第95話 彼の中での三好里奈。
当然のことだが一応の報告として示しておくのだが、風呂に入り寝る段になると、俺は俺の部屋へ、三好さんには先輩達の使ってる部屋で寝て貰い、朝を迎えた。
昨日の秘密基地での出来事は、結果的になにも聞かれなかった。
もう忘れたいのかもしれないし、俺がなにも言わなかったから空気を読んでなにも尋ねてこなかったのかもしれない。勉強は残念なのに、本当に頭の良い子である。
察する能力が高いというのは学校では人気者程度の地位しか与えてくれないが、社会に出ればかなりの強みになるだろう。
それを見いだせる人に出会えれば、と言う条件は付いてしまうが。
そんなわけで、朝。
平日が休み。
全日制高校に通う生徒にとって、それは未知の感覚だ。
かくいう俺も、長期休暇でもないのに平日に家にいるというのには少し違和感があった。加えて、今は目の前にパジャマ姿で眠そうな顔をした三好さんが、焼きたてのトーストをもしゃもしゃと頬張っている。
髪の毛はそれなりに整えられているが、いつも留められている髪の毛が流れているのを見るだけでも、いけない物を見ている感覚を味わうことになり、それとなく目をそらしたりしていた。
なんで俺は自分の家でこんなに居心地の悪い感覚を味わっているのだろうか。
謎だ。
そんな風に思考しながら、俺も薄くマーガリンを塗ったトーストをかじる。
トーストにはこだわりがあって、焦げ目がうっすら付くくらいが一番おいしいと思っている。はっきりと茶色くなったり、若干焦げていたりすると残念な気がしてならない。堅すぎる上にパサパサ感が増しておいしさが減ってしまっているような気がするのだ。
トーストで失った口内の水分を、お湯を注ぐだけで出来る簡易のコーンスープを口に含んで潤す。
ズズと飲むのが特徴のこのスープ、コーンが好きなのだがさっき三好さんからは、
「ポタージュ一択! 硬い内にラスクを食べるのが好き!」
だそうだ。
目玉焼きより卵焼き派の三好さんとは、食の好みが合わなくて少し面白い。
昨日の夕飯は由利亜先輩が付くっておいてくれたのを食べたからそんな話にはなる余地もなかったが、朝食をどうするかという話は昨日の晩にそれなりに白熱していた。
食事が終わり片付けが済むと、三好さんが聞いてきた。
「それでさ、山野君。今日はどうする?」
「外まだ雨降ってるし、俺は読書かな」
「山野君て、本当に家では勉強してないんだね」
「最近はそうでもないよ。先輩とか勉強大好きだから、たまに一緒に教科書広げてるし」
「で、山野君が長谷川先輩に教えてるんでしょ?」
「まあ、そういうときもあるかな」
部屋で勉強してるときはむしろそれしかないか。
見破られたことを明かすのもなんとなく癪なので黙っておくが。
じーっと、こちらを見る視線。
もちろん三好さんのものなのだが、これは、勉強を教えろという意思表示なのだろうか。
いや、もしかしたら、もっと違う意味があるのかもしれない。
「深く考えてはいけないの。この私の視線は勉強を教えてくれないかなあという直接的なものなの」
「簡単に人の思考を読むのはよくない」
「今のはたぶん、誰でもわかる」
苦笑いを浮かべる目の前の女の子。
この女の子は一体俺のことをどう思っているのだろう。ただの同級生男子の家に、泊まりに来るというのは、なかなかにハードルが高いのではないだろうか。
いや、まああれか、普通に帰れなかったていうのもあるし、秘密基地のこともあるし、昨日はいろいろ困惑していたのかもしれない。
スマホもあるのにわざわざ男子の家に、知ってる先輩たちが住んでいるという情報があるにしても泊まるというのは、かなり動揺していなければしないだろう。
今もまだ、それなりに現実感を受け入れきれてないのだろう。
だからこうしてパジャマ姿(自分のものでないにしても)を見られている現在を顧みていない。
恥じらいとかないのだろうか。
………………一番動揺してるのは、俺かもしれない。
そんな自問自答を悟られないように、
「わかった。じゃあ獣医目指してお勉強しますか」
何とか、笑えていたと思う。たぶん引きつっていたとは思うが。
「うん! ありがとう」
そして、彼女からのお礼は、俺の胸を少し暖かくしたような気がした。
三好さんの勉強の手伝い。
この状況なら個別指導の学習塾に近いのかもしれないが、一応は俺と同じ学校に通っているので、中学までの学力はそれなりに備わっている。
だからまあ、教えることはその上に乗せる応用。
基礎ができないとなると正直お手上げだったのだが、できていないのは高校の範囲のみ。しかも、教師の説明不足が生んだであろう不理解が原因だったので、その部分を埋めていくだけで問題なく回答を出すことができるようになった。
日本の教科書教育に最も必要なのは暗記とされている。暗記さえすればすべてが解ける。
これは事実だ。
なぜなら俺がそれを証明しているし、そもそも、教科書をすべて暗記していられる記憶力が存在するなら、試験なんて制度は勉強に対して用いられない。すべてを暗記しているのなら、知らない、わからないというのは教師の不手際であり、それは教育業界的に問題だから。
つまり、暗記するだけではダメな理由があるのだ。
教科書の丸暗記なんて、しようと思えばだれでもできるだろうけれど、そんなことよりももっと簡単にテスト問題を解く方法はあるのだ。
それが、教科書の理解。解き方への慣れ。
大学入試に対してこれまで言われてきたものは、「問題に慣れる」というものだ。
そう。
記憶しなくても、暗記しなくても、回答方法を理解し問題の回答に慣れておけば、教科書を丸丸暗記する必要などない。何なら、この方法は教科書の不要を意味するだろう。
まあ、教えるときに楽だからという理由で教科書がこれから先なくなることはないだろうが。
理解。その部分を怠ると、勉学というものはすこぶるできなくなる。
問題が解けなくなり、嫌いになる。
勉強のできない人間の感覚は俺にはわからないが、理解できないことへの恐怖というのは共通だろう。
その恐怖からの逃避に、嫌いという言葉を選ぶのはまあ、納得できなくはない。
だが、三好さんはそんな逃げを選ばなかった。こうして俺に倒し方を聞いてきた。
モンスターにも見えるだろう解けない問題に、正面から向かい合っていた。
その姿は、少し可笑しかったけれど、すごく格好良いものにも見えた。
勉強に必要なのはモチベーション。
やらなければならない理由があれば、やるだろう。できるようになりたいという気持ちがあれば、やるだろう。
結局のところ、そのモチベーションの出し方が問題なのだろうが、この何事にもやる気の女の子には、俺がしてあげられることなんてなさそうだから、とりあえずは、勉強を教える程度のことで彼女に関わった証とさせてもらおう。
きっと将来人気の獣医になるこの少女に、少しでも血肉を与えられたのならと思うと、なんとなくうれしくなる。
かかわった人間を幸せにする少女。
やはり、彼女は獣医に向いている。
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