第3話 ゲーム



 目が覚めると、午前九時を少し過ぎたあたりだった。寝すぎかな。でも、もう少しで高校生活も始まる。二度寝できる幸福を噛み締めながら、僕は布団からむくりと起き上がった。

 ふすまで挟まれた居間からはガサガサという音が聞こえる。今日もいるのか。ため息を漏らし、ふすまを開けた。


「あ、おはよう」彼女が挨拶をする。


 信じたくないのだが、どうやら彼女は物体をすり抜けられるみたいだ。じゃないと、鍵が全部閉まった部屋に侵入するのは不可能である。まあ、現実的に考えれば合鍵をどっかから調達したっていうのに落ち着くだろう。


「君はいつまでいるつもりかい」


「何で?」


「なんでって……。君、お金持ってる?」


「ないよ」


「お得意のすり抜けで盗めないの」


「え、それ犯罪じゃん。あたしは善良な幽霊ですからねー。残念でしたー」


 あはははは、と高らかな笑い声が 人気ひとけのないアパートに響いた。他人の飯を盗み放題していた野郎が何をほざいているのか。わけわからん。

 顔を洗うため、洗面所に向かった。蛇口を捻り、冷水がしぼんだ手に気持ちよく当たる。それを一気に顔にぶっかけた。


「あのさー」


「ん?」タオルで濡れた顔を拭きながら答える。


「毎日漫画読んでる日々も飽きたからさ、なんかないの?」


「なんかって何」


「ゲームみたいなもの。二人でやるやつ」

僕は台所で白米を準備し、薬缶でお湯を沸かす。「残念ながら、そういうゲームはこの家にはない。大体、飽きたならもうそろそろこの家から出ていってもらわないと、僕の金がすぐ底付きになって貧乏学生になっちゃうから――」


 卓袱台の傍らには、読みかけの漫画と菓子パンの袋が散らばっているだけ。彼女の姿は跡形もなく消えていた。


「ワープしやがって」


 僕は毒づき、インスタントの味噌汁を準備した。安いお椀に味噌汁を入れ、茶碗に盛り付けた白米とパックの納豆を手に取り卓袱台の上に乗せた。

と、床に転がっている山を見て、しぶしぶと腰を下ろした。漫画を本棚に戻し、菓子パンの袋をクシャクシャに丸めてゴミ箱に投げ入れた。あの幽霊は片付けることが苦手なようで、ていうかやらないので結局自分がやる羽目になっている。

 軽く片付け終わって、見栄えが良くなったところで薬缶が湯気を放出しはじめた。お椀の味噌に熱湯を注ぎ、白米と納豆を掛け合わせて朝食が完成。粗末だが、十分なものだろう。

 納豆をかき混ぜていると、いきなり「うわ、納豆くさ」という声が部屋に浮かび、ふと顔を上げれば、カーペットに寝転んでいる彼女がいた。


「納豆を混ぜているのだから納豆臭くなるのは当たり前だろ」


「なんだ、君も臭いと思ってんじゃん。よく食べられるよなあ」


 どうやらこの幽霊は納豆嫌いらしい。現世にいたときもそうだったのだろうか。それとも、亡霊になったことによる麻痺なのか。いずれにしても、自身の部屋で食すものを制限される筋合いはない。


ふと、彼女の傍らに玩具のようなものが積み上げられていることに気付き、途端に嫌な予感がした。


「あの……そこにあるのは」


「ああ、そこらへんの家から取ってきたものだよ」さらりといった。「ええと、人生ゲームにオセロに囲碁将棋チェス、それとトランプやUNOもあるよ」


 どうやら予感は当たってしまったようだ。「盗んできたものかよ……」


「大丈夫。姿は見られてないから」


そういう問題じゃないはずだ。その言葉を飲み込んで、暑い味噌汁を啜った。あまり無駄なことはしないほうがよさそうだと判断したからだ。


「ほら、やろうよ。暇だから。ね?」


「まだ引っ越しの片付けが完全に終わってない」


「そんなのいいからいいから」卓袱台に乗り出してこちらに顔を近づけてくる。味噌汁のお椀を置き、その替わりに納豆の茶碗を顔と顔との狭間へ持ち上げた。


「うっ……」


「本当に無理なんだね」


「さっきから言ってるでしょ!」

 白米といっしょに口に運びながら、「納豆を汚物扱いするのはやめろ。水戸市民に怒られるぞ」と言った。


「君、茨城県出身なの?」


「いや、長野だけど」


「へー、寒いところだね」

 

 僕はその返答を頷くに止めた。決して長野にそういうイメージしか抱かないことを怒っているのではない。むしろ、歓迎かもな。


「ね、やろうよ」


暇をもて余す以外に目的はない。


「わかった。ただし、ちょっと待っててな。ちゃちゃっと準備しちゃうから」


やった、と笑う幽霊に、この子は幸せだったんだろうか。そんなことを想像した。



     ×   ×   ×



 彼女は行うゲームにオセロを選択した。勝負をしかけてくるあたりなにかしらの秘策でも持っているんじゃないかと身構えたが、そうやって警戒した自分がバカだったようだ。


「うわー、また黒取られた」


彼女の縦に並んだ白をどんどんひっくりかえしていく。形勢は圧倒的。盤面には黒が升目に敷き詰めあっている。


「君、何かオセロの訓練でも受けてたの?」


「なんだそれ。普通だろ」


「はああ、じゃあ頭がいいんだ」


「ま、日本の同年代の平均値よりはいいだろうね。もっとも、君より頭がいいかはわかんないけど」


これは正直なものだ。人の普段の振る舞いで頭の良し悪しは見分けがつかない。バカそうに見えるが天才だったり、生真面目な人が凡人だったり。とりわけこの幽霊、生前僕と同じ大学ないしは高校に通っていた可能性も示唆できるから。


 褒められたと勘違いしたのか、彼女は「へへへ、頭良さそうに見えるかな」と顔をさすっている。うん。これだから分からない。ていうか、女性という性別が分からなく、知らない。


 女の子と付き合ったことは、ある。一週間だけ。中学一年の時だ。クラスの中でも結構目立つほうの女の子だったから、僕は驚き、その舞い上がりで易々と了承した。


 デートに誘うとか、学校の校門で待ち合わせとか、部活帰りに一緒に帰るとか。そういうカレシカノジョの行動をしないまま、その女の子は別の男子と付き合い始め、僕との関係は自然消滅という形になった。


 その子が言いふらしたのかは知らないけど、教室内で変な噂が立つようになった。聞き耳をすると、言われもない嘘っぱちで、僕が「勝手にカノジョをフッた悪者」にされたみたいだ。

 クラスにいずらくなり、登校時間は朝礼のギリギリ。授業中は挙手を一切しない。昼休みは図書室に居座り、終礼後は速攻で部活か帰宅。そういう日々が続いた。

 

 このときから女性につねに猜疑心さいぎしんを抱くようになったのは、順当な人間性の構築である。


 世の中は理不尽である。その女の子が、県でも上位の公立高校に進んだことを知ったのは、実家から引っ越す前日だったのだ。


「本当、理不尽だ」


「え? なんかいった?」


「いや」僕は黒白を写した石をつまむ。隙がある。甘い。


「今を楽しもう」


 そう言って、数少ない白を消していった。彼女の悔しがる声が漏れた。




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