《劔》のクリスティナ(4)
「――《ヘルター・スケルター》っ!」
痛みをこらえ、乱暴な扱いにだだをこねる箒をどやしつけて、わたしはダレット先輩を追って上昇する。
けれどトップスピードに乗った彼女の箒は、追いすがるわたしをじわじわと引き離していく。
それは、箒の設計思想の差、そして、
加速と運動性能を極限まで追求した《ヘルター・スケルター》と、最大運用高度と最高速度に長けたロング・ブルーム――《デイジー・カッター》との差。
最短最速で一切の無駄なく〝
わたしは《ヘルター・スケルター》の柄を握り直して、ダレット先輩の進路に追従する。
止まらない冷や汗で、箒を握る手がぬめる。
先の一合。
決して楽観視していたわけではなかったし、まして油断していたわけでもなかった。
けれど簡単に〝矢〟を打ち込まれ、あっさりと彼女の上昇を許したのは、わたしが彼女の姿を見失ったせいだ。
《ヘルター・スケルター》が圧倒できるはずの離陸戦において、他ならぬわたしが、対敵から一瞬でも目をそらしたせいだった。
なぜ目をそらしてしまったのだろうか? 決闘に望む覚悟が足りなかったのか? この期に及んでまで、彼女に気圧されていたのだろうか?
でもそれは、考えても仕方のないことだ。
相手のほうが一枚も二枚も上手だった。
ただそれだけの話だ。
「まだ……まだ! わたしは、上へ! だから――!」
やるべきことを、やる。
順番に、ひとつずつ。
右肩の痛みも、恐怖も、後悔も、後回しにする。
痛がったり怖がったり悔しがったりするのは、すべてが終わったあとでいい。
――もう二度と彼女から目を離さない!
回転する思考は、すべて勝つためだけに使う。
ただ、眼を見開くことだけに集中する。
彼女の所作を寸毫たりとも見逃さないように。
目の前で成される最短最速を、可能の限りに模倣するために。
《劔》の動きが、経験値が、上昇の最適解を導き出すのであれば。
その動きに追従することが、最大の運動効率を導き出す。
太陽の逆光のなか、わたしは食らいつくようにリンドウの背中を見つめ追う。
暗銀の魔女が掃き散らした粒子の波を貪って、殺人箒が不満の金切り声を上げる。
――選べ。
幾百通りの選択肢のうちから。
《劔》の動きをトレースするための、たった一択の最適解を。
――選べ!
千変万化の
彼女が高みに登りきってしまう前に、ありったけの位置エネルギーを確保するために、わたしは彼女の背中に食らいつく。
『……マジかよ。《デイジー・カッター》にここまでついてこれるのか、その箒』
楽しげにそうつぶやいた《劔》は、遥か高空、悠々と
『そいつは、よくない、よくないな。……まずは、その足を潰す』
照りつける太陽を背に、彼女は反転する。目が眩む光の中、翠玉の眼が、獲物を見つけた猛禽のそれのように輝いていた。
『
視界の中で、彼女の姿が急激に膨張するような錯覚。
重力加速の支援を受け、急降下する《劔》の長箒は、草刈りの大鎌のごとく空を薙ぐ。
ロング・ブルーム特有の直線高速箒動で、
『――【
音を置き去りにする六条の光の〝矢〟が、彼女の《鎧通し》から撃ちだされる。
◆
「とはいえ、ニナがクリスの上を取り続けることは、たぶん不可能ね。実力に差がありすぎるもの」
「あなたは必ずクリスに上を取られることになる。つまり、どうあがいても彼女の得意な型にはめられてしまうってこと」
わたしの頭には、ふたたび猛禽の狩りの想像がよぎった。
《デイジー・カッター》、暗銀の魔女の
「じゃあ、わたしはどうすれば」
途方に暮れるわたしに、ナコト先輩は肩をすくめて答えた。
そんなことなんでもないのよ、とでも言いたげに。
「もちろん、ニナのもうひとつの〝強み〟でなんとかするの」
「もうひとつの……強み?」
思わぬナコト先輩の言葉に、私は虚を突かれて考え込んでしまう。
そんなもの、どこにあるというのだろうか? 《ヘルター・スケルター》以外に、わたしが彼女より優れたものを持っているとは到底思えなかった。
ナコト先輩は腰に両手を当てて、心底呆れたふうにため息をついた。
「……あなたって『あれ? おかしいな、どうしてわたしは人生で一度もじゃんけんに負けたことがないんだろう?』とか、『なんでわたしには3,000ヨルドも先のものが見えるんだろう』、そういうことを疑問に思ったことはないの? そうだとしたら、あまりにも自分に関心がなさすぎる。直したほうがいいと思うわよ、そういうところ」
言われてみれば、そうかもしれない。そう思った。
