第72話 物語としての歩み。



 社務所と言っても、俺たちのいる場所はどちらかと言えば居間のような感じのところで、なかなかどうしてくつろげてしまう空間なのだが、少しだけ違和感があった。


 その違和感がなんなのか、気付くのが少し遅れたが考えてみれば簡単なことで、


「そういえば、ここって宮司さんはいないの?」


 あらかたの質問をし終え、そろそろ帰ろうかなと考えていたタイミングで、ふっと違和感の正体に気付いてしまったが故の質問。


 別段、重要な質問のつもりでもなかったのだが、された側である弓削さんには衝撃を与えたようで口元に持っていこうとしていた湯飲みの動きがピタリと止まった。


 その反応に、俺は小首を傾げる。


 さっきまで、滞りなく俺の質問に答えていた口は噤まれて、目の焦点が合っていない。


 明らかに過剰なリアクションだ。理由の分からない俺は、怪訝な目を向けてしまう。


「…あ、え、とね、いるよ、宮司。この神社の宮司は、私のお母さんなの」


 湯飲みを机に置いて、弓削さんは俯いたままそう答える。


 なんだろう、「女系家族」とは聞いたが、俺はそれをお父さんはいるが女子の方が多い家族構成程度の軽い意味合いで捉えていたが、実はこの家、お父さんいないのかな?


「お母さんが宮司、私が巫女で、妹が二人いるんだけど、その子達が掃除とか売り子とかやってるの。ここにいるのは私たち家族と、護身術を学びに来てる生徒さん、それにさっきの弓道場にいた弓道部の人たちが来るくらいなの」


 顔を上げて、無理矢理作られた笑顔を向けられながら、俺はその説明を聞く。


 俺は神社のことをよく知らないが、そんな風でちゃんと運営していけるのだろうか?


 流石にこんなぶしつけは聞けないが、今の答えで一つしなければいけないことが増えた。


「なら、宮司さんに一言挨拶して帰るよ。そろそろ七時だし」


「あ!? 挨拶なんていいよ!! もう遅いし!!」


 いちおうお邪魔したのだから挨拶はさせて貰おう、そのくらいの軽い気持ちで言った「挨拶」を何かと勘違いしてはいなかろうか。


「そうも行かないよ、ここは一応神のいる場、何でしょ? だったら礼を失することは霊に対する不徳だよ」


「一応はいらないからね」


 俺の言葉に一瞬ぽかんとした弓削さんに一部否定されつつも、その場を立ち上がる。


 弓削さんも立ち上がり、お盆にお茶道具を載せると、


「じゃあ、案内するからついてきて」


 不意に合った目の奥に、虚ろな陰がかかったのを俺は、見逃さない。








 一度として靴を履くことなく長い廊下を歩いていると、社務所や弓道場と同じように、独立した建物にたどり着いた。


 俺は、手に持ったままのポットを意識しながら逆の手で扉に手をかける。


 引き戸となっているその扉には、鍵がかかっていて開けることは出来ない。


「弓削さん、遅いな」


 ぼそっと呟くが、誰かがそれに反応することはなかった。


 開かないと分かっていながらも、俺がこうして三度目の挑戦に出たのには理由があった。


 お茶っ葉を変えてくると一人、家のキッチンに行ってしまった弓削さんを待っているのだ。そして、その待ち時間もそろそろ十五分を過ぎる。着替えとかしてるのかもな、と自分を納得させてはいるが、とはいえ昼間はそれなりに気温が上がる九月の終わりも、流石に十九時を少し過ぎれば寒さが勝ってくる。


