あの子はすべてのひかりを自分に集めた。

 あの子はとても無邪気で最初からかがやいていた。最初、というのは私があの子と出会ったとき。中学に入ってすぐの、みんな不安と期待がごった煮なあの自己紹介のとき、中学時代における幼稚で未熟で愚かしくもみんなの青春として輝かしい一ページに、なるはずだった、



 それなのにあの子はすべてのひかりを自分に集めた。



 あの子は最初の最初から、きわだって美しかった。だってあんな野暮ったい濡れ羽ガラスの制服で、髪の毛をどうにかこうにか工夫せずにいられない、すくなくともあのときのあの教室においてはそんなの当たり前だった。そうしない勇気なんて、なかった。私もあのときは絡みつく樹海のように髪がとっても長かった。天然パーマをわざと放置してぐっしゃぐしゃなのがきっと大人っぽいともてはやされると根拠もなくそう、信じて、じっさいそうしていた。肩につく長さの髪は縛らねばいけない決まりで、私はわざと真っ黒なほとんど輪ゴムのその髪ゴムを縛るというよりただの通過点のようにして髪に巻き付け、いかにもそこらへんでギター片手に愛の歌を熱唱しているちょっとボヘミアン風なお姉さんを演出しようと、した。私は当然、野暮ったかった。

 ほかのクラスメイトたちも野暮ったさで言ったらどんぐりの背比べだったと、思う。十九人いた女子のうち十人以上は髪が戦闘力とでも言わんばかりに戦闘民族みたいな野蛮なロングヘアをしていたし、ぽつぽついた非ロングヘア組は、先輩に目をつけられない程度の糸みたいにほっそいヘアピンの色を赤色やピンク色にするなどして工夫していた。



 もちろんいまならわかる。そんな小手先の小細工、あの子に通じるわけがなかった、と。


 じっさいあの子はうつくしすぎて――なにせ自己紹介のその時間になるまで、私も含めた阿呆な女子十八人は、彼女が自分たちにとっては上位者なのだということすらも、だれひとりとして気づいていなかったのだ。髪が男の子みたいに短くて――私だって、自分よりもわずかに劣りしかし私の格を落とさない程度、と思われる新しいクラスメイトたちと、ひそひそと嗤ったものだ。あの子、男子みたいな髪してる、って。それに初日から頬杖ついて窓の外見てるなんて、なんかキモいねー、とか、とかなんとか、そんな、愚かのきわみなことを。

 初対面の担任教師の大人の余裕ににこにこと餓鬼どもは促され、だれしもが頬を紅潮させて自己紹介をした。笑顔のすてきなおばさん先生の担任教師は英語の担当だった。その場にスタンダップ、そしてシッダン。振り返って思えば犬になすみたいなその命令に、しかしあのときはみなむしろそれが勲章でもあるように、はいっ、と子どもらしい返事をして従った。

 だが、当然、あの子がそんな愚鈍な醜さを赦すわけが、なかった。容赦するわけが、なかった。


『はいあなた、スタンダッ』

『やめてください先生。それは英語圏では犬にする命令ではないんですか? わたしもまだ寡聞にして多くは知りませんけど。生徒に訴えられうる行為は、つつしんでいただけますか?』


 みんな、呆然。教師も、ぽかん。


 あの子はつかつかつかと上履きのくせにそんな硬質な足音を立てて、教壇に立った。おばさんは哀れにもここではすでに聖職である教師ではなく、ただのチビで小太りなおばさんとなってしまっていた。


 あの子はすいっ、と教室の箱の中心点を目で射抜いた。

 だれも、なにも、言えなかった。


奏屋深月かなでやみつき』。


 出身小学校も入りたい部活もなにも言わない。ただ、あの子にラベリングされたその名だけを、述べる。

 あの子はついとうつむいた。なにかを思案しているようだった。だれもなにも突っ込まなかった。教師も、男子も、女子も。そんな状況、馬鹿みたいだと思われるだろう。あそこにいた人間しかきっとほんとうにはわからないのだ。あの子に支配されるというのが――あんなにも泣きたくなるほどの、圧倒的な美であることを。


 あの子は、つい、ともういちど顔を上げた。


『べつになにも言う気なかったんだけど、新しく知り合ってこれからかかわっていくみんなのために、あえてわたしは言うね。このクラス、はっきり言って、とても醜いです。醜悪。べつに十二歳のひとたちになにも期待してなかったつもりだけど、じっさいこういうの見ちゃうと、ね。ちょっとはもの申したくなるものだよねえ』

 そして肩をすくめる。肩をすくめる、というものにも完成度があることを私はそのときはじめて知った。そしてもちろん、あの子の肩のすくめかたは、完璧、あるいはそれ以上だった。


『この教室のなかでもわたしがもっとも醜いな、きもちわるいなと思ったひとを発表します』


 キン、と――緊張というのはそんな音となって、鳴った。

 あの子は、細くて白くてヒトにはふさわしくないほどの芸術品めいた指で、私を、ピンとまっすぐに、さした。


『髪がもじゃもじゃの太ったその女の子です。サイアク。醜いし、きもちわるいし、汚いよ。なにそのマグマみたいなニキビ、なにその全身の肉布団。体質は仕方ないって言いわけしたいの? いや、ダウト、それ。だって美的感覚ないんでしょ、ほんとサイアクなんだけど。美的感覚ってものがあればね、そのもじゃもじゃの髪、もうちょっとどうにかしようって思わない? ワカメ、っていうか陰毛、それ。陰毛は下半身にしまっといて、それともオマエは露出狂なの?』

 サササ……と、クラスにわずかに笑い声の波が、起こった。


 あ、まずいと――直感的に、感じた、きっとその侮蔑の感情はビッグウェーブとなって私のこれからをきっときっとのみこむのみこむ……。

 あの子はにこ、とそのときも完璧に微笑んだんだ。


『だから、わたしがオマエの親友になってあげるね。調教してあげるよ。まずはその全身の肉づきどうにかしてあげる。乳が出ちゃって人牛さんにされる前に、わたしがそのだらしない牛おっぱいどうにかしてあげるよ。感謝してね? わたしの親友に選ばれたなんて、ほんとうに光栄だねえ。ね。親友だね』

 私はとっさにうなずいてしまった。




 そのとき、私の運命が、きまった。



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