第87話 求めよ、さらば与えられん。


 裏の世界や闇の中などと、仰々しい風味に仕上げて言ってはいるが俺の調べたことと弓削さんが教えてくれたことを纏めて理解したとしても、それはきっと無限を超える枚数の絵画の一枚を見ただけに過ぎないのだろう。


 表の世界のことすら理解しきっていない人間が、裏の世界を理解した気になるなどとは、信じられないほどの傲慢だ。


 巫女として大成し、現在進行形で神社を治める弓削さんに色々と教わりはしたが、それだけではしゃげるほど俺はお調子者ではないつもりでいる。


 俺の言葉を聞いたときの先輩の表情。


 正直、俺の考えていたそれとは全く違ったその反応に、また一歩、深みに踏み込んでしまった気がしてならないのだが、それでも、あの何かに裏切られたような恐れの表情は、俺の瞼の裏にまだ残っていて何かを訴えかけてくるのだ。


 耳を澄ませて、目をこらし、感覚を研ぎ澄ませ……


「ーーーーはい、じゃあ口閉じて良いよ」


 俺の口内を照らしていたライトを消して、机に向き直るとカルテになにやら書き込んで看護師に渡す医者に、当然の疑問を投げかける。


「急に声が出なくなることって、結構あるんですかね?」


 先輩の部屋で声が出なくなってから十五分後。俺は、診察室で患者となっていた。


 人の病気調べてる最中に病気になるとかお笑いぐさも良いところだ。いや、笑い事じゃないけどね。


 椅子事俺の方を向き、手を広げて見せる大柄ないかにも中年といった医者は、今日初めて顔を合わせる人物だ。


「そだねえ、ストレス性なものが多いけどね、まあ、もう心配は無いと思うね。クスリとかはないけどね、まあまたなにかあったらね、すぐ来てね。今日の所はもういいよ」


 最後だけ「ね」が付かなかったことに少しガッカリしながら立ち上がり、挨拶をしてから診察室を後にした。


 今日俺は、先輩と話をするためだけに学校をボイコットしているのだが、考えてみれば夕方に来て説明して帰るという高校生らしいコースを選ぶことも出来たんじゃないのかと、待合室で会計の順番を待ちながら思い至ってしまった。そこから更に、三好さんに文化祭の準備を丸投げしてしまっていることも思い出し、誰も見てないのになぜか目を逸らしてしまう始末。


 いやでも、偉そうなことを言った俺がサボっているからこそ、俺を敵視した奴らが結託してくれてるんじゃね?


 むしろそれを願うしかなくね?


 敵に願いをって、なんだそりゃ………


 でもなあ、文化祭、いや、学校祭だったっけ?


 もうここまで来たら本番当日も絶対行きたくないなぁ。行ったら逆に、何で来たの?とか聞かれそうで怖いな。いや、俺に話しかけてくる奴いないか。


 あ、なんかちょっと悲しくなってきた。


 よし、決めた。当日も休もう。ていうか何ならこれから文化祭までサボってしまえば良いんじゃないか? どうせあの兄貴の所為で、学校には行かなくてもテストだけ受けてれば単位は貰えるようになってるわけだし。うん、それが良い。そうしよう。


 壮大な計画を立て終わると、タイミング良く名前が呼ばれ、お金を払うとお礼を言って病院からの帰路へと着いたのだった。




 ……………おれ……なにしに来たんだっけ……?










 というのは冗談で。


 先輩のあの顔。あの表情から納得してしまったのだ。先輩は自分がどういう状態なのかを知っていたのだろうことを。


 どうしてああなって、どういう状態で、なにをすれば治るのか。きっと、知っているのだ。全てが正常になる方法を知っていて、なにも言わないでいる。


 そして、俺はそこからはっきりと理解した。


 一人を殺し、二人を救う。


 きっとこの図式が、先輩の知る正解で、それ以上もそれ以下も無いのだと。


 自己犠牲の観点ならば美徳にも見えてしまう状況で、先輩のしたあの表情は、ある意味ではなにもかもを雄弁に語っていたし、だからといってそこから読み取れることなどたかがしれていた。ただ、絶対に裏がある。裏というか、事情。理由か。


 俺は知らなければいけない。先輩に聞いたときあの人が濁した部分を知ることが、今回の鍵だと言うことだけははっきりとした。


 裏を知り、表を見てきて思うことは、結局のところ知らなければ幸せだということ。


 知りたくもないことを知って、見たくもないものを見るのはもうたくさんだと思う気持ちが強い。誰だって人の苦労なんて見たくない。輝かしい栄光だけが全てであればどれほど良いことか。


 傾き始めている太陽と同じ方向に進みながら、ただただ虚しい思案に耽る俺に話しかけてくる者はいない。由利亜先輩は学校に行ったし、兄や斉藤さんも色々忙しくしている。この件は、実質俺に一任されていると言って良い。


 ならば、結論を出すのにはまだ時間をとれるのではないか。


 そう思ったとき、ベッドの上から動かなかった先輩の横顔が脳裏に浮かんだ。


 俺はその残像を首を強く振って追い払うと、アパートへの道を急いだ。




 初めて会ったのは、部室だった。


 あの頃の部室にはまだ物がほとんど無くて、初対面でいきなり椅子に磔にされた記憶が………いや、そんな記憶無い。


 由利亜先輩が俺の部屋に突然来たのも確か同じ日だった。


 先輩が二学年のかなりの人数を自宅謹慎に追い込んだとか、なんとか……


 ……ん? 先輩は確か、中学の二年でこうなったって言ってたよな? そしたら高校で同じことになる理由がよく分からないんだが………


 教師陣は態々生徒を実験台に使ったってことか?


