第6話 記憶
別れを惜しむことは、ないと思ってた。
地元になんの感慨も沸かずに出ていき、少ない人間関係の存続はSNSが解決してくれた。
それで十分なはずだった。人と人との繋がりなんて、そんくらいの薄っぺらいものなんだろうだと。こじれた糸など、ほどかずにそのままにしておいたほうが楽だと。
× × ×
日に日に、彼女の身体が薄くなっていった。それはもう、どんな名医でも止めることのできない不治の病が進行していくように、ただ見守ることしかできなかった。
何をしてやればいいのか――僕は彼女に訊いた。そしたら、
「ただいつも通りにしているだけでいいよ」
そう言った。彼女なりの配慮だろうか。それとも、なんともない日常を取り繕いたいのだろうか。
いつも通りといっても、ただボサッと怠惰にするわけにもいかず、僕は学校が終わったらすぐに家に帰った。おかげで部活見学やらに一切関われなかったが、今は彼女との時間を大事にしたかった。
家に早く帰って、どうするわけでもない。一緒にゲームをしたり、借りてきた映画を観たり、と。
彼女が消えるという事実。それと向き合わないようにして、心が動じないようにした。彼女が変わらず、純粋な笑顔で、生き生きとしていて、そんな中で自分だけが悲しみを表すのは違うと思ったからだ。
軽い小旅行に行った。神奈川県の海だ。電車の中では、ちょっとだけ、会話をした。周りからおかしな目で見られないような具合に。
もう別れるのに、そっけない奴だと言われるかもしれない。でも、僕は元々公共の場での二人での会話を拒絶していた。理由が付いて、「じゃ、たくさん話そうか」となるのは彼女の「いつも通り」とはズレていると僕は思ったからだ。
海は、まだ海開きをしていないからまだ寒かった。ただ、景色は素晴らしかった。それに縁がない人間だったから、その美しさに感服したし、なにより彼女が喜んでくれたのが僕にとっては一番良かった。
しかし、月日は無情にも流れ、ついにこの日になった。
出会ってから、ちょうど一ヶ月経った日。
その日はちょうど休日で、一日彼女とい一緒にいることができる。何をするか分からなかった。自分が何をしたいのかも分からなかった。
そんなことを前日布団の中で考えていたら、寝付きが悪くなってしまい、起きたのが昼間に近い時刻だった。
「おはよう」
いつもなら、立ち上がってふすまを開けた瞬間に入ってくる挨拶が、寝床に入った状態かつなぜか近い距離で耳に来た。ぼやけた視界で目を凝らすと、枕元で彼女が丁寧に正座をしていた。
ああ、彼女もどうすればいいのか分からないのかな――そんなことを考えた。
「おはよう」
身体のほうは、消えかけているといっていいほど、形を捉えるのが難しくなっていた。
起きた後も、お互いの中に会話という会話はなかった。向こうはずっと漫画を読んでいたし、こっちは読み溜めていた小説のページを開いていた。部屋には、ただ紙の
「ねえ」
日が暮れる時間帯。今まで休憩挟まず読んでいた小説から顔を上げた。夕日が眩しい。明日の晴れを予期していた。
「どうした」
「行こうよ」
「どこへ」
なにも言わず、彼女は歩き出した。僕は少し気が震えるような感じがした。
彼女の顔が、恐ろしく真剣だったから。
付いていったには、足場が不安定で崩れてもおかしくない外階段で上った先、『201』号室だった。
僕ははっとなった。生きていたときに彼女が住んでいた部屋。
扉の前に立った彼女は、そこへ体を滑り込ませていった。つまり、物理的に隔たれた場所を移動できた。
僕はその光景に改めて息を呑んだ。驚愕、恐怖。普通、彼女の容姿からそういうことをイメージすることはまずない。だから、余計に得体が知れない。
内側から鍵が
部屋の間取りは、当然ながら『102』
号室と同じだった。ただし、照らされた部屋に舞うホコリは異常な数を帯びていて、隅っこには蜘蛛の巣が形成されていた。
