第9話 寝れない夜の柔らかな夢。
「本当に勘弁してくださいよ」
早まったままの心臓の鼓動を、息を深く吸い込むことで宥めつつ、数歩前を行く鷲崎先輩の背中に呆れと憤りの混じった声をぶつける。
「ところで今日の夕飯は何にする?」
しかし、そんな俺の言葉など、どこ吹く風と言うように聞き流し、二度目となるその質問で打ち消そうとする。
俺も半ば諦めての発言だったので、謝罪などは求めていないし、むしろ謝罪されれば気まずくもなるのでその言葉には少しばかり救われたところがある。
俺が上級生からのあらぬ誤解を受けたあと、鷲崎先輩は少しその状況を楽しんだあと(その間俺はずっと弁解していた)、「冗談だよ(笑)」の一言でその場を納め、ちょっと用事があるんだと、俺を引き連れその場を離れた。素晴らしい手際だった。最初からそうしてくれとは、ここでは言うまい。
「そうですね、何にしましょうか。」
ふと、今までに作ってきた料理の数々が頭の中でスライドショー的に流れては、
「冷奴、卵焼き、納豆、ふかし芋、あとは…」
「ストーップ!!」
言葉となって伝わっていた。
が、どうやら鷲崎先輩にはそれらは何か異議のあるものだったらしく。
「それは料理っていうのかな?」
「俺の料理遍歴を全否定ですか、それはさすがに許せないですね」
「まだ、ほかにもメニューがあるのなら、言ってみるがいい」
ふう、一つ息を吐き、戦いの火ぶたを、口火を切る。
「まず、ゆで卵」
「ゆでるだけじゃん」
「スクランブルエッグ」
「フライパンに卵を落としてかき混ぜるだけ」
「もやし炒め」
「お金がないの?」
「ご飯が炊けます」
「君の部屋、炊飯器があったと思うけど」
「あ…あとは…お、オムライスが作れます…」
「やっと料理が出た!!!」
「よっしゃああああ!!!!」
別に褒められているわけでもなく、何かをしたわけでもないのにこの喜び様、異常な高校生である。現在地は地元の小学校の校門前。先輩は羨望のまなざしを受け、笑顔で手を振っているが俺はガッツポーズで固まり、奇異な視線を浴びている。
慌てて歩を早め、逃げるように、というかその場から逃げるため立ち去る。
明日、学校で「小学校の前に不審者が現れたと通報がありました」なんて放送が流れた時には素直に謝りに行こう。
小学校から離れるために、かなりの早足になってしまい、すっかり忘れていたのは隣を歩く小学生、改め小学生のようにお肌もちもちな鷲崎先輩の存在。
振り返ると後方にそれらしき人物がちょこちょこ小走りしているのが見える。
手を振ってみる。
近づいてきている鷲崎先輩は、残念なことに振り返してはくれない。
もう一度振ってみる。
俯いているので前の俺のことは見えていない模様。
最接近し、俺の目先四十センチまでたどり着いた鷲崎先輩はさながらさっき見かけた小学生のように、俺を奇異の視線で見つめて、
「はあ…置いていくんじゃ、ない」
息も絶え絶えに、それだけ言って前を行った。
「今度やったら君には、ロリコンの称号をささげ、学校の晒し者確定だから」
どうやら、俺の反応の良すぎる小学生への対応が、何かを勘違いさせたらしくこれから一生この人には逆らえないのかと、一瞬絶望しそうになったが、よく考えれば昨日から始まって逆らっている記憶がないので結局は同じであることに気付いた。
なんで四月の終わりのこんな変な時期に、一つ上の難あり美少女二人とお近づきになっているのか。
そんな幸せなのか、前途多難なのかわからない現状の把握を道端で済ませ、これからの毎日に思いを馳せると憂鬱になった。二度と、未来のことなど考えまいと。この時の誓いは結果的には二年になる前に破られるのだが、この時の俺はもっと深く考え、どちらからも手を引くべきであったし、これからの出来事からも、もう少し遠巻きに見る程度の関与を心がけるべきだったのだろう。いつの世も、後悔は先にたたない。
家に帰ってくると、まず一日の汗を流すためシャワーを浴び、部屋着に着替えて次の日の準備を始める。予習復習はこの時行い、課題の提出にも余念はない。それらが終わると夕飯の支度。この時点で十九時を回るが手際がとてもよく、半前には食卓に料理が並ぶ。
それを食べ終えると料理の前に張っておいた湯船につかり、一日の労をねぎらう。
風呂から上がり、エイジングケアとトリートメントを終えれば十一時前には就寝。それが健康体を保つ秘訣。
だそうだ。
当然ながら、今のスケジュールは俺のものではなく。誰あろう、学校でもなんかそこそこかわいくて有名な鷲崎先輩のものである。
こんな機密情報、どこで仕入れたかばれたら殺されるからうかつに漏洩できないよな。
しかしどうやら毎日本当にこの通りに生きているらしく、今どきの高校生とは思えない時間に、鷲崎先輩はちゃんと睡眠に入った。
一方俺はというと、これといってすることもないのだが、家に女子がいるという謎な興奮と、かなりの美味だった料理への甘美に浸り、まったく寝付けないでいる。
男子高校生という身分ゆえ、性的衝動はないでもないが、寝ている相手を襲うマナー違反な感じが俺の衝動を押しとどめてくれているのは、この場ではとてもありがたい。こんな子に育ててくれて両親には感謝しかない。ここで衝動に負ければ、きっとこの先鷲崎先輩に顎で使われるようになり、学校ではいじめられ、散々な人生を送ることになるだろう。
そのことを考えれば、一時の気の迷いを侵さない精神力のある弟になるよう育んでくれた兄にも、感謝を述べたい。
川じゃなく二の字で寝ている俺たちは、もう少し考えた配置にするべきだっただろうことを、俺だけがいまさらに後悔して眠れずに朝を、迎えようとしている。
ごめん、嘘。まだ二十四時だわ、時間って過ぎるの遅いね、はあー、ねれね…。
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