第88話 他力本願上等。


 問題山積み。


 解決方法のヒントもないままに、ある意味で病人だけが増えていく現在の状況に、大抵のことを仕方ないと流せる流石の俺も戦慄していた。


 来た道を戻り、兄と斉藤さんを病院に担ぎ込むと、「ね」先生が現れ顔色一つ変えずに二人を視ると気絶したままの兄を精密検査に掛ける指示を出し、意識のある斉藤さんには点滴と一日の入院を言い渡した。


 俺がどうやって二人の大人を病院に連れてきたのかというと、まあ、あまり口に出来る物ではないが、近くに停めてあった斉藤さんの運転してきた車を使った。


 流石にいい大人二人を担ぐのは高校一年生には難しかったが、まあ車の運転はそこまで難しい物ではなかった。平日の二時過ぎは車通りも多くなく、ふらふらした運転でもなんとか事故らず病院内の駐車場まで来ることが出来た。


 空きスペースに頭から車をぶち込んで、兄を背負い、斉藤さんに肩を貸しながら受付をすると、看護師さん達が代わってくれて、すぐさま診察してくれた。


 斉藤さんに関しては栄養失調と極度の疲労。兄は詳細は不明だが、とても考えられないような状態で、今すぐにでも体を開いて中身を確認する必要があるとのことだった。




「君は、お兄さんがどんな仕事をしているのか知ってるんだろうかね?」


 CTの検査結果を待っている現在、俺は「ね」先生と診察室の一室でコーヒー片手に話をしていた。


 無表情なのが逆に現状の危うさを語っているように見える態度で、そう問われた。斉藤さんは別室で点滴中だ。


「兄のしている仕事が何でも屋であることと、その仕事の所為でかなり無理をしていること、それに加えて、僕にその尻ぬぐいが回ってくることくらいは知ってますかね」


 ねが移った………


「……あの、山野一樹を兄に持つ君に、一つ聴きたいことがあるんだがね」


 俺の解答には反応せず、パソコンと連動するモニターに向けられた視線はそのままに棒付きの飴の包みを剝がす「ね」先生。


 そんな先生の質問への同意を求める言葉に「はあ、なんですか?」と若干低いテンションで問い返した。


 俺と兄が兄弟であることを知った人間が、俺にしてくる質問に、これまで碌な物がなかったことを思い出したがための低さだ。別に聴かれて嫌なことがあるわけではない。


 目を閉じ、しばし黙考した上で、「ね」先生は口を開いた。


「君は、自分の才能についてどう思う?」


 全く初めての質問という物を少しだけ期待していた俺は、期待外れのその質問に出そうになるため息を呼吸に変える。


 これも、もう何千回とされてきた質問。


「兄に比べれば凡人以下も良いところですけど、生んでくれた母に感謝できるくらいの才能はあると思ってますよ。まあ、つまりは普通以下の才能の持ち主だと、自己評価しています」


 何回も、何百回も、俺は聴かれてきたのだ。


『あんなに凄いお兄さんがいると、弟としても大変でしょう?』


 そのたびに本音をぐっと堪え、体裁の良い言葉を並べて取り繕った。


「兄が恥ずかしくない程度の人間にはならないとって」


 だから今回もそう答えた。染み込んだ習性で、何食わぬ顔で苦痛に耐えて、言葉をオブラートに包んで毒を吐く。


「はあ………。そうか、君にとって自分とは、そういう物なんだね」


 「ね」先生は詰めていた息を吐き出すと、納得の言葉を口にした。


「それが、どうかしたんですか?」


「私や、他の人間は、彼の言葉を何一つ信用していなかったんだね。いや、彼の功績や、積み上げてきたキャリアを否定しているわけではないね。彼の言葉とは、即ち君に関する彼の弁のことだね」


 兄の語る、俺?