 だから、なんとか風だけでもしのごうと戸に手をかけたりしてみるのだが、開かない。


 声をかけ、中にいるという宮司さんに声をかけても出てくる気配もないのだ。


 何だろう、いつの間にかミステリーサークルにでも迷い込んだのだろうか。少なくとも、そこに人がいるはずの場所からの返答がないのは普通にミステリーな気がするが。


 とはいえ、弓道場の声は微かに聞こえるし、虫の鳴き声だってする。不自然なところはこの目の前の建物だけだ。


 つまり、ミステリーなのは、ここ。


 予感はするのだ。


 嫌な予感。


 絶対に、現状が丸ごと面倒くさいことになるような、そんな予感はある。


 だが、しかし、それを理由には帰れない。


 今の状況、関与しているのが俺だけならば躊躇うことなく即帰宅ルートなのだが、ここ、この場所には俺だけじゃない、あの兄が関与しているのだ。現代のトラブルメイカーの異名をほしいままにするあの男が、俺に資料を渡すためだけにこんな所まで来るか?


 いや、希望的な観測に、楽観的な俺の意思を加えても絶対にあり得ないと断言できる。


 だからこそ、まだ帰れない。


 ……のだが、そうそうにこの違和感の正体を探って帰りたい俺の前に立ちはだかったのは、弓削さんだった。いつもなら、あのゴミみたいな兄貴がする俺の邪魔という役回り。今回は、その兄の大ファンであるところの弓削さんによる妨害だった。


 こんなことをボソボソと考えてる間にも、時間は過ぎるが、弓削さんは現れない。


 どうしよう、ここが山の上であることと日の傾き、それに木の種類的に見ても、明らかに俺の住んでるアパートよりも学校に遠い所なのは分かるし、ほぼ確実にアパートに帰るまでに四十分以上かかると見積もっても……


「……夕飯までに帰れる気がしない………」


 最近、ようやく由利亜先輩の機嫌が直ってきているのに、こんなくだらないことで損ねたくない!!


 先輩にも色々言われるだろうし、何より早くあの資料を見ないことには治療の方も算段が立てられない。


 ……弓削さん、探しに行くか。


 この慣れない広大な敷地の中で、人一人捜し出す、言うは易し行うは難しだ。


 ふむ。探しに行くのが愚策なら、ここで待っていた方が良いのかというと、絶対そんなことないよな、だってもう二十分くらい待ってるし。


 ということは、これ以上ぐだぐだ考えてても無駄ってことだな。


「よし、やるか」


 一人呟くと、ポットを地面に置き腕まくりをして扉に手をかける。


 ぐっと力を加えるがやはり開かない。


 開かないことを再確認すると、ふうっと一つ息を吐き、取っ手の部分と反対側の縁の部分を持ちそのまま引っ張り上げると、手前に引いた。


 扉を外す。


 ピッキングなどの技術を必要としない鍵のかかった家に入るための方法は、いくらでもあるが、古いタイプの引き戸なら、基本これでいける。昔、母方の祖母の家で、玄関の鍵が壊れたときに祖父がやっているのを見て覚えたものだが、その当時かなり幼かった俺にはとても真似出来なかったが覚えておいて良かった、おじいさんありがとう。


 何はともあれ、開けた扉から中に入ると、鍵を開け戸を元に戻す。これで一工程。


 中は一見物置小屋然とした雰囲気だが、奥の方に階段があり、日が差し込んでいた。靴を脱いで近付いてみると、木造りの急なその階段は、どちらかというとハシゴに近い。


 さっき、あれだけ呼びかけても出てこなかったんだから、今呼んだって出てくるわけないだろうと考え、下の階をあらかた物色するとそのハシゴに手をかける。ギギっと音を立てるハシゴは、置いてあるものとは違いほこりをかぶっていない。


