第71話 迷走中。



 静かな場所だ。風の音と虫の音と、さっきの弓道場からだろう人の発する大きな声の残滓だけが漏れ入ってくるだけの、多分学校の図書館なんかよりも静かな空間。


 恐ろしいほどに広い荘厳とした雰囲気の、神々しくなければいけないはずのそこに、俺は仰々しさだけを感じながら畳の床に正座をしてコスプレではない巫女装束の弓削さんと向かい合っていた。


「最初に、山野君は『神』っていう存在をどう思いますか?」


 これから何が起こるんだろうとそわそわしていた俺にかけられた問いは、そんな要領を得ない物だった。


「カミ、カミって、髪の毛とかペーパーの方じゃなくて、ゴットの方の、今まさに弓削さんが使えている存在のコトだよね?」


 俺は、自分が今どこでどんな状況にいるのかを、改めて確認する。


 ここは所謂お賽銭箱の奥。神のまつられる神前。


 残念なことに無神論者を自称する俺には、やはり何というか、金の無駄遣いな観が否めない雰囲気のそこは、神とは、と問うにはあまり適切とは言いがたいようにも思う。


「そうです。神様。私が生涯をとしてお使いするその方を、あなたはどのように見ているのか、そう聞いているんです」


 表情は一切動かさず、怜悧な口調で問いかけてくる。


「そうだな…… あんまり考えたこともないけど、そういうモノって感じかな」


「と、言うと?」


「先に言っておと、俺は無神論者でさ、だけどまあ、わざわざ神なんて居ないって言って回るような努力家と違って、俺の場合はもっと単純に、居ても居なくてもどっちでも良いから無神論者なんだよね。だから考えたこともないよ、居る理由も、居ない理由も、並べ出せば切りがないけど、だからこそ別に深く考える理由もない」


 言い終えると、弓削さんは俺の言葉を租借するように黙考して、慣れた所作で白衣の袖口を弄り始める。


 何かに迷っているらしい。


 が、その不作法はどうなんだろうか。


 そんな風に考えていると、ふと気付く。弓削さんの雰囲気がさっきまでのものとは全く違っているということに。


「あの、弓削さん?」


 少し動揺してしまい、うっかり声をかけてしまう。


 しかしそんな俺の問いかけにも、弓削さんは気付かずに思考を続けている。


 妙に雰囲気のあったさっきよりはよっぽど話しやすい感じがするが、俺としてはさっきまでの落ち着いた雰囲気の方が気安かったというか、可愛い女の子観が急に強くなったことによって気恥ずかしさまで出てきた自分がいる。


「あ、えと、ごめんね、考え事してて、えっと、それで、えーと…… 何だっけ?」


「取りあえず、落ち着こうか」


 急に取り乱し始めた弓削さんに、完全にアウェーな俺が、なぜかアドバイスをするという奇妙な展開だった。






「で、俺の神様論は特になしということで納得いただけましたか?」


 場所を本殿から社務所に移し、弓削さんの淹れてくれたお茶を二人であおり一服入れた後、そんな風にやりとりを再開した。


「あ、うん。それは納得、というか、聞いてた通りだったよ」


「聞いてたって、何を?」


 さきほどの本殿とは違い、空間的な圧迫感を感じないおかげか、通常運転で会話が出来る。ていうかなんで本殿なんかにつれて行かれたんだ?


「山野君のことは何でも知ってるんだよ! 何せ私は巫女さんだからね!」


「一気に似非感が増したな!!!!」


 胸を張ってそう言い張る姿はまさに偽物かコスプレかという瀬戸際だ。


「じょうだんだよ、じょうだん。山野君のお兄さんがさっきここに来たんだよ。これを渡しといてくれって」


 差し出されたのは見覚えのある大判の茶封筒だった。


「これって…… あ、なるほど」


 そういえば、今日もあの兄の会社までこれを取りに行く約束をしていたんだった。中身は確認するまでもないだろう、先輩の診断結果だ。


「兄貴がこれを持ってきたの? ここに?」


 それはそうとして、普通に浮かび上がった疑問を聞いた。


「うん。すごいおっとりした美人さん連れてたよ」


「あ、確かに俺の兄だわ」


 しかし、なんでここが解ったんだ? 俺ですらまだ住所は解ってないんだが。


「でもすごいね、山野一樹ってあの有名な人でしょ? 最年少で大手家電メーカーの社長に就任して、たしかこの間宝石で有名な会社も買収したような……」


 高校生なのに新聞でも読むのだろうか?


 随分と詳しい弓削さんは、熱っぽく兄の偉業ならぬ異形な経歴をまくし立ててくれる。


「へー…… もしかして何だけど、弓削さんて、小学校の頃から新聞とか読んでた?」


「うん! 格好いいよね~ まさか山野君のお兄さんだったとは…… 里奈ちゃんもお目が高いなあ……」


 うわあ、この子もアイドル的目線であの兄を見てるタイプかぁ…… 夏休みにその手の人がいなくなったと思いきやだ……


 花街先生を思い出しながら、似た感じの表情で惚ける弓削さんに、


「それで、まだ聞きたいことがあるんだけどさ」


と声をかけることで引き戻した。


 何も本線に入っていない現状、脱線する線路すら敷かれていない状況で一心不乱に迷走する同級生をなだめながらの走行は、かなりハードルが高かった。


「まず、俺はどうしてここにいるのってことを聞いても良いかな?」


「そういえば敬語じゃなくなったな」とかなんとかぶつぶつ言いながらも、俺の質問にはきちんと答えてくれるようで、


「それはもちろん倒れてたからだよ。でも保健室には連れて行けなかった。だから連れてきたの」


 そう答えてくれる。


 事務的な口調から察するに、用意されていた解答らしい。倒れていた云々は予想通りだったが、俺の欲しかったそれ以降の、なぜ保健室に連れて行けなかったのかのほうの説明はされる気配はない。