 信じるもなにも、信じられないようなことをした覚えがそもそもない。


 首を捻る俺に、「ね」先生は続けて語ってくれた。


「彼は君のことをとても高く評価していたね。自分よりも優れている人間は、俺の弟以外いないと豪語しながら、この世に山野一樹の他に天才なしと名をとどろかせる彼の所行は、とても彼の言葉を裏付けさせない物だったね」


 やってることと言ってることがバラバラ。有識者達にとって、兄の積み上げる前代未聞の功績は、あまりにも前代未聞過ぎて、こんな人間が同じ時代に二人もいてたまるかという若干の恐怖から忌避する対象に代わりかけていたのだろうし、だからこそ、兄の、俺より凄い弟、発言は、信じるに値しない物として考えていた。


 そんなところか。


 話の途中で大体の内容を理解してしまい、その先もつづく「ね」先生の語りは聞き流し、結論を述べるまで待つことにした。


 そういえば、「ね」先生の名札には、「ね」ではなく本名が書かれていた。


 どうやら杉田玄黒と言うらしい。


 医者にはなっちゃいけない感じの名前の人だった。


 そんなことを考えていると、杉田先生の話は終わりへと進み、結論から言うと。


「君は、どうやら本当に山野一樹を超える逸材なんだな」


 という、相変わらず、兄に関わる人間が何故か口にする俺への過大評価が発声された。


「極々たまに、僕と兄を比べたときにそういってくれる人がいるんですけど、それは勘違いだと思いますよ。俺に出来るのは、精々あの人の尻ぬぐいくらいですから」


 椅子を回し、こちらを見た杉田先生の目には、何か怖ろしい物でも視るかのような色が浮かんでいた。


 この目。この目は昔、兄が向けられていた物と同じだ。


 俺はそう思った。


 と、扉がノックされると、杉田先生は忘れていた呼吸を取り戻すかのように息を大きく吸い込むと「どうぞだね」と返事をした。




 骨がほとんど使い物にならなくなっている。


 レントゲン写真から見ることが出来る山野一樹という人間の骨には、ほとんど全く、中身がなかった。骨が、肉が灰になるまで焼いても残るはずの骨が、すっかすかのボロボロの状態で肉体を支える為に体内に存在していた。


 だが、この状態ではおそらく、一歩歩くだけで一本折れる。


 どころか、起き上がろうと腕を曲げた時点で何本か腕の骨が折れていてしかるべきだろう。人間がこの状態にあったなら立ち上がることはおろか、指を曲げることも、不可能だったろう。


「こんな状態でも、体を動かせるんだから、化け物ってのは怖ろしいですよ」


 データを持ってきてくれた技師さんは、悪気無くそう言って顔を青くしている。写真を見てすぐにここに来たのではないのだろう、冷静さは保っていた。


「全くです。骨粗鬆症の患者ばりにすっかすかなこの骨で、よくもまあ仕事なんてしてたもんですよ」


 俺が感じたのはキモいなあという軽い感想だったが、技師さんの反応が一般的な物だろう。なので合わせて置いた。子どもの頃からその化け物と過ごしてきた俺にしてみれば、これくらいはやってのける人間なのだ。むしろ、倒れた方に驚いている。


「………彼も、人の子と言うことだね」


 背もたれに体重を預け、杉田先生は息を吐いた。


 しばしの沈黙の後、技師さんが一言言って出て行くと、俺と杉田先生の二人、写真を眺めながら黙し続けていた。


 あの男の体で、なにが起こっているのか。多分、杉田先生もひたすらにそれを考えていた。


 どんなに考えても答えは出ず、気付いたときには六時を回っていた。


「それじゃあ、俺は今日はもう帰ります。何かあれば、ここに連絡してください」


 立ち上がって挨拶をし、先に書いてあった自宅の固定電話の番号を差し出した。


 杉田先生は受け取ると、メモ帳にそれを挟んで、


「解りました。私も色々調べてみます。今日はお疲れ様でした」


 一礼して診察室を出ると、待合室には患者なのか付き添いなのか、少なからぬ人がいて少し空気が熱っぽい。


 そんな人の波を縫うように抜け、正面玄関から外に出る。


 九月末日の空は夏を完全に失い、空を覆う雲は、今の俺の心の中を表している。


 もやもやした気持ちと、晴れてない霧に包まれたにっちもさっちもいかない現状は、どうやら秋の空同様、簡単に晴れたりはしてくれないらしい。






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