第4話 入学


 新しい制服の当たる感触は、妙にひゃっこかった。そして、ズボンの裾が少しばかり小さいことに今更ながら気付いた。椅子に座ったとき、靴下とズボンの隙間が空くあれだ。サイズ調節のときにミスをしたことを後悔してもしょうがない。


「いいねー、初々しいねぇ」


 スマホのフラッシュ音が響く。エセカメラマンの名にピッタリな様々な角度で写真を収めている。


「それ、一応僕のスマホなんですけど」


「知ってる、知ってるう」


 調子乗っている彼女からスマホを引ったくり、撮ったばかりの写真を消去した。「えー、なんでよ、もったいなーい」と不満げな彼女を無視し、ゴミ箱ボタンを押していく。



     ×   ×   ×



「家の安全は任せてね。ちゃんと守ってあげるから」


「それ、まんまニートの発言にしか聞こえないんですけど……」


「いいから、いいから。第一印象が大事だよ。ほら、ムスッとしてないで」


 彼女は僕のほっぺたを掴み、にー、と横に伸ばした。


「痛いって」手で払う。


「笑顔が大事大事」


「ニヤニヤしている奴はキモチわるいでしょ」


「ダメだねぇ。心で笑わないと」


「つくり笑顔をしている時点で、心で笑ってないんですけどね」


 慣れていないローファーを足にはめ込みながら、彼女に声をかける。


「じゃ、行ってきます」


「行って来い」


 僕は玄関を出て、外に出ていく。靴がきつい。なんか、両側から圧迫されてるような感じだ。靴擦れが起こってなければいいが、と念じた。


 相変わらず、居候の幽霊は居座りこんでいる。いつまでいるんだと訊くと、「時間が来たら」としか言わない。時間とは? 僕は自問自答するが、彼女の何かしらの機転となる一点だとしか解釈できない。


 それは何か。


 既に答えは出ているが、正確なものを調べる気にはなれない。調べ、知った時には、何かが壊れるような気がするからだ。

 

 いつか、彼女は姿を消す。それまでに、僕は何をするべきなのだろうか。



     ×   ×   ×



 偉そうな校長の話を聞き流し、教師の紹介も済み、配布物が渡されて、ようやく解放された。設備が充実しており、教師の質も悪くなさそうな高校だ。ま、附属高校だからそれなりにやってもらわなきゃ困るけど。

 教室で最初のホームルームをやっているとき、前の席のちょっと太り気味の人が今後の予定について話しかけてきた。咄嗟のことだったので僕は慌てた口調で返してしまった。第一印象、崩壊。彼女の予言が当たったようだった。


 重い足取りで、昇降口から出た。理由はさっきの事柄から自分のコミュニケーション力の絶望と、ホームルームで新しい担任から説明された授業の多さ。勉強をするモチベーションもそれほどない。なぜなら、附属の大学へは赤点を回避して問題行為さえ起こさなければ行けるところだからだ。

 

 校門前では入学式の垂れ幕を前にして、親がここぞとばかりに子供の制服姿を写真に収めている。邪魔だなあと思いつつ、タイミングを見計らって腰を落とし、雑踏をくくり抜けた。


 やれやれ、と不安と虚しさのオンパレードを胸に抱えた時、校門前に知っている顔が見えた。


 まさか、と驚き、やっぱりか、と呆れ、とヤバいだろ、慌てる。カラフルな感情が混ざって、この幽霊を表しているんだなと納得した。


 視線に気付いた彼女は、企みの笑みをした。僕はすぐに近づき、無言のまま彼女の腕を掴んで強引に歩きだした。


「ちょ、痛い痛い痛い」叫ぶ彼女を無視し、人混みを掻き分けて路地の脇へ連れていく。おそらく、周りからはおかしなぐらい腕を後ろに伸ばして歩いている奴に見えただろう。くそ恥ずかしいんだよ。同じクラスの人間がいたらもっと最悪だ。


 人目がつかなくなったところで、解放してやる。


「ちょっと、何してんのよ!」


「それはこっちのセリフだ! 外ではまずい。色々ややこしくなるだろ」


「どこが?」


 ああもう、わかってない。僕は頭をかきむしる。こいつは天然か、と今更ながらに困惑する。


「君と話しているとき、僕が空想の友達と話している寂しい奴に見えるだろう」


 あくまで、彼女が真の幽霊だと仮定した場合に、だ。


「ああ、そういうこと。別に気にしなきゃいいじゃん」


「こっちはまずいんだよ。頭おかしな奴と思われる」


「ダメダメ」彼女は人差し指を振る。「そうやって他人のことばっか考えてちゃ、何も踏み出せないよ。日本人の悪い癖」


「客観的っていう言葉知ってる?」


「だからね」彼女は笑顔のまま、僕の肩に手を乗せる。「人の目ばっか気にしてそれで何にも行動しないで、外見だけ取り繕って生きたって、そんなのダサいよ。君は、

そういうの気にしない男の子じゃないの?」


「いや……気にするよ、人間誰だって」


「人間のことじゃない」彼女は首を振る。変わらず目を見つめながら続ける。「君自身のことだよ」


 僕は黙ったままだった。何も言い返せない自分がいた。顔を下に落とし、彼女の履いているスニーカーを目のよりどこにする。彼女の言葉は、ひしひしと、胸をつついてくる。真摯だ。ごまかしが効かないな。


「悪い」ぽっ、と言葉にしていた。


「さすが、君」口振りが、満足げだった。


「そういう素直なところ、あたしは好きだよ」

 はっ、と顔を上げた。はにかんだ表情に、どこかしらから込み上げていく感情

があった。


 そうか。ふう、と息を吐いて落ち着かせる。


「写真、撮ってあげるよ。校門のところで」


「え、いや、いいよ」


「いいから。記念だよ、記念」


 記念ねぇ。よく分からない説得だったが、折れてスマホを差し出した。


 彼女が先に路地を出、まだ人混みの続いている道へ紛れ込む。人の流れとは逆方向だ。


 角を出たところで、僕の動きは止まった。すぐ目の前にいたどこかの中年女性と肩がぶつかったが、それに意識を割く余裕はなかった。


 彼女は、アキは、亡霊は、すれ違う人を貫通して歩いていた。ぶつかりもせず、ただ空気のように、体を滑りこませていた。






 本当は、期待していた。彼女が、ただの人間であることを。だから、そこから目をそらしていた。


 嫌だった。怖かった。認めたくなかった。


「あれ? おーい、早くー」見えなくなった位置で彼女が呼びかける。


 僕にだけ聞こえるのであろう声。だって、周りの人たち何にも反応してないから。





 僕は、まだ動けなかった。

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