「どう聞いても保健室に連れて行けなかった理由と、俺がどうして気絶なんてしたのかの説明は」


「お察しの通り、私の口からは出来ない」


 俺のこの言葉も、どうやら想定ないの台詞だったらしい。


 俺は少し考え込んで、それから、


「解った、詳しいことは自分で考えるよ。それじゃ、そちらの用件を聞こうかな」


 ばっさりと切って捨てた。 


 教える気のない人間に頼み込むのも面倒だと考えてのことだったのだが、弓削さんはたいそう困惑気味だ。


「い…いいの……? 自分がこんな訳の分からない状況にいるのに、その説明もなしで…?」


 何を聞いているのかわからなかった。


「言えないっていったのは弓削さんじゃん。それなら無理に聞こうとも思わないよ。大体のことはなんとなくわかったし」


 ここに来て、初めて弓削さんが俺をまじまじと観察するように見つめてくる。


 学校の自己紹介の時ですらこんな奇異の目線では見られたことないぞ……


「で、弓削さんからなんかあるんでしょ、俺の兄貴の頼み事だかなんだかが」


 ねっとりとした視線に耐えられなくなった俺は、無理矢理話を進めようと声を上げた。


「そ、そうだった。そもそも、さっきの質問も山野さんのお願いの延長だったんだよ」


 本線に入ってもいないのに、延長だけされるというのもいただけないが、あんまり口を挟みすぎるのも意地が悪いと自重する。


「本当だったら知ってること全部話すのが当然なんだろうって、分かってはいるんだけどね、でもそれは出来ないの。だから私から出来る話だけは全部させて貰うね?」


 改まった様子で言い訳なのか何なのかを口にする弓削さんに、湯飲みにはいったお茶を残さず喉に流し込んでから、


「それで十分だよ。何も説明しない奴より千倍マシ」


 と、もうだいぶ気心の知れた相手のように答えを返し、次の言葉を待った。




「まず、ここは水守神社って言って私の家が代々受け継いで神事を行っている土地神様のお社。水守って言っても、水を奉ってるだけじゃなくて、己、つまり自らを守る自衛の神様としても有名なの。だから、弓削家は代々護身術に秀でた家柄なんだ。でもさ、守ってるだけじゃいつか滅びるでしょ? そこにあるものだけで満足出来る程、私の祖先は無欲じゃなかったみたいでね、武術、特に人を殺めることに秀でていた家と手を組んだの。それで、多くの人を、殺した。本当に昔の話だけどね、戦国とか、戦乱とか呼ばれてた時代にまで遡るくらい。でも、過去の行いって忘れることは出来てもなかったことには出来ないでしょ? だから、私は彼から逃げられないの………」




「昔話はおいとくとして、弓削さんが生徒会長の許嫁だって言うのは本当だったってこと?」


 正直、あまり要領の得ない昔語り、というよりは神社とお家の問題を聞いて、俺はその話の中から有用そうな部分を引っ張り出す。


 すると、質問への肯定を首肯で示す弓削さんは、急須を持ってポットからお湯を注ぎ始める。


 自衛の神、聞いたこともないけれど、いるというのだからいるのだろう。


 しかし、そんなに昔からある土地神の神社なら相当なお家柄と言うことになる。実は弓削さんて世が世なら、姿さえ人前には出さないくらいの人物なんじゃなかろうか?


 ほほー、と今度は俺がまじまじと眺める番だった。


「な、何、かな…?」


 未だ巫女さんな少女は、そんな俺の視線に気づき急須を机の上に置くと、顔を真っ赤にして自分の体を抱くように隠す。


「ん、あ、いや、ということは俺は今かなり珍しいものを見てるんじゃないかと思って、しっかり見とこうかなって」


「毎年巫女舞は私がやってるよ? 結構大きいお祭りなんだけど…… あれ…? 実はそんなに知名度高くないのかな……?」


 あからさまに落ち込んでいく弓削さんに、何かフォローしなければと口を開くと、


「そんなことないよ! 確かに聞いたことはなかったけど、俺今年こっちに来たばっかりだから知らないだけだよ!」


 自分の口から案外まともな台詞が出てきて驚いた。


 あと、今年の夏は結構忙しかったのもかなり影響してるよなと補足的に思ったりもして。


 とはいえ、そんなまともなこと言われて立ち直れるくらいなら、最初から落ち込まないのだろう。俺が何を言ったところで「ありがとう」と、苦笑いで返してくる弓削さんに、若干の面倒くささを感じながら話題を変える。


「ところで、巫女舞って俺見たことないんだけど、どう言うものなの?」


 落ち込みモードから抜け出し切れていない弓削さんは、しかし少し逡巡してから、


「やって見せようか?」


と、まさかの提案に、若干昂揚しかけて自分が今なんでここにいるのかが脳裏をよぎる。


「じゃあ、今回の案件が全部片付いたら、見せて貰おうかな」


 このお願いに一人で納得し、俺は会話の趣旨を元に戻した。






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