 でも、なんで? 確かに、学校って場所の特性から考えれば、一度は教室に連れて行くだろう。でも、一回で良いはずだ。解れば終わりだろう、なのに何故、多くの人数が来られなくなるまで、教室にいさせ続けたんだ?


 いや、そうか…… これ、超簡単だ。あのクソ兄貴が、裏で手を引いてればそのことにも、俺が今この状況にいることも、なんなら、花街先生の急な退職が可能だった理由にも納得がいく。


 しかもだ、あの男が裏で手を引いているなら、俺以外誰も発掘部に見学に来なかった理由も、由利亜先輩が俺の部屋に突然押しかけて来られた理由も、今までの細々とした放置してきた疑問が、全部、全部解決する。


 小さな誤差を、大きな行き違いを、全部あいつが修正していたってことか。


「なあ太一、俺はお前のそういう天才的なところ、本当に嫌いなんだよ」


 突然聞こえてきた声。


 俺は無反応を装いながら足を止める。もちろん驚いていたが、それを悟らせない努力。敵に隙を見せるわけにはいかない。


「俺はその心を読んでるみたいに突然現れる兄さんのこと、怖いと思ってるよ」


 あっけらかんと、なにもかもが自分の思い通りに進んでいるとでも言うかのように、俺は一生懸命虚勢を張った。


「なんで、お前はそうなんだ」


 感情を押し殺したような兄の声は、背後から聞こえてくる。


 そのことに気付きながらも、俺は太陽を見据えたまま応じる。


「なに言ってるのかよくわかんないけど、俺は俺だから、どうもこうもないよ」


 余裕のない身の上で、敵に先手まで取られた。これは、ある種最悪の状況だ。


 もともと兄が味方だったことなど無い。にもかかわらず、ここ最近は頻繁に会って会話をしていた。そのことが完全に裏目に出たのだろう。


 俺の思考など、この男にしてみればこのくらいのタイミングでここにたどり着くと予想できる程度の物だったと言うこと。


「なあ、太一、知ってるか? 神様ってのはさ、必ずしも良いことだけをしてくれる存在じゃないんだよ。時折、神様は気まぐれ、なんていう奴がいるんだが、ありゃあまあまあ的を射ていると言えるな。時間も空間も関係の無い神なんて物騒なもんに手を出した人間の末路を、お前は知ってるか?」


 怯えを噛み殺すような声で問いかけてくる男は、振り返って見れば膝をついて地面に話しかけていた。


 確かに、俺はそのことを知っていた。


 正確には弓削さんから教わった。


 神堕ろしの儀式を、陰陽道に秀でた男が行った際、男は神を自分に堕ろすのではなく神と自分を存在事入れ替えようとしたのだという。神を下らせ、神の通ってきた道を通って自分が神の体に昇る。どう考えてもうまくいくはずのないこの儀式は、想像通りに失敗に終わり、男は消えた。


 神への冒涜は、世界への冒涜だと世界が知ったその儀式の後、文献に記された内容を記憶していた物は一人としていなかった。


 なにをしたらどうなるか、その恐ろしさだけが人の記憶にこびりつき、男の存在はなかった物となった。


 ただ、そういう男がいたのだと、そう記されるようになった。


「そうさ、男は神の世界に昇ろうとして失敗した。だけどな、神の世界になんて昇る理由無いだろ? こっちの世界で、神の力が仕えた方がよっぽど良いと思わないか?」


 神の力。


 一月前の俺ならば、馬鹿馬鹿しくてやってられないとスキップで家に帰って由利亜先輩の作る夕飯を足をばたつかせながら待っていたことだろう。


 だが今は違う。いや、一月前でもそこまで露骨に無視したりはしなかっただろうけど、そうじゃなくて。


 苦しそうに胸を押さえながら立ち上がる兄を横で支える斉藤さんの表情も昏い。


 この三日で何があった?


 状況の混沌。情報の不足。人と関わると本当に碌なことが無い。良いことと言えば、由利亜先輩の手料理くらいの物か。


 ………それだけあれば十分とも言えるか。


 しかたない。毎度のことだが聴いてやろう。


 この男、仕事を始めてまだ一年も経っていないというのに流石に弟に頼りすぎじゃないのかという疑問をぐっと飲み込んで、いつも通り、普段通りの掛け合いで。


「で、今回はなにをやらかしたんだよ、兄さん」


 兄は苦しそうに、さも、もう生きる力が無いかのように口を開いた。


「神様って奴に、喧嘩を売っちまってな、その、落とし前を付けたい」


 もう何が何だかさっぱりだ。


「俺には、三好さんの学校祭の準備を手伝うって約束が在るのに、こんなんじゃいつまでも学校に行けねえじゃねえか」


 頭をボリボリかきながら斉藤さんを見る。


 つい四日前までは凜々しい風体だった彼女が、なにがあったのかほとんど寝ていないように見える。


 兄の方は、今にも死にそうな感じである。


 どう見比べても直近の二人と画が合わない。


「んー…… 先輩の病気を治したら、学校に行く予定だったんだが………」


 また神様か……


 先輩の方が片付いてないのに、厄介事ばかり持ってきやがるこのクソ兄貴に、そろそろ一言がつんと言ってやる必要がありそうだ。


「おい、今回だけは手伝ってやる、でも次はないから……」


 ドサッ、といきなり崩おれた兄は斉藤さんを巻き込んで地面に激突した。


 言いかけていた言葉は消え、走り寄った。


「…もう……ダメかも……しれません…」


 消え入りそうな斉藤さんのその声が、この出来事の重大さを物語っていた。






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