錠前破り
三限目の鍵開け魔法実習の担当教員であるミス・グリーンフィールドはその日、留置所にいた。
代わりに来た先生の話では、なんでも前の日、ク・リトル・リトル王立銀行に忍び込んで金庫を勝手に開けた咎で逮捕されたということだった。
とはいえ、わたしたち受講生の誰一人としてその報告に驚いた者はいなかった。半分の生徒は眉ひとつ動かさずに話を聞いていたし、半分の生徒は「ああ、またか」という顔をした程度だった。
入学して二年目になる頃には、わたしたちは彼女らのある程度のエキセントリックな言動には慣れきってしまっていたのだ。
そもそも、魔女という人種は遵法精神に欠けているところがある。決まりごとや誓約に対して不誠実だというわけではないのだけれど、その誠実さはその個人が「従う」と決めたものだけに限られていた。
たとえそれが女王の名において制定された法律であったとしても、自分のあずかり知らぬところで誰かが決めたものに縛られるなどということは、彼女らの多くにとって不合理なことなのだ。
だからだいたいの魔術学校の指導者は大なり小なり世間的にはおかしな人間で構成されていて、当の世間からしても「まあ、魔女だから仕方ない」という認識で我々を見ていた。
一言で言えば、大らかな時代だったのだ。
そういうわけで、グリーンフィールド教室の黒板にはでかでかと『自習』と書かれていて、わたしたち受講生は黙々と鍵開け魔法の練習に勤しんでいた。
鍵開け魔法と一口に言っても、錠前に杖を突きつけて「ひらけごま」と唱えれば鍵が開くかといえばそうはいかない。
誤解されがちだけれど、魔術は万能の力でも何でもないからだ。
魔術はただ単に
右手に持った杖の先を錠前の表面に当て、
構造そのものに染み込ませると言ったほうが感覚的には近いのかもしれない。
流し込まれた
タンブラーや、複数のピン、その先にあるばねの存在を知覚し、そうして初めてわたしたちはその錠前に合った鍵を作成することができる。
頭の中に描いた錠前の地図を元に、
要するに鍵開け魔法とは理力で偽物の鍵を作ることで、結果だけ見れば針金を突っ込んで鍵穴をかちゃかちゃやるのとほとんど大差のないことだった。
開けるのがなんの変哲もない――つまり魔術的な仕掛けが施されていない――錠前であれば、針金を使って解錠するほうが合理的ですらある。
魔法の銀はとても高価で貴重なものだから。
言うに及ばずわたしはこの手の授業が大の苦手で、その時すでに三つの〝魔法の鍵〟をねじ切ってしまったあとだった。首のあたりでねじ切れて転がる銀の鍵を見つめていると、恐ろしくみじめな気分になる。
これは、二週間後のわたしの姿ではないだろうか?
お前はこの程度のことも上手くやれないのに、どうして暗銀の魔女と決闘などということができるのだ?
わたしはその日何度目かの深いため息を吐く。降り積もったため息に、膝下までどっぷり浸かっている気分だった。
大見得を切った手前、尻尾を巻いて逃げ出そうとは思っていなかったけれど、怖いものは怖い。
なんだかたまらなくなって、隣の席に座るアリソンに声を掛ける。
わたしはわたしの聡明な友人の、温かな励ましを必要としていたのだ。
「ねえ、アリソン」
「なに?」
呼びかける私の声に、アリソンは正面を向いたまま手を止めずに答えた。
大きなチーズに果物ナイフを突き立てるような、無造作でつっけんどんな響きだった。
アリソンの金色の髪は後頭部で
それはそれとして、アリソンの機嫌はとにかく悪かった。それは、わたしが先輩たちとの会合のために彼女との昼食の約束をすっぽかしたせいに他ならない。
アリソンは何かに怒るようなことを滅多にしなかったけれど、約束を破られるのをとにかく嫌った。
彼女は誰としたどんな些細な約束でも正確に覚えていたし、彼女自身、そのうちのひとつたりとも反故にしたことはわたしの知る限り一度もなかった。
思うに、約束という物ごとは彼女にとっては巨大な教会のようなものだった。約束の聖堂は重々しく厳格に彼女の中心にそびえ立っていて誰にも動かすことはできず、それは他ならぬ彼女自身でさえも例外ではなかった。
「ねえ、なに? 黙っててもわからない」
アリソンは言った。彼女のかたわらには、すでに開錠された錠前が七つか八つ、定規でも当てたような几帳面さで等間隔に並べられている。
「なんでもないです」
「なんでもないってことはないでしょう? なにか言いたいことがあるなら、ちゃんと言って」
ぴしゃりと言いながらも、アリソンは鍵を開ける手を動かしていた。右手の杖が錠前の構造を把握するのと同時に、左手に載った魔法の銀がぐねぐねとうねりながら姿を変える。
構造の把握と魔法の銀の操作は、本来個別に集中力を要求する作業だ。だから普通の場合、ひとつひとつの作業を順序だててやることになるのだけれど、アリソンは違った。煩雑でやっかいなそれぞれの作業を同時にこなしつつ、友だちと喋るなんてことはわたしにはちょっと真似できない。
わたしはアリソンの言葉に上手く応えてみようと努力した。なにか言いたいこと、という言葉を心の中で何度か反復してみる。
