銀鍵・ヒュペルボレイオス




「繰り返しになるけれど、クリスはニナのことを全く知らない。あなたの箒の性能も、あなたの目がとても良いことも、」とナコト先輩は言った。


「彼女は戦いの中で提示された事実だけを元に、あなたの戦力を測らなければならないの」


 わたしは腕を組み、ナコト先輩の言葉ひとつひとつから彼女の意図を汲み取ろうと努力した。

 けれど結論から言えばその試みは失敗で、なるべく神妙な顔をして首をひねることしかできなかった。茹ですぎたタコをいつまでも咀嚼しているような顔のわたしを見かねたように、ナコト先輩は言葉を付け加える。


「あなたのすべきことは、クリスにあなたの情報を然るべき順番で開示していくこと。『あなたがクリスを矢で射落とすつもりだ』という嘘を交えながらね。彼女の結論を、対応を、ただ一点に集約させるために」


 それでも、わたしには彼女が何を言いたいのかがよくわからなかった。

 しばらくの思案、ひねりすぎた首がちぎれそうになる頃に、ようやくわたしは彼女の意図を理解する。


 つまりジャンプの頂点、無理やり撃つ魔法の〝矢〟はブラフであるということだ。


 一騎討ちのルールは単純明快、『敵の攻撃を避け、相手を撃ち落とす』ということだけに尽きる。

 思考の荷重を攻撃と回避に振り分け、上手く避け、上手く当てる。

 それだけだ。


 けれど、だからこそ慎重になる。

 とりわけわたしとダレット先輩の決闘においては、彼女は一発の有効打も許してはならない。彼女はわたしが〝矢〟を撃ってくると考える限り、回避箒動を捨てた無理攻めは出来ないのだ。

 だから彼女は、攻撃の際に必ず回避マージンを取る必要がある。

 完全に攻めに徹することの出来ないダレット先輩の攻撃であれば、わたしでも十分に避けられる。

 わたしは、ナコト先輩の言葉をそういうふうに理解した。


 ナコト先輩は、続ける。


「最初の一矢で、彼女の認識を錯誤させる。一度撃つところを見せるだけで十分なはずよ。そもそも、飛びながら〝矢〟も撃てない下手っぴが決闘を申し込んでくるなんて誰も思わないでしょう?」


 申し込んだのはあなたです。そう抗議したいところだったけれど、わたしはその言葉をぐっと飲み込んで彼女に尋ねた。

 彼女の言っていることの意味、それそのものは理解出来たつもりだった。

 けれど、そうであれば。

 それは勝つための方策ではないのではないだろうか?


「……それは、なんとなくわかりました。けれど、それが戦いの主導権を握るのにどう役立つんですか? ジャンプの頂上でしか撃てない、満足に狙うこともできない〝矢〟が」


 先手を取って〝矢〟を撃ち、騙す。彼女を撃ち落とすことは諦める。上を取られたら避け続ける。

 それは、いい。

 けれど、それらが〝強みを押し付ける〟――戦いの主導権を握るための方法論だとは、到底思えなかった。


 ナコト先輩は、かぶりを振って言う。


「いいえ、ニナ。そうじゃないの。〝矢〟はあくまでも、彼女の思考に差し込む毒針。クリスにひとつの論理的帰結を導き出させるためのね」


 論理的帰結。

 頭の中でその言葉を繰り返し、わたしはナコト先輩の次の言葉を待つ。

 彼女は、夜の闇のなかで宝石のように輝く両目を細める。


。あなたが勝つためには、彼女の最大の〝強み〟を引き出す必要がある。そして、それを実現するのは決して難しいことじゃないの」


 ナコト先輩は、言葉を続ける。

《ヘルター・スケルター》の運動性と、動体視力。

 それによって矢は撃ったそばから避けられる。

 自分クリスは一発の有効打も許してはならない。


 では、どうするか。

 暗銀の魔女はそんな状況で、どういった解を導き出すのだろうか? 一旦離れて相手の出方を窺ってみるだろうか? 相手が疲労の限界に至るまで待ってみるだろうか?