よくよく考えてみれば、生まれてこのかたじゃんけんに負けた記憶というものがなかったのだ。ずっと昔から、わたしには相手が出そうとしている手が、それを振り下ろしきる直前には見えていたのだから。
ナコト先輩は、ふたたび深いため息をついて、なんだか困ったような顔をする。
それから、とてつもなくどんくさい動物に対してしっかりと言い含めるように、ゆっくりと言葉を切って言った。
「ニナ、いい? 普通の人は、魔弾を見てから避けるなんてことは、できないの。……その視力と反射神経が、あなたの最大の優位性――いえ、異常性と言ってもいい」
夜の森の空気に染み込むように、ナコト先輩の言葉は柔らかく響く。
「だからとにかく、その時が来るまでは避け続けなさい。逃げまくるの。相手が力強い鷹なら、あなたはすばしっこいつばめみたいに。彼女の結論が、ただ一点に集約されるその時まで」
◆
「こなくそ!」
わたしは悪態をついて
上空から降り注ぐ六矢のうち、二本。
回避の必要がある致命的な〝矢〟はそれだけだった。
他はすべてこけおどし。こちらの速力を削ぐため、
ダレット先輩の手元が、杖先が、目線が、それを教えてくれる。
だからこそ帆を開くわけにはいかなかった。
お腹と太ももの表面ぎりぎりを二本の矢が通り抜け、切りつけられたような熱さを残して後方にすっ飛んでいく。
「んがっ」
痛みに構わず暴れ狂う《ヘルター・スケルター》を押さえ込み、体勢を戻す。
柄をこじり、無理やりに旋回させて、急降下していくダレット先輩に
視線の先には、遙か遠くでリンドウの帆をはためかせ、再上昇を試みるダレット先輩の背中。真っ直ぐ飛ぶだけなら、彼女はナコト先輩よりもなお速かった。
深追いはしない。
追いかけてしまえば、先の上昇で溜め込んだ位置エネルギーを吐き出させられて、そこを撃ち落とされるのが関の山だからだ。
無理に追いすがってはあちらの思うつぼ。
速く、小さく、最小限度の動きで攻撃を避けるに留めることを強く意識する。
たった一本張りつめた縄の上で、ダンスを踊り続けるように。
ふたたび高度を取ったダレット先輩が、再突入してくる。《鎧通し》から薙ぎ払うようにして放たれるのは、空を焦がす理力の〝槍〟。
直前までわたしの頭があった空間を焼き払いながら、燐光が走り抜けていく。
目を見開く。
パートナーのリードを見落とさないように。正確に、ステップを踏み外すことなく、綱渡りの踊りを続けることだけに集中する。
再上昇、再突入。
襲いかかる四矢。
牽制、三。本命、一。
回避箒動、右、切り返して左下方、〝焚き火〟。
理力の魔弾を紙一重で避け続ける。
奇妙なことかもしれないけれど、わたしにとってはただ漫然と飛ぶよりも、死地でダンスを踊るほうがずっと上手くやれた。
即応能力の限界を求める過程で、わたしはほとんど帆を開いていなかったからだ。
ダレット先輩が尖った犬歯をあらわにして、にぃ、と笑う。
『読めたぞ。お前、見てから避けてるな?』
暗銀の魔女の言葉に沈黙を返し、わたしは彼女の一挙手一投足を凝視する。
箒を繰り、身体をひねり、旋回し、帆を開き、畳む。
そうやって、彼女の攻撃を避け続ける。
『なるほど……なるほど。そんなめちゃくちゃなことが出来る人間が、ナコト以外にもいたんだな……認めるよ。確かにお前、才能あるよ』
再上昇、再突入。
〝矢〟、三。遅れて〝槍〟。
矢はすべて牽制。
槍の回避だけに集中する。
『でも、だからこそ、やりやすい。少し不安だったんだ、弱い者いじめになっちまうんじゃないかってな』
動きを読まれた。
進行方向に偏差射撃、光矢の二発。
どちらも本命。
全力で回避する。展開、即、畳帆。
そのまま、フロント・スイープ
避け損なった一発が、こめかみを掠めていく。
頭を思い切り張り倒されたような衝撃。
けれどそれに驚いたり、おののいたりする余裕はなかった。
《ヘルター・スケルター》は次の要求を間断なく叫び続ける。
――選べ選べ選べ選べ!
「――うるっさい! 集中させて!」
『こりゃ失敬!』
軽口を叩きながらも、
上昇、急降下、乱射、再上昇。
即応、回避、転回、転身。
わたしたちは青白い燐光と紫炎の航跡で虚空を掃き散らし、複雑なダンス・ステップを宙に刻み続ける。
その時が来るまで。
彼女の結論が、対応が、ただ一点に集約されるその時まで。
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