警察の捜査が終わったあとでも、まったく整備されることのなかった部屋なのが一目で分かる。
「あたしが、ここで自殺したんだよね」
オレンジ色の窓を見ながら、彼女が言う。
「そうらしいな」
「なんか、悲しいな」
「何が?」
彼女は手を後ろで組み、足元に視線を落としながら返答する。
「残ってる記憶が、自殺したことだけって」
前世、彼女の身には何かがあった。自殺をするほどの精神的な苦痛の、何か。その中でも幸福と思う事柄はあったはずだ。いや、幸福さえもすべて苦痛に繋がってしまうから、一斉消去されたのか。
「楽しいことも、いっぱいあったはずなのに……それだけでも、いいのにね」
下を向きながら、笑みを浮かべる。今にも泣きそうな、だけど、どこか固い心のような。
「なあ、アキ、質問していいか」
彼女の後ろに立ったまま、投げ掛ける。振り向かずに、うん、という返事。
「僕がここに来る前も、この世で亡霊としてさ迷ってたんだよな」
「まあ、そんなに長い期間じゃないけどね」
「僕から姿が見えなくなるってことは、現世の浮遊は終わりってこと?」
「分かんない」彼女はかぶりを振った。
「分かんないけど、でも、あたしはまたここに現れるかもしれない。たぶん、自殺したときの怨霊がこの部屋に住み着いてるんだと思う。だから、いつかまた引き戻されるかもね」
だったら、と僕は口を動かす。
「また、会えるってことか」
「でも、何年も後、君がどこにいるなんて――」
「ここにいるよ」僕は断言した。「ずっと」
「それはやっちゃダメ」彼女の、否定的な言葉が飛んだ。
「あたしなんかのために、君の人生が台無しになっちゃ、ダメだもん」
「家なんて、どこでも変わらないだろ」
「そんなこと、言い切れないよ。就職した仕事で転勤しなきゃ、とか。実家で親が倒れた、とか」
「そんな……可能性を挙げてったらキリがないだろ」
「でも――」
「僕はっ」
彼女の発言を遮った。
ふざけるなよ――そう言いたかった。自分にも、向こうにも。
変わらない運命に抗おうとするなんて、無駄に決まってる。そんなの、分かりきったことだ。だって、そうだ。彼女が消えることは結局変えることなんてできなかったのだ。
僕は無力だ。何もできずに。
でも、彼女はまだそこにいる。だから、最後にだけ。最後に。
分かってる。いかに自分が傲慢だっていうことを。失うことをなんとも思っていなかった人間が望むなど、図々しいにもほどがある。
だとしても。僕は。
「アキの消えてしったう世界が嫌だ」
声が震えている。自分でも分かった。
なぜか。知ってる。知らないふりはできない。
「だから……。明日からいなくても、いつかここに……戻ってきてほしい」
僕は咄嗟に口元を押さえた。漏れる震えが吐き出されそうだったからだ。でも、目元のほうは、すでに濡れていた。
「だから、だから……」
後に、言葉が紡げなかった。変わりに、もうしゃべれなくなるほどの涙で顔を覆っていた。それを拭いもせず、ただ流れ続けることを許していた。
それは、ただ僕の胸からあふれでるものをただ表現しているだけだった。心の底から泣いていた。
失いたくないものが、失ってしまうからだろうか。
彼女の温かい感触が、僕の顔に包まれた。震えた感情を、溶かしてくれるような。
僕は濡れた目を見張った。行動の驚きと、消えかかったその身体になんて温もりがあるのだろうっていうことと。
すぐ
僕は濡れた顔を彼女の肩に押し付けた。
彼女は僕の髪の毛をさすり、言葉を発した。
「ありがとう。本当に。君と過ごした日々を、今度は失わないようにするから。
何年経つか分からないけど、絶対に会いに行くからね。だから、君もあたしのことのこと、忘れないで」
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