 否。

 それはアナグマやネズミ、の戦い方だ。彼女の〝誇り〟への信奉は、それを許さない。


「幸いなことに――クリスは打てば響いてくれる子だから。どんなに安い挑発でも、彼女は乗ってくる。いえ、乗らざるを得ないの」


 彼女が〝誇り〟を胸に抱き続ける限り、それを積まベットされれば、彼女は答えざるを得ない。

 自らの正当性を証明するために、信念を曲げないために。箒乗りとして歩んできた、自分の誇りを貫徹するために。


 暗銀の魔女が出す回答は――


「彼女の固有術理シグネチャー・トリック、〝銀鍵〟。それこそが彼女の切り札であり、あなたの唯一の勝ち筋。文字通りの、銀の鍵よ」







 魔剣が、空を断つ。

 彼女の杖腕に絡みつくように形成された《劔》のから放出される青い炎の花弁が、巨大な一振りの剣と化した彼女の身体を推進させる。


 押しつぶされた空気の層が熱を持ち、切っ先を赤熱化させるほどの速度で撃ちだされるからだは、魔弾よりもなお疾く空を翔ける。

 すべてを置き去りにする疾さにありながら、《劔》はわたしの動きを完全に追尾していた。


《劔》の固有術理、特攻破城鎚アサルト・バッテリング・ラム〝銀鍵・ヒュペルボレイオス〟。


 発想そのものは単純シンプルなものだ。

 高硬度、高靭性を誇る魔法の銀ミスリル・アマルガムによって五体を《劔》と成し、重力加速に理力放出マナ・ラジエーシヨンによる加速を乗算した超高速度で、自律誘導的に目標物に突撃する。

 ただ、それだけの術理トリック


 問題は、その理屈を具現化するための理力制御の難易度だ。

 常に変化する粒子S.U.R.P.の波の流れ。大気の状態。風向き、温度、風速、湿度。あらゆる条件を勘案し、《劔》の表面の形状を、放出する理力マナの方向を、その出力をリアルタイムで微細にコントロールすることが出来て初めて、ようやく特攻破城鎚は戦術的価値のある技術トリックたりえる。

 どう考えたって割に合うことではない。けれど、クリスティナ・ダレットの完全並列思考マルチ・シンクはそれを実現する。


 それは、たかだか才能などというものだけでたどり着けるような場所ではない。幾度も繰り返し鋼を焼き入れるような、常軌を逸した自己鍛造。自らのすべてを総動員した、血の滲むような鍛錬だけがそれを可能にさせる。

 希望、勇猛、屈辱、慙悔、我欲。

 純も不純も等しく研鑽の薪と焚べ、力を、鋭さを、切れ味を増すための〝誇り〟へと昇華し、磨き上げた銀の鍵。

 それは、あるべくして必殺の機構となる。


『――クリスティナ・ダレット! ニナ・ヒールド! 危険です! 今すぐ決闘を中止なさい!』


 山びこ石を通して、ミス・ロウマイヤーの声が響く。

《劔》の狙いがぎりぎりで逸れたのは、きっとそのおかげだろう。

 神速の《劔》はわたしのすぐ脇を抜け、廃聖堂に激突する。

 石造りの廃聖堂、その鐘楼の支柱が粉微塵に砕け散る。

 石くれの雨が地表に降り注ぎ、観衆たちの悲鳴が上がる。


『やかましい! いま良いところなんだから黙ってろ、くそばばあ!』


『くそばばあですって!?』


『うるっせえ、ばばあ! 危ねえからやめろだあ? 錆びついたことぬかしてんじゃねえぞ!』


 ダレット先輩の怒号とロウマイヤー女史の金切り声が山びこを交互に震わせるなか、わたしはナコト先輩の言葉を思い出す。


 暗銀の《劔》がもたらす、甚大な破壊。

 けれど、こと空戦において、それは〝銀鍵〟の本質ではない。当たりどころさえよければ魔法の矢の一撃で決着がつく空戦にあって、城壁を打ち破るその破格の威力は過剰と言うほかないからだ。

 どっちにしろ、当たれば負ける。

 むしろ〝銀鍵〟の、それはリスクの少なさだ。

 魔弾を超える速度で壁面に特攻、貫徹し、なお悠然と飛行を続けることの出来る鉄壁の防御力。彼女の身体の前面、そのほぼすべてを覆うように重層的に折り重ねられた魔法の銀ミスリル・アマルガムの《劔》は、それそのものが無敵の防御を誇る盾となる。