 誰かが使っている証拠だ。


 一歩、足を乗せる。ギギと今にも壊れそうな音が俺の耳に届く。


 俺は、嘆息すると光の入ってきている四角い穴を見上げ、もう一度息を吐いてから壊れないよう慎重に、落ちないように静かに昇った。


 俺の体重に負けそうな音を出しながらも、最後まで乗せてくれたハシゴを内心褒めつつ、四角い穴から顔を出す。


 そこで俺は目撃した。


 ミステリーサークルと同等か、それ以上に奇怪な、しかし俺は既に知っている、それを。


「な…なんで……なんでここに……ここにもいる……?」


 さっきまでの気遣いを捨て、勢いよく穴から二階に上がると、そこには、布団を掛けられながら、命の火を燃やす、美しき炎が在った。


 美しく、美しすぎるが故に命を落とす、そう言われていた炎が、ただ淡々と、燃えていたのだ。


「山野君はさ、これ、治せるんでしょ……?」


 突然の人の声に振り向くと、弓削さんが穴から登ってきていた。


 声のトーンは今まで通りだが、明らかに理性を保てていない。


「この人が、弓削さんのお母さん、ここの宮司さん。で、良いんだよね?」


 力なく頷く弓削さんは、母親の枕元にそこが定位置であるかのように正座した。


 この光景も、前に見たな。そう思った。


「さっきの質問だけど、治せるんじゃないよ。まだ、治せない。治す方法を、今探してるところ」


 ありのまま、事実だけを伝えた。


 先輩の時とは違うということは容易に理解できた。あの人は多分、理解して今を生きている。俺も知らない情報を元に、全てを理解して。


 だがこの子は、弓削さんは、多分何も分からないままに、母の看病をしているのだろう。


 それがどれほどの恐怖か、俺には理解も出来ない。


 きっとこの先、生きていく中で、理解できるタイミングも来ないだろう。


 だから、この危うい女の子に俺は偽らない。


「治す手段の目途は立ってるの?」


 声が少し冷たさを帯びた。


 母の顔を見つめる弓削さんの横顔は、表現のしようもないほどに静かで、ただ静かで、見ているのが痛々しい。


「いや、まだ何も。なぜこんなことが起きているのかすら、分かってない状態で、分からないだらけだ」


 答えを聞いた弓削さんは、横向きのままこちらを見て「そう……」とだけ言って、すぐに母親の方に視線を戻した。


 場を、しばらく沈黙が支配する。


 と、コンコンと入り口の戸を叩く音が聞こえた。


『お姉ちゃん、いる? ごはんできたよ』


 妹さんが呼びに来たらしい。


 その声に、


「分かった! すぐ行くから食べてて良いよ!」


 瞬間、別人が取り憑いたかのように、弓削さんは反応する。


 何事もなかったかの用に立ち上がった弓削さんは、笑顔で俺に声をかけてくるが、俺にはそれに応じる余裕がなかった。状況を理解するのに自分のキャパを使い切っているからだ。なにがどう動いたところで自分の能力の低さは変えられない。


 楽しげに、さながら友達との下校の約束を守るかのようにハシゴを下り始める弓削さんには申し訳ないのだが、俺には最後に二つ、聞いておきたいことがあった。


「弓削さん、聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」


 お互いハシゴを下り、階下に到着すると物に囲まれながら対面する。


「もちろん、何でも聞いて?」


 笑顔。今までと同じ、目の奥に陰のある笑顔。表面的には綺麗で、可愛らしい、人を吸い込むような笑顔。


 あれだけ時間をかけた割には、お茶道具も持ってないは着替えてすらいないはで、本当に何をしてたんだと聞きたくなるところをぐっと堪え、俺は本題に入る。


「お母さんは、いつからあの状態なのかな?」


 俺の質問に、弓削さんは変わらず笑顔で答える。


「んー、確か二年前かな。私が中学二年の時だったと思う」


 二年、ということは先輩のとタイミングは符合しない。


 タイミングが同じなら、同じ理由でなったと考えられたかもしれないが、一年の違いは大きい。


 まあ、宮司の仕事をしていれば海外旅行には行けないだろうから、元々期待はしていなかったが。 そこまで考えて思考を沈め、俺は最後の質問を口にした。


「じゃあ二つ目、なんでああなったか、分かる?」






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