ここには歪んだ愛しかないことを知っている

蓮視 秋

ここには歪んだ愛しかないことを知っている

「ねえ、こっちおいでよ」


 両手を包むようにして缶チューハイを握る鈴さんがおもむろにそう言った。

 男達は数回の戦を終えて、すでに深い眠りについている。


「いいですか?」


 思わずそう聞き返してしまった。

 呼んだのは彼女のほうだったのに、なぜ私が許可を貰おうとしているのだろう。そんな些細なことが可笑しく思えて、自然と口の端がつりあがってしまった。


「いいよ」


 少し間伸びた声で鈴さんが手招きをする。

 私は隣で眠っていた裸の男の腕枕を払いのけて、鈴さんの元に寄る。


 小さなテーブルの上に所狭しと積まれたアルミ缶たち。八割ほどはすでに空になっているけれど、まだプルタブに手をつけられていないものも少し残っている。この人たちは馬鹿だから、朝になってからまた残りを飲むのかもしれない。

 そのことがなんだか憂鬱に思えてしまった。


 鈴さんの隣に腰を下ろす。

 彼女の肩に寄りかかるように肌を密着させると、鈴さんの素肌から私へと小さな熱が流れ込むのが感じられた。


「意外と平気?」

「……ちょっとだけ予感していたっていうのもありますけど……、今はなんというか……、ああ、こんなものなのか、っていう思いの方が強いです」

「そっか……」


 鈴さんの長い髪が私の肩に少しかかる。

 染めてからかなり期間があったのだろう。彼女の明るいミルクティーのようなブラウンの髪の毛は所々がくすんでいて、頭頂部、生え際の部分には地毛の黒さが確認できる。

 きっとブリーチもかけず、色も入れていなければ、さぞ綺麗な黒髪だったんだろうな。と、私は想像を膨らませてしまった。


「疲れたでしょう。寝ていいよ」

「それじゃあ鈴さんの話し相手がいなくなっちゃいますから」

「優しいなぁ。雪は。そういうところね、好きだよ」


 蛙が跳ねるような、そんな軽快な弾みで唱えられた『好き』の言葉。意識しないわけがなかった。


 ベッドの上と、床の上、それぞれに裸の巨体が間抜けな体勢で転がっている。


 一人は落ちた銀杏のような黄色い髪の毛と岩のようにゴツゴツした身体と肌の大男。一方は、真っ白で細い骨に皮を付けただけのような身体に瞳が見えなくなるほど無造作に伸びた黒い髪を持つ男だった。

 我ながら――

 いやなんでもない。


「後悔してる?」

「覚悟は……してましたから」


 ただこの人たちは明日も明後日も、何事もなかった、おかしなことは一切起こらなかった――そんな顔で私と接するのだと思うと、私の流した汗も体液も全て無駄になったような気がして哀しかった。


「私の時は三日くらい家に閉じこもって泣いたなぁ」


 鈴さんは今にも泣きそうな声で語った。


 だってしょうがない。これは必然なんだから。

 警鐘は随分前から鳴らされていた。それでもこうなってしまったひとは、その警鐘に気が付かない純粋無垢の阿呆か、それかわかっていながらも自らその身体を与えた愚かな聖者のどちらかだろう。


 股の中にはまだ彼らの感触が残っている。


 これは伝統だった。どこにでもある。いたって平凡な、伝統行事だ。

 どこにである地方のどこにでもある平凡な大学の、対して珍しくもないサークルの対して珍しくもない恒例行事。


 男は新しく迷い込んできた獲物おんなを食い物にするため自らの巣へと呼び寄せる。そこでお世辞にも上等とは言えない求愛行動を示した後、半ば無理やりその欲望を認めさせて――食い散らかす。


 くだらないと思うと同時に、こんな伝統がこれまで何年もよく続いたものだと感心してしまう。


「三年間こういうこと続けてきたけどさ」


 鈴さんが話し始める。

 私は自然と彼女の手に触れて、その指を静かに絡ませていた。そしてまた鈴さんも私の手を受け入れてくれていた。


「麻痺、してきたのかな。ずっとこういうことに耐えてきて……、でもさ、人間っていつかは慣れちゃうものでさ。私も気が付けば同調する立場になっててさ――」


 鈴さんは三年生。

 きっと二年前の今日も私と同じ目にあっていたんだろう。


「どこか浮かれていた気持ちもあったんだ。セックスすれば大人になれるんだ。そうして私もこの人たちの仲間になれるんだって。そんな甘いこと、考えてた」


 鈴さんの気持ちに微かに共感できる部分もあった。


 大学っていうステージは居場所は無くせば一気に生きることが難しくなっていく。独りでも生きていける人はいるだろう。でも私も鈴さんもそこまで強い人間じゃないのは分かっている。

 だから私たちは、居ると決めた場所に居座って、愛着を見出して、人と馴れ合わなきゃいけない。それが苦痛なんて思ったことはない。好きか嫌いかの問題でもない。私たちはそういう人間なんだから、そういう生き方しかできないだけだ。


「でね。入りたてで右も左も分からなかった私は今日みたいな日に今日みたいなやりかたで自分は売り込んだんだ。それで居場所は得られたはずなんだけどねー」


 えへへと女の子らしく笑う鈴さんがこちらを見る。

 瞳は大きくて、睫も長い。

 すらりと伸びた鼻筋に、綺麗なピンクの唇。


 これでほとんど化粧は加えられていないのだからとても羨ましい。こんな天然ものをこんな人らが手にできるのだから世の中は嫌いだ。


「なにか、言ってよ」


 細くて長い指は私の唇を撫でた。


 私と鈴さんはお互いに裸で、一枚の薄いブランケットだけが覆っている。


「好きです」


 はっきりとそう告げた。


 この日のためにここまでやってきた。流した汗も、体液も、全て無駄にしないために。


「えへへ」


 女の子らしく笑う鈴さんの声。この声を私だけのものに出来ればどれほどいいだろうか。誰にも渡したくない――のに。


「んっ…………」


 気が付けば、長い口付けを始めていた。


 赤と赤が交わりあう。互いの熱を、舌と舌で交換し合った。


 尋常じゃないほどの感情と感覚が、口の中に押し寄せてくる。

 鈴さんの唾液は――涙の味に似ている。


 気持ち悪かった。

 股の中にまだ残る彼らの感触。汗ばんだ身体。口の中を支配する唾液とアルコールの味。

 こうすることでしか、好きな人とキスもできない自分。


 私だって同じだ。

 都合の良い場所と、都合のいい人間関係、自己中心的な計算を繰り返すことでしか自分の欲しいものを得られない。

 阿呆ないびきを立てて眠る彼らとなんら変わりはない。


 鈴さんの身体に手を回す。

 先ほどまで汚されていた身体でもいい。

 貴方のその体温さえ確かめることができれば、どれだけ汚れていても使い古されていても、どう足掻いたところで私のものにならないことを知っていても――いいんだ。

 だってそういうやり方しか私にはできない。


 私を包み込むものが、愛に似ているだけの慰め合いだとしても、それが私に相応しい身体なんだから。


「私も雪のこと、好きだよ」

「うそつき」


 揺れた髪の毛が鈴さんの肩にかかる。

 それは彼女と同じ、くすんだミルクティーのような色だったんだ。

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