 生半可な攻性魔術では傷ひとつ付けることは叶わず、たとえ強力な魔弾が撃てたとしても、大半はその鋭角なシルエットが形作る被弾傾始に弾かれてしまうだろう。

 つまり彼女は、彼女の理力の続く限りほぼ一方的に、無制限に突撃を繰り返すことが出来るということだ。


 槍を避けるのであれば、翔んで斬る。

 矢を撃ってくるのであれば、受けて刺す。

 絶対に回避できず、仮に反撃されてもそれを防ぎきれる手段で、圧殺する。

 それが、暗銀の魔女が導き出した、論理的帰結。


『……お前もそう思うだろ、ニナ。さっさと決着つけて黙らせようぜ。どういう切り札を持ってんのかは知らねえが、この状況はお前らが描いた絵図通りなんだろう?』


 がなりたてる錆びたミシンのきいきい声を無視して、ダレット先輩は言う。


『だったらあたしはその上を往く。正面切って、ぶっ潰してやる』


 再度の上昇。

 ファントム・ローブが暗銀の魔女の杖腕に絡みつき、《劔》を形成する。

 柄尻を、握りを。鍔を峰を刀身を切っ先を。幾何学的に、生物的に、同時進行的に組み上げていく。


『……来いよ、ニナ・ヒールド。決着を付けよう』


 天を衝く暗銀の魔剣の切っ先が、ぴたりとわたしに突きつけられる。

 返事は返さない。その必要がないからだ。

 どう転ぶにせよ、彼女もすでに気づいている。次の一合で決着がつくことを。


 わたしは大きく息を吸い込み、吐き出し、つばを飲む。

 そしてただ、見つめる。

 降り来たる暗銀の魔女の所作を、トリックの起こりを、愛するように、貪るように、寸毫たりとも見逃さぬように。


 ――《劔》の固有術理を引き出し、その上でそれをために。


 それは、考えうる限りの、最悪手。それこそが、ナコト先輩の〝とっておき〟。

 けれど結果的に、それこそが暗銀の魔女を打倒するための唯一手だったことは間違いない。

 極限の疾さで飛来する飛翔体。それに相対するは、魔弾を撃つこともままならない未熟な我が身。であれば、その二者の位置座標の交点のみにこそ反撃の一鎚を打ち込むチャンスがある。

