第99話 道との遭遇。だから何?
意識が戻ったとき、俺は先輩の寝ているベッドの横に置かれた一人用のソファーに背中を預けていた。
じっとりと首筋に張り付くようにかいた汗が、自分が意識を失っている間中苦痛を感じていたことを教えてくれる。
怠い体を無理矢理動かし座り直すと、室内を見回す。
ベッドの向こう側にパイプ椅子を広げて座っていた少女が、こちらを見て心配そうな目を向けてくる。
「大丈夫、ですか?」
巫女装束姿のままの弓削さんは、神懸かりを解いた普段の彼女に戻っていた。
確か、あの変なのに何かを言われて、マタシカル子、だっただろうか……。睡っている間、俺は自分の物ではない、誰かの記憶を覗いていた。
「う、ん。多分。体が怠いの以外は普通、かな」
いつも通りに返事をしようとして、自分でも分かるほど疲れた声が出た。
睡っていたのに、疲れは明らかに普段の生活の数十倍くらい感じている。睡って、いた、はずだ。
俺が見ていた夢の中では、朧気な顔の両親と海外旅行をしていて、楽しかった思い出がたくさん流れてきて、それで、最後には……。
思い出して憂鬱な気分になる。額に手を当て、ふるふると首を振りぼんやりとした意識を覚醒させようと挑むが、あまり効果はない。
「お水、飲む?」
なんとなくキャラがぶれているような気のする弓削さんが椅子から立つと、ミネラルウォーターを差し出してくれる。
「あ、ありがとう」
端的にお礼だけ言うと、それを受け取り蓋をひねり、一気に中身を呷った。
乾いていたのどが潤っていくのがわかる。それと同時に疲れが消えていくような感覚を覚える。
「これは…?」
不思議な感覚にぽつりと声が漏れた。
「それは、御前に供えた水だよ。水守神社は水の神様を祀る神社だから、ささげた水にも神力が宿るの」
「そ、そういうものなのか」
すげえな、そんな風に感嘆してもう一口口に含む。
「どう、かな?」
「なんていうか、不思議な感覚……。癒されるとかって感じじゃなくて、疲れがなかったことになってる感じかな…?」
「へえ、山野君にはそう感じるんだ」
椅子に座りなおすと、弓削さんは先輩の寝顔を見つめながら続ける。
「感じ方は人それぞれなの?」
「一般的には何も感じないのが普通かな。つまり山野君はもう普通じゃない」
クスっと笑うと、
「疲れがなかったことになる、か。それが山野君の水の神様への感想?」
そう続けられた。
「神様なんていないっていうのが俺の神様に対する感想なんだけど、まあ、さっきあんなもの見せられたからなぁ…。少し、恐怖感は感じてる」
あはは、とから笑いが出る。
記憶を見せる。あれが本当に俺の考えている通りのものなのだとすれば、神様なんていないと断じる行為は現実から目を背けているだけに過ぎない。
俺はあれだけ裏と表を言い分けていたのに、その裏と表の存在自体を否定していたということになるのだから笑えない話だ。
表の世界は神様の存在を知らない人間の、科学という技術によって回る。裏の世界は神様という存在をそれぞれに確立させ、魔術や神術、その他非科学によって回る。
表と裏の細かな 差異などこの際どうでもいい。そんなくだらないことではなく、俺にはいま、もっと考えなければならないことがある。
神を堕ろしてまで聞き出そうとした先輩たちの治療法は結局わからずじまいだ。もう一度と頼むには彼女の、気丈にふるまって見せている弓削綾音の疲労が、俺の目にはありありと見て取れて、それはとても今日明日中にどうにかなるほどのものではないように思えた。
どうすっかなあとペットボトルを持つ手とは逆の手で頭をガシガシと掻く。
まさか、答えをもらおうとした相手から問題を出されるとは思ってもみなかった。あの神とかいう野郎、一発ぶっ飛ばしたい。
「寝ている間に、何か見たの?」
弓削さんが、自分の分のミネラルウォーターのペットボトル(たぶんこれも中身は神水しんすい)を取り出すと、一口含み喉を潤す。
「夢、見たいなものを見たよ。でも、あんまりいいものじゃなかった」
「長谷川先輩のこと?」
寝ている人物を一瞥すると、コクリとうなづいて、一つ息を吐いた。
「たぶん、先輩がこうなる前の夢。記憶、だと俺は思ってる。なにせ相手は神だからね、何をされたって驚きっこなしだよね」
「山野君は遠慮ないよね、私が巫女って知っててもそういう風に普通にしゃべってくれる」
「ん?」
「ううん。何でもない。どんな夢だったの?」
「どんな…一言でいえば、酷い夢だった…」
谷に落ちる前の記憶。二人の声が、耳にこびりついている気がする。
「自殺、とか」
「……っ!!?」
なぜと、つい睨み付けてしまう。
その質問に、ぽつりと呟きが返ってくる。
「私たちには、よくあることだよ」
その声は重く響いた。背中に冷水をかけられたような感覚が走り、伏せられた彼女の横顔に目が行ってしまう。
裏の世界の出来事、だからこそ詳しくは言わない、そういうことだろうか。
「どこかの国に旅行に行って、親に抱かれながら谷に落ちる、そんな夢だった。そこの見えないほどの深い谷に落ちて、それ以上先は見てない。だからなんで先輩たちが生きてるのかも、全然」
あの状況から生還できる人間などいないだろう。うっすらとした夢の記憶だが、俺にはどうしたって死んだとしか思えないのだ。
「山野君や一樹さんは、そちら側から来てこちら側を見ている人でしょ。私たちからしたらそういう人たちは見物人なの。物見遊山とまではいわないけど、理解の及ばない世界に足を踏み入れてしまった、迷い人、そんな認識」
「それでいくと、俺は完全に迷わされたって感じなんだけど」
「美人の先輩に手を出した報いなんじゃない?」
弓削さんからもとげが飛んでくる。俺、なんか悪いことしたのかな?
