そうよ、私はむかしからずっときれいよ。このくらげたちのように。

 私たちは人くらげの空間にいる。照明はここも夜のごとく暗い。ぱっと見はただのくらげと変わらない。素材としてはほんらい透明なようで、虹の七色のどぎついライトがてらてら、てらてらとイルミネーションのごとく水槽や人くらげそのものを照らし続けている。

 くらげは、ゆらゆら、ゆらゆら、揺れている。

 プレートにはたしかに、ここにいるくらげたちはヒューマン・アニマル法におけるヒューマン・アニマル加工技術によって、人から生まれ変わったすがたなのだと書いてあった――もっとも、それ以上のことはわからない。人間がどうしたらこんなほとんど液体みたいなゼリーになるのか。意思は、意識はどうなっているのか。わからない。

 ただ、くらげにされるくらいなら、よっぽどゴミみたいな人間だったんだろうな、とは想像する。

 あの子はこの先にいる人魚のエリアにいるはず。人くらげには、なっていないはず。そう知っているのに私はすこし怖くなった。もしも人くらげになっていたら――あの子はこんな有象無象に紛れてしまった、ってことだった、……そんなのはありえないってきっと私がいちばん知っている、のに。

 だいじょうぶ。だいじょうぶ、あの子はきっとこの先で、人魚になっているのだから。まさか私が認識できないこんなくらげになってるなんて――そんなことは、ないのだから。

 だって、私はあの子を認識して、あの子にいまの私を認識してもらわないと、どうしようもない。


 ケンちゃんがくらげなんて見もせずに私を見つめていて、愛おしそうに尋ねてくる。

「ねえ、あゆむ。あゆむは昔からそんなにきれいだったの? 水族館で見る横顔は、いつも以上にセクシーだよ。こんな夜の大人のデートスポットにいるからなのかな。もっともこういった大人の定番デートコースは、僕たちにふさわしいものだと思うけど」

 ああ、ああ、からっぽ、からからからっぽだ。このひとはなんにも気づいていない。なんにも気づいていないのだ。私はいまむかしを懐かしんで、その地獄に心をいまだに燃やして苦しんでいるだけだというのに。皮膚一枚隔てたその下の私のことを、なにも。

 あるいは、あるいは好意的解釈をしてあげるのならば、そうやってあの子という地獄を懐かしみ心を燃やす私の横顔は、客観的に見るとただきれい、ただきれいに見えるというだけのことなのかもしれない。そこまで考えてみて、……そんなのはどっちでもいいってことに、私はようやく気がついた。

 私はケンちゃんに娼婦のようにしなだれかかる。



「そうよ、私はむかしからずっときれいよ。このくらげたちのように」



 ケンちゃんは意味がわからなかったようで、困ったように笑った。馬鹿な女だなぁ、でもそんなところもかわいい、そんな馬鹿なところがあるからこその女だ、俺はそんな女も愛せる、そしてこの女は俺のものだ。軟弱な表情からはその思考がするすると一連の流れとして読み取れてしまい、私は単純におかしくなった。

「行きましょ、ケンちゃん。私ね、人魚を見てみたいの」

 甘える演技をして――動揺する内心をすこしでもまぎれさせようとする。

 なんてことはない。

 私がいま絶望しかけているのは、くらげなんて――ちっとも、くらくらしない、私にとってほんとうになんでもないただの現象だとしか思えない、ということなのだ。

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