 ならばわたしがやることは、最適の行動を最速で成すだけだ。


 そのために、わたしはただ見つめる。

 暗銀の魔女が、固有術理を極める瞬間。

《劔》の切っ先が、この身を貫こうとするその一瞬。

 一秒を千分割し、その瞬刻を万に分解し、砂時計の一粒、それに満たないほどの刹那をつまみ取るために。


《ヘルター・スケルター》の柄を、握りしめる。重厚な紫檀のシャフトが、軋み、震える。

 刷毛テールの内側の反射鉱石リフ・クリスタルが、悲鳴を上げる。

《鴉羽》の忌み子が、それまでの無茶な箒動のつけを払わせようと怒り狂う。


「もう少し、もう少しだけ付き合って。《ヘルター・スケルター》……わたしの、箒」


 泣き喚く彼をなだめって、〝悪魔の焚き火ダスト・デビル〟をように上昇する。

 なにもないまま、何者でもないまま、わたしは透明な空の階をあらん限りの力で駆け上がる。


「……行こう、《ヘルター・スケルター》ッ!」


 ヘッド・オン。

 正対するは、逆光に翳り輝く暗銀の魔剣。

《劔》の、クリスティナ・ダレット。


『【Rivereto,奔れ、】』


 ふたたび彼女の口から発せられた撃発の呪文に呼応して、青白い理力の炎が、理力放射マナ・ラジエーション光の花弁が、剣の柄尻でひときわ大きく花開く。


『――銀鍵! ヒュペルボレイオス"Hyperboreios Limited Exspress"!!』




 暗銀の魔女の気勢とともに舞い降りる神速の魔剣――その動きの起こりを捉えたとき、頭の中でかちり、という音がした。

 寸分違わぬ二枚の歯車がぴったりと組み合わさった時に鳴るような、澄んだ音だった。


 最初に消えたのは、色だ。

 晴れ渡った空の青も、掃き散らされた紫炎の航跡も、暗銀の魔女が放つ理力マナの輝きも、そのすべてが灰色に沈んだ。


 次いで、音が消えた。

 耳に打ちつける風の瀑布も、《ヘルター・スケルター》の金切り声も、山びこ石エコーが伝える女教諭の叫びも、冷たい湖に潜った時のように遠くのものに感じられた。


 時間の感覚が消え、身体じゅうの痛みが消えた。

 わたしの中から、かちり、かちりと、あらゆるものが消えていった。

 不思議なことに、そこに戸惑いはなかった。

 色も音も時間も痛みも戸惑いも――内外からわたしに語りかけるものたちがを潜めたのであれば、つまりそれは、それらがその時必要ないというだけのことだからだ。


 わたしは器用な人間ではないから、目の前のものをひとつずつ片付けて積み上げることしかできない。

 ただ、それだけのこと。


 かちり、かちり。

 成すべきことのために、わたしの脳みそが、事務的に自分自身のつくりを変えていく。

 噛み合った歯車が、わたしの頭蓋を無理矢理に開廟していく。

 固いつぼみの花びらを、一枚一枚開いていくように。




 ――飛べる。


 ――絶対に。誰よりも、高く。


 ――だから、私と一緒に、飛びましょう。




「ううわああああああーーーーッ!!!!」


 吶喊し、突貫する。

 色も音も無い、溶けて引き延ばされた時間の中、粒子の波を蹴り、真正面に捉えた魔剣へと一直線に。

 遍在する死者の魂が紫色に大きく爆ぜて、わたしの身体を空へと持ち上げる。

 拡大した認識の中で、太陽を隠すように暗銀の魔剣が空をひた走る。


 恐れは無かった。

 綺麗さっぱり無くなっていた。

 散ることを恐れて咲く花などないように、落ちることを恐れて飛ぶ鳥などいないように。

 選ぶために、力を得るためだけに、わたしは上昇する。

 死んだときのことなんて、死んだあとに考えればいいと思った。


《劔》の切っ先が、鼻面にまで迫る。

 〝銀鍵〟が、わたしの皮膚をえぐり、引き裂き、四肢をばらばらにするその瞬間。

 わたしは箒の柄を力いっぱい握り、そのまま波に押し込むようにして。




 




《ヘルター・スケルター》の高い運動性、それは、限界まで不安定であることと同義だ。

 少し操作を間違えるだけで、少し強く柄をこじるだけで、どんな体勢からでも失速すおちることが


『――失速制御箒動ポスト・ストール・マニューバ!?』


 轢殺機巧、〝銀鍵〟。

 あらゆるものを貫く長大な劔であり、無敵の防御を誇る巨大な盾。

 だからこそ、その下に潜り込むように箒動を崩す。


 波から外れた身体を重心の移動のみで制御し、空を這い滑るように転回ドリフトする。その長大さゆえに、彼女自身の視界を覆い尽くす死角そのものとなる、その〝銀鍵〟の懐へ。


 滑翔のセオリーを無視した、またがる魔女本人の性能限界を無視した、瞬間的な方向転換と急加速急制動――それが、が失敗作である所以であり、同時にその性能の極限。


 どんな魔女とも心を重ねることのできない、出来損ないの箒。

 ただ目が良いだけの、出来損ないの魔女。

 でも、だからこそ。

 は、出来損ないだからこそ、落ちることだけは誰にだって負けないくらい上手に出来たのだ。


失墜The開花Bloom.――」


 ――散ることを恐れて咲く花が在るものか。


 転回の勢いをそのままに、箒の上で倒立するように腰を浮かす。


 ――落ちることを恐れて飛ぶ鳥が在るものか。


 暗銀の魔剣とわたしのローブが擦れ合い、刹那の空に火花を散らす。


「――ニナ・〝かかとヒール〟・キックだ!」


 すれ違いざま、わたしはダレット先輩のがら空きの脇腹を、思い切り突き刺すように蹴りつける。

 極高速での空中衝突。小枝を踏み潰すような感触。股から脚が外れてしまいそうな激痛。

 色が戻り、音が戻る。世界が速度を取り戻す。


 そのままぐるんぐるんと落ちるわたしの視界の端に見えたのは、青空を割る一筋の赤い煙。

 ダレット先輩の上げた、信煙弾の赤だった。

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