「そんな理由でこんな状況にいるなら、タイムマシンでも作って入る学校変えさせてくるわ」
「それができたら山野君もついに一樹さんを超えるね」
冗談を言ったらクスクス笑われて冗談を返された。
笑いを納め、真剣な面持ちになると、弓削さんは教えてくれた。
「私たちこちら側の人間には、生まれてから死ぬまで普通には生きられない呪いみたいなものがかけられるの。目に見えないし、何があっても外せない、そんな呪い」
「それって、どういう…」
「山野君は、小学校の時の将来の夢って何だった?」
「父親みたいになるのが夢だったよ」
俺はよどみなく返答したのだが、一方の質問者が予想外の回答を受けたみたいな顔をしていた。
「お父さん?」
「まあそんなとこ。パートで働いて、家のことやって、母親を甘やかして、俺たちに悪知恵を仕込んで、そんな男になりたいと思ってたよ」
間抜けに呆けていた顔が、微笑に変わり、
「お父さんのこと、好きなんだ?」
彼女の問いに、俺は答えに窮してしまう。
「というか、他になりたいものがないんだよ」
って、と話を戻す。
「こんな話じゃないでしょ、俺の話はどうでもいいんだよ」
「今すごい良いとこだった気がするんだけどなあ……」
気に食わんという顔の弓削さんに、さっきの話の続きを促す。
「夢が、裏と表の違いで何かあるの?」
はあ、と露骨なため息を吐くと、彼女は不承不承と口を開く。
「例えば、里奈ちゃんには夢があります」
「ああ、獣医ね」
「そう。でも、私にはその夢は見れない。それはなぜでしょう」
問われてすぐに答えが出た。なるほどと、早々に納得してしまった自分に少し驚いたほどだ。
「そ。私の家は、神社だから」
家系。家柄。血筋。
生まれてから死ぬまで、一生付きまとう問題だ。表ではなく、裏で生まれてしまった彼女には、それは決まりで、あるいは呪縛なのかもしれない。
「でも、先輩の家系って、なにか特別なの?」
聞くと首を横に振り否定する。
「私の知る限り特別な家柄ってわけじゃあないよ」
「じゃあ、あんまり関係ないんじゃ?」
じっと、俺の目を見てくる弓削さんに、「え…?」俺なんか間違ったこと言ってるかな?と少し身を引いてしまう。すると彼女は何事か気づいたのか手を打つ。
「あ、そうか、山野君てお兄さんもあんなだしお金に困ったことってないんだ。なるほどねえ」
いや、お金に困ったことないのはお互い様じゃないの? という言葉は喉で止め、彼女の言いたいことがぼんやりと理解できたことを言葉にして示した。
「家計の逼迫で、一家心中?」
「そう、だろうね」
苦々しさを隠すように笑う弓削さんの表情は、少しこわばっている。隣にその当人がいるのだから、寝ているとはいえ話しにくいことは確かだ。
だが、ということは、私たちというのは裏側の人間ということではないのか?
「私たちこちら側の人間は、そちら側での仕事があまり得意ではないの。こちら側で当然なことがそちら側では未知の領域のものなんだから当然だよね。人と話してても感覚がまるで違うし、そもそも生きてる世界が違う。だから、こちら側で死に絶えた家柄の人間は、そういうことになる」
「それはつまり…」
先輩の家系は、裏の世界では名の知られることのない家柄で、時代とともに死に絶えた家系で、表の世界に帰属しようとして失敗して、貧困にあえぎ、一家心中を図ったと、そういうことだろうか。
「たぶんそう。こちらの世界では珍しくもないよ。すこしも、ね」
言っている弓削さんの目は暗く、ふいに目が合うと自嘲気味に笑った。
「山野君がこちら側の世界でこうしている今も、そちらの世界は動いているのに、こちらの世界は千年たっても動くことはないの。法則の決まってしまったこちら側では、何も動くことはない。私たちはその法則のままに動く。それが出来なくなった者は、死ぬしかないの」
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