なにか言いたいこと。
その時のわたしにとって、それは小難しい特殊な専門用語みたいにつかみどころのない言葉に思えた。
だって正直なところ、わたしはただ単にアリソンの声が聞きたかっただけだったのだ。これから先のことがとても不安で、なんだか押しつぶされそうだったから、単純にアリソンの声が持つ柔らかな響きが欲しかった。だからわたしは「なにか言いたいこと」なんて持ち合わせていなくて、とりあえず今日の昼にあったことを報告することにした。
「クリスティナ・ダレットさんって人に会ったよ」
「ふうん」
アリソンは言った。
ひどく表層的な相槌だった。
――わたしはべつだん怒っているわけではありませんが、あなたのその話には興味はありません。
「美人だったけど、背が小さかった」
「ふうん」
アリソンは言った。
――その話はわたしに関係があるのでしょうか? ないならこの話はやめにしませんか? もちろん、怒っているわけではありませんが。
「ちょっと……いや、だいぶ恐そうな人だった」
「ねえ、ニナ。その前に言うことがあるんじゃない?」
我慢ならない、といったふうにこちらに向き直って、アリソンは言った。
振り向きざま、彼女のはちみつの髪が、窓辺から差し込む五月の陽射しを受けてきらきらと光った。
とても綺麗だ、と思ったけれど、それは「その前に言うこと」ではなかったし、その程度のことを判断するくらいの力はわたしにだってあった。アリソンは――というより、アリソンの中にある約束の聖堂は――わたしからの懺悔を求めていたのだ。
「お昼ごはん、すっぽかしてごめん」
謝るわたしを、アリソンはじっと見つめた。それからため息をひとつついて、なんだか荘厳な赦しの秘蹟のように「よろしい」と言った。
「急用が出来たのなら、一言でいいから言ってくれれば怒ったりなんかしないのに」
アリソンは小さく肩をすくめて、手元の錠前を机に置く。いつの間にか解錠されていたそれは、几帳面な列の最後尾に加えられる。
「それで、どうだったの?」と、アリソンは言った。
「どうって?」
「代表箒手の話。呼び出されたのって、その件でしょう?」
言いながら、アリソンは前髪の毛先をいじった。前髪をいじるのは、不安を感じたときのアリソンのくせだった。
きっと、たぶんだけれど、彼女はわたしに代表箒手の話が持ちかけられてからのあいだ、ずっとわたしのことを心配していてくれたのだろう。
「ええと、ナコト先輩のお誘い、受けることにした。……しました」
わたしはナコト先輩の誘いを受けるに至った経緯をかいつまんで説明した。
ナコト先輩がわたしを必要としてくれたことや、彼女の飛行そのものを見たときの心の震えを。
けれどアリソンには破門の件は伏せておくことにした。これ以上彼女に心配をかけたくなかったからだ。
アリソンは腕を組み、目を伏せてわたしの話を聞いていた。
彼女はわたしの要領を得ない下手くそな説明を、我慢強く真剣に聴いてくれていた。それから、わたしの話が終わったのを確認すると、ため息をひとつついた。
「……そっか」
アリソンは言った。
「ニナが決めたことだから、反対はしないけれど。できる限り無茶なことはしないでね? ……ニナは知らないと思うけれど、わたしはあなたという友達のことを、すごく大事に思っているの」
そう言って、アリソンはわたしの手を両手で包み込むように握った。アリソンの手は暖かで、とても柔らかかった。
「うん、ありがとう。アリソン」
アリソンの手を握り返すと、彼女は聖女みたいに目を細めて微笑む。
わたしは言葉を続けた。
「それで、クリスティナ・ダレット先輩と決闘することになったんだけど――」
「んん?」
アリソンの笑顔が、ひびの入った石膏像みたいに歪んで固まる。
「ごめんなさい、よく聞こえなかったみたい。もう一度言って?」
「だから、ダレット先輩と決闘することになった。代表箒手の座を賭けて」
「……ねえ、ニナ。わたし、無茶しないでって言ったと思うんだけれど」
震えるアリソンの声を聞きながら、わたしの手を包む彼女の指に、じわじわと力が入ってくるのを感じた。
「もしかしてあなたは、
アリソンの綺麗に切りそろえられた爪が、わたしの手の甲に食い込んでくる。わなわなと震えながら、アリソンはもうほとんど涙声だった。
「こんなに心配してるのに……」
「ねえ、アリソン。痛いよ」
「もう知らない! ニナなんて、先輩にこっぴどく負けちゃえばいいんだわ!」
それきりアリソンはわたしとはしばらく口を利いてくれなくて、わたしはその日の午後のほとんどすべてを彼女の機嫌を取り戻すことに使わざるを得なかった。
結局、アリソンの機嫌が何とか元に戻ったのはその日の夕方のことで、翌日の休講日にナコト先輩と
幸せそうなビビの寝息を聞きながら、わたしは思う。
――明日、何を着ていけばいいのだろうか。
徹底的におのぼりさんだった当時のわたしは、先輩と街を歩いても恥ずかしくないようなおしゃれな洋服を、一着たりとも持っていなかったのだ。
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