エピローグ

 話を終えたのと同時にカウンターから出て、テーブル席の客にコーヒーを置いた。


「ホットコーヒーです」


 中年風のサラリーマンは、「どうも」と礼を言ってくれた。


 軽く会釈をし、カウンターに戻る。


「なるほどな」カウンター席に座っている客、石岡が頷いた。


「信じられないものだとは分かっているけど……」


「だとしたら、はなから俺に話さねえだろ?」


 僕は黒ぶちの眼鏡を押し上げて、そうかもな、と肯定する。


「しかしまあ、ここがそのアパートだったとはな。改装費とか、半端じゃなかっただろ」


「うん。でも、高校大学と貯めていたバイトの金があったから、それでなんとか」


「でな、ちょっとは俺に相談しとけよ」


「それは、本当に謝る。ごめん」


 きちんと、頭を下げる。


「おいまて、俺はそういうことをやってもらいたいわけじゃねえよ」石岡はふぅっと息を吐いた。「頑張れよ」


「ありがとう」




 会社員一年目という年齢になったのだが、僕はどこにも就職せず、あの事故物件であったアパートを改装してカフェをつくった。

 当然のことながら、例の女子大生自殺のことを掘り返して恐れてくるので、簡単には客は集まらなかった。でも、ポスター張りだとか、できるだけ見映えをポップな感じにするとか、そういう工夫を凝らしてじわじわと客を増やしている。


 石岡のほうは地元に就職して、今は東京への出張に出向いていて、ここに立ち寄ってくれた。


 今も昔も、石岡が一番の理解者であることに変わりはない。お礼をしても、しきれないくらいに。


「で、そのアキっていう女の子は、あれからは?」


「いや、まだ」


 あれから七年だったが、一向にこちらからは姿は確認できていない。どこか別の場所に行ったのかもしれない。


 でも、帰る場所はここだ。なんせ、元のアパートを取り壊したとき、『201』だけそのままにしておくよう頼んだからだ。


 あの部屋は定期的に掃除して、いつでも戻ってくるのを歓迎している。


 僕は、自分のマグカップに、ポットで溜めておいたコーヒーを注いだ。香ばしい匂いに、心が落ち着く。


 それを機にしたのか、石岡が声をかける。


「じゃあおい、津原」


 僕は彼のほうを見据える。


「遅くなったけど、開店記念で乾杯」


「就職祝、乾杯」


 互いに自分のカップをぶつけ合って、カチリという音がした。


 僕はマグカップの液体に視線を戻し、ふと、違和感を覚えた。


 注いだはずのコーヒーから、量が減っていた。

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どこかへ消えれば香りも冷める 蓮見 悠都 @mizaeru243

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