むね」
「うまくできるかは保証できないよ?」
「保証はしなくていいよ。大丈夫。たとえ失敗しても、責任がそっちに行くことはないから。そこは俺が保障するよ」
「別に心配してるのは責任の話じゃないんだけどなぁ…」
白い病室。
ベッドに背を預け、プラスチックのマスクをつけて仰向けに寝ている先輩を見て、心の中でもうすぐ終わりますとつぶやいた。
そのベッドの周りを囲むように、方円が張られ、巫女装束の弓削さんは呼吸を整えていた。
「まあとりあえず、頼んだとおりに進めてくれればあとは俺が何とかするからさ」
目をつむり、息を整えると。
「わかった。じゃあ、やるね」
スッと目を開くと、直立の姿勢から少し俯き静かに何かを唱え始めた。きっと、これが正しい日本の言葉なのだろう。聞いていても全く意味が理解できないその詠唱を終えると、一気に空気を吐き出す弓削さん。
先輩の腹のあたりに広げた手を置き、いつだか耳にした、涼やかな声が俺の耳に届いた。
《この娘御は、まだあるな》
そういった。
* * *
簡単な話、三好さんとの会話で廻った思考は、今回の騒動の根幹が《神》とかいう存在がある前提での話だということに行き着いた。
神。これは不特定多数存在する未確認な非存在だ。いるかもしれないし、いないかもしれない。宇宙人のような存在で、人の心によるところが大きいことから考えると、まだしも宇宙人のほうが信憑性に足るのではないかとすら思えてしまうような非存在。
ではなぜ、あの俺よりもリアリストな兄が、怪奇現象、などという言葉を持ち出すようなことになったのか。
これの答えこそが、弓削さん。ひいては神の御業を現世に顕現せし乙女たち、つまりは「本物」の巫女を見たから、ということになるのではないだろうか。
聞かされただけならば、信じることはなかっただろう。聞いて見て、知ってしまった。知識としてでなく、現実として受け止めてしまったからこそ、あの男、ベッドで眠る天才は、裏の世界にまで手を出してしまった。
表の世界では天才天才ともてはやされた男は、裏の世界ではどうだったのだろう。バチカンの司祭に知人を作り、どこぞの呪術師を友達と呼ぶからには、それなりに体を浸してきたことだろう。
裏も表も、両方に体をつけていた人間だからこそ、あの男は世界最高峰などと呼ばれるに至ったのではないか。
そろそろ本題に入ろう。
神様という存在はいる。
そう仮定して、証明する必要はない。
なぜなら、俺はそれを見たことがあったから。
前日、大荷物を抱えてどこかに駆り出されていた弓削綾音。俺の同級生にして、世界最高峰の天才でも及びもつかない、存在する非存在。神をその身に宿すことを是とした少女。
もはや賢明なる読者諸氏にはわかってしまっただろうが、あえて言う。
神がいるなら、神に治してもらえばいいんじゃん。
人間が治せないものは神に頼む。
これが本当の神頼みってやつではないだろうか?
* * *
《この〈子〉はまだあるな》
弓削さんの口から発せられる言葉。だが、それは弓削さんの言葉ではない。
今日、学校を休んであまつさえ弓削さん(にも学校を休ませて)を呼び出してまで病室で何をしているかというと、人ならざる者の健康診断。
神から直接受ける診療内科だった。
《この棟にはずいぶん私の身内が粗相した人の子がいるようだが、うち二つはもうおらぬ。そこの子よ、貴様の手で葬ってやれ。して、私の身内を内に秘める子がおるようだが、あれもだめだ、もはや、人の子として生きることはできぬだろう》
流暢に、淡々と人の生死を語る。
やはり、人ではないのだろう。
「二人というのは」
どんなふうに話していいのかわからず、言葉が中途半端となる。俺はこの神が何者なのかを一応知っている。この神も、俺がどんな人間なのかは知っているだろう。だから、自己紹介などというものは抜きだ。
質問の答えだろう、隣の部屋、先輩の両親が寝ている方角を指し示す弓削さん。
「それをして、先輩は死なないのか?」
《先輩、この娘こか。なぜこの〈子〉が死ぬ。死なずにおるのはその二つの〈子〉ぞ》
「それは、どういう」
《この〈子〉の生きる力を、吸い取っておるのだよ、その二つの〈子〉がの》
はあ? よっぽどそう叫んでやりたかった。
だが、言われて思い当たってしまった。というか、思考がそちらに向いてしまった。
「じゃあ…、いままで、先輩を見て倒れてた人たちは、先輩に……」
《生命力を吸われていたのであろうな》
事実を述べているだけなのだろう。だが、内容だけ聞けば、誰しもが先輩を排除するだろう。今まで以上に、隔離し、研究されることだろう。
《それを嫌悪するのなら、そなたは今すぐにでも二つの〈子〉の生命維持をやめさせることが好ましい。今の、そなたがその「人殺し」を嫌うのならば、私がそなたの背中をあと一歩分ほど押してやらんでもない》
提案の言葉。
怜悧な口調。それが相まって、人を糾弾するような言葉にも聞こえてくる。
神にもわかるのだろうか、人殺しを、人がどれくらい生理的な部分で嫌悪しているのかが。
《心というものの複雑さは、長い付き合いで知っている。だが、ことの次第を知れば、少し体から機械を取り外すくらいはなんということはなくなるであろうさ》
「背中を押すというのは、具体的に何をするんだ」
背中にじっとりとかいた脂汗が、今の俺の精神状態が危ないことを如実に表している。だが、弓削さんに負担をかけている以上時間はかけられない。表と裏をつないだこの部屋に、表の住人でしかない俺がいつまでいられるのかも、怪しいのだから。
《そうだな、いちいちそなたの意思を確認するのも面倒だ。見た後に、悩み、考え、すべてをなして見せよ。それができてこそのマタシカル子と言えよう》
「またしかるこ…? それはいったい……」
聞こうとした途端、だるかった体から意識が遠のき、一瞬、世界が暗転した。
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