第89話 そ…それで良いの? 弓削綾音は思う。


「明日は学校行きます」


 夕の食事中。茶碗からを口に運ぶ手を止めて、目の前に座る由利亜先輩にそう言った。


「良いんじゃない。たまには気分転換も」


 そう応じて、ご飯を口に入れる由利亜先輩の目はテレビに向けられている。


 高校生らしくないチャンネルセレクトで画面に写る情報番組は、誰か有名人の訃報を知らせていた。


 最後の一口を呑み込み「ごちそうさまでした」と手を合わせると、「おそまつ~」と返ってくる。


 食器を重ねて持つと、水に浸けるためシンクへ運ぶ。


「洗うのは俺やるんで、浸けといてくださいね」


「おねが~い」


 既に若干目眠そうな由利亜先輩の返事を聞き、体を癒やすために風呂場へと向かった。






 十月一日。


 由利亜先輩と連れだって登校すると、普段通りに校門で由利亜先輩はさらわれ、一人で昇降口を潜った。


 八時丁度に登校する無遅刻マンな俺は、一日の始まりにはふさわしくない行動、つまりは部室へと足を向けた。


 昨日したばかりの、学校祭終了まで学校に来ないという決意を早々に破ったのは、家にいたところで何かが好転するわけではないという常識的な判断。


 先輩の病気も、兄の状態も、昨日の時点で何故あんなだったのかは斉藤さんに話を聞いても解らないだろう。


 当人である斉藤さんすら、かなりのショックを受けいて真っ当な受け答えは出来そうになかったから。


 部室にたどり着くと、中からなにやら音が聞こえてきた。


 誰かいるのかと不思議に思ったが、まあ正直、三好さんしか思い浮かばない。なんだかんだ律儀な人なので、誰も来なくなったここ一週間のことを気に掛けて、掃除でもしてくれているのではないか。


 そんな風に想像しながら一応、扉をノックした。


「……は、はい…?」


 返ってきた返事は確かに聞き覚えのある声だった。


 訝しがるような声に、「山野だけど、入っても大丈夫?」と聴く。


「え!? 山野君!!? どっどどうぞ!!」


 あたふたとしたその声に、取っ手に手を掛け押し開くと。


「ごめん!! やっぱりまっ………!!!?」


 そこには慌てふためく三好さんと、下着姿の弓削さんの姿があった。


「……」


 目が合ったのは弓削さんとだった。


 出した足をそのまま引き、巻き戻しの要領で扉を閉めると、二分後。再度ノックをして「……どうぞ」という声を聞いてから扉を開いた。


 さっきと変わらない位置に汗をだらだらとかいている三好さんと、今度は体操服をしっかりと着ている弓削さんは顔を真っ赤にして立ち尽くしている。


 依然、無言。


 長机とパイプ椅子の並べられ、持ち込んだカラーボックスにはお茶の道具とお茶請けが入っている。


 何日か前と全く変わらないその部室で、俺は苦い無言の時間を打ち破るべく口を開いた。


「おはよう。今日も良い天気だね」


 返事はない。


 気まずい空気を作り出している三好さんは、きっと罪悪感からなにも言えないでいるのだろう。


 窓の外を見ると、一瞬にして土砂降りへと天候が変わった。


 もはや気まずさに堪えかね別のことを考え始めていた俺は、「雨やば、傘持ってきてねえぞ」とそんなことを考えている。


「………山野君……久しぶり…」


 思うところあったのか、弓削さんが俺に声を掛けてきた。よし、これで俺が軽妙な話術で会話を広げれば。


「う、うん、久しぶり。日曜日はありがとね、色々お世話になりました」


「い、いいのいいの。お母さんのためでもあるし……」


「そ、そっか、でも一応ね、ありがと………」


「……」


 会話終わったあああ!!


 どうすんだよ三好さん! あんたの所為でスゲえ気まずいんだけどおおおお!!!


「あ、あの…… 山野君、さっきの、は、忘れてくれるとうれしい……な……?」


 恥ずかしさを隠しているつもりなのか、弓削さんは言葉はおどけたようしつつもつっかえつっかえとなりかなり不自然だ。


「俺の記憶力はかなり残念な部類だから、その内忘れると思う」


 だが、そんなことを指摘してもまた無言になるだけなので、取りあえず事実と嘘を混ぜて返事をしておいた。


 事実とは俺の記憶力が残念なこと。嘘とは、まあ、クラスメイトの下着姿を二三日中には忘れられそうにないと言うことだった。


「そういえば、ここでなにしてたの?」


 もはや無言を嫌うからこその質問攻めだ。ここからは止まらない、フルスロットルだ!


「今日はその、先輩達二人と戦うって、里奈ちゃんが……」


 なにかおどおどしたようなしゃべり方の弓削さんに違和感を感じながらも、未だ硬直状態の三好さんに謎を問う。


「戦うって、なに?」


「なんでもないよ……? 掃除してただけ。うん。そうだ、掃除してた!」


「なに今思いついたこと言ってんの」


 確かに掃除はされているようだが、掃除道具が一切出ていない現状で掃除をしていたと言うには苦しかった。


「うっ…」


「私が来てみたいって言ったの! そしたら砂まみれで服が汚れちゃったから着替えてたの!!」


 息を呑む三好さんに、弓削さんははっと何かを思い出したように助け船を出した。助け船と解るほどには下手な言い訳だった。


「信じてないでしょ?」


 じとっと弓削さんに睨まれるが、その通りなので首を縦に動かした。


「本当なの! 掃除をしてたのは本当!!」


 つまり弓削さんが来たいと言ったのは嘘で、三好さんに連れてこられたら部室が砂まみれだったから掃除をしてたと。そういうことだろうか。


「まあ、掃除をしてくれたことには部員としてお礼を言います。ありがとう。それから、朝から良い物を見せてくれた弓削さん、ありがとう」


 下げた頭を思い切り殴られたのは、まあ予想通りだった。




 パイプ椅子に腰掛け、湧かしたお湯でお茶をいれると三人で授業までの時間をくつろいで過ごしていた。


 外では轟々と唸る風が激しさを増していた。


「雨、返ることには止むかな」


 傘無いからなあと思って漏れた言葉に、三好さんが衝撃の事実をくれた。


「明後日まで雨だって話だったよ?」


「まじですか?」


「天気予報では確かにそう言ってた」


 天気予報。テレビもろくに見ない上、スマホも携帯も持っていない俺には縁遠い物だった。


「あさって、てことは、今日は濡れて帰るってことか……」


 恨みがましく外を見る。


 この雨風じゃ、電車は止まってるだろうなあ。


 ……ん?


 電車止まったら、学校休みじゃなかったっけ?


 ピンポンパンポーンと、教員が利用する校内放送の合図が響いた。


『ええ、全校生徒の皆さん、台風十二号の影響により、公共交通機関にも乱れが発生し始めているため、登校できない生徒が複数出てきていますので、今日の授業は中止といたします。が、現在校舎にいる生徒は、風が治まるまでの間、校内での待機とします。絶対に、風の強い間に外に出ないようにしてください』


 同じ内容のアナウンスが三度放送され、始まりと同じ合図が流れると校内は静けさを取り戻した。


 当然俺は、あ、やっぱり。と思っていた。


「今日の授業の分がどこに来るかが心配です……」


 やはり、違和感のあるしゃべり方の弓削さんに指摘することなく、


「だねぇ、日曜に補習も嫌だけど、土曜が丸一日になるのも嫌だねぇ」


 うんうんと頷き合ってお茶をすする。


 和む。


 心の中にその文字を浮かべた次の瞬間、三好さんの「どうしよう」という震えた声が耳に入ってきた。


 俺の平穏は、簡単に破られすぎじゃなかろうか?


「電車止まって、親も今日は会社に泊まるって言ってる……」


 スマホを見ていた顔を上げて俺たちに訴えてくる。


「家の鍵は?」


「ない」


 弓削さんの質問に即答する三好さん。


「詰んでるね」


「チェックメイトだね」


 和洋入り乱れる単語セレクトだった。


「弓削さん家に止めて貰うって言うのはどうだろう」


「ごめん里奈ちゃん、私今日用事があって家に帰らないの……」


 即効で友達に見捨てられた三好さんに、手を差し伸べる者はいなかった。


 解決を見ないままの案件を放置し、


「じゃ、オセロでもやる?」


 俺の提案に「私やります!」と弓削さんが立候補してくれた。


「俺は強いよ~」


「私の美技に、酔ってください」


 したり顔の俺とドヤ顔の弓削さんでのバトルが、今、始まる。


「山野君家にとめてよおおお!!!」


 泣き出しそうな声でのそんな当然の願い事は、二人とも聞き流した。






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