マクガフィン

綾埼空

マクガフィン

 この朱く透き通った瞳が私を弾劾してくれたらよかったのに。

 空虚なガラス細工の瞳には魂は宿っていない。


「魂という機能は、生命活動の総称であるとともに、だからこそこういった命の存在しないものにも、不可逆性があると定義づけるもののはずなんだけどね」


 思い出を撫ぜる。

 医者見習いをやめ、人形技師になった私だったけれど、残念ながらできることはなかった。

 金糸の髪が陽光を吸って仄かに明るくなっていた。妖精のように舞う埃が魔力の残光のように煌めいている。

 未明を燃やすあけのように朱い瞳は揺らぐことなく一点を見つめている。

 感情などない。思考などない。

 すべては剥奪された権利だ。

 ゴシック調のドレスからすらりと伸びた手足の関節は、球体。

 球体人形と呼ばれる、完成された人を作り上げた成果物が、今の彼女の呼び名だ。

 ――球体関節症、と呼ばれる病がある。

 それは美しい見目をしたもののみが罹患する。

 黄金比に限りなく近い、かたちとして完成している人の関節が球体人形のようになり、やがてそれは全身へ広がっていく。

 その末路は、目の前で端正に椅子へ腰かける彼女が示すとおりだ。

 動くことも、語ることも、思うこともできずに、ただ悠久を生きる人形のようになる。

 原因はとっくに解明されている。

 人類の天敵。淘汰圧や自然環境でなく、霊長を名乗る人類種に対する免疫とも言えるそれ――“西の悪い魔女”が振り撒いた呪いによるものだ。

 人体を侵す病は呪いと同義だ。霊長を名乗りながらいまだピラミッド構造から抜け出せず、他生物からの淘汰圧を受ける未熟さの象徴であるのだから。

 魔女は映し鏡だった。大人ぶった人類の幼いところをまざまざと見せつける、鏡。

 魔女が人類を殺すのではない。ただ、あたりまえのようなその末路へ誘うのだ。

 善意と悪意がまぜこぜとなった、自滅の道へと。


「……ぁ」


 何かを伝えたくてこの場所へ来ているはずなのに、いつだって言葉を見失う。

 伝わらない相手に言葉を投げかけるのは無為か。感情のない相手に思いを届けるのは無意味か。


「それでも信じ続けるのが、人間だろうさ」


 わかっていて言葉をなくすのは、きっと何を渡そうとしているのか理解できていないからだ。

 そうやっていつだって見ないふりをする。自分でかけた目隠しの結び目の位置を忘れてしまった。

 だったらいつまでもここにいても仕方がない。

 人間にとっていまだ時間は有限であり、その有限を少しでも無限に近づけるには、社会性を発揮しなければいけない未熟で世知辛い世の中だ。

 自宅の屋根裏部屋に別れを告げる。とっくに彼岸の別れなのに、それを永遠のものにできていないのは私の浅はかな未練だ。

 階段のきしむ音すら吸い込まれそうな静寂。

 親元を離れて久しく、それは共同生活と無縁になった時間と同値だ。

 昔からものをあまり持たなかった。

 不要になったものは片っ端から処分する傾向にあった。

 今も仕事に必要なものは職場に用意されている。こじんまりとしたこの家には、寝床とおおむね染みついた生活感を満たす家具しかない。

 朝食はすでにすましてある。

 少し早いが出勤してしまおう。

 机の上に転がったキーホルダーを手に。

 靴を履く傍らに鏡を見る。寝ぐせはなかったが、眼鏡が傾いて見えた。

 直せば、彼女のとは似ても似つかない死んだ季節のような黒目がよく見えた。

 足元を慣らして外へ。鍵の閉める音に既視を感じた。


「……ああ」


 幼いころに遊んでいたおもちゃ箱を閉める音だ。

 そういえば、あのおもちゃ箱はどうしたのだったか。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 かつては国境と呼ばれるものがあったらしい。今はその枠組みは取り外されている。

 ある時期から人類の生殖機能が著しい低下を見せ、やがて出生率はゼロとなった。

 黙示録だの終末だのと騒ぎ立て、一部ではテロリズムが増えたらしい。それが拍車をかけたこともあり、一世紀で人類の数はその時期より半数以下となった。

 もういいのでは。だれかが言った。

 人類の延命策の臨界点とヒューマノイドの人権獲得はほぼ同時期だった。

 各国で開発された人工知能は、おやの手を離れ、独自の性格を獲得していった。

 私たちの役割は終わったのだ。

 宇宙の果てへたどり着くことはついぞできなかった。

 夢追い人。のちの世で私たちはそう評されるであろう。

 だから、開拓者としてのバトンは次の世代へ託すべきだ。

 私たちの夢は、私たちの子供たちが叶えてくれるであろう。

 ――そんな、緩やかな退廃の時代。

 こんな世の中でなければ彼女と出会うこともなかったであろう。

 朱い目は、延命策のなかで生み出た副産物のひとつだ。

 後天的な遺伝子変異。べつに不利があるわけではない。強いて言うなら多少、紫外線に弱くなる程度か。

 白いつば付き帽子とワンピース。

 むせ返る花の匂いは、夏の香り。

 雲一つない青い空の日に、私は彼女と出会った。

 出会って――何かが始まったのだろうか。

 奇跡の子。ファティマ

 最後の世代ラストチャイルド

 そう呼ばれた私たちは、きっと物語の主役を張れたのだろう。

 けど少なくとも、私が選択を誤った。

 笑顔で快活な彼女に私は恋をした。

 美しいものに惹かれるのは生殖機能の一環であると本で学んでいた私は、その時に驚きを覚えたものである。知識と相違する事柄もまだ世の中には残っていたのだ、と。

 彼女が私と一緒にいてくれた理由は、残念ながら思い当たらない。

 自身のことに対して不精の気がある私の世話を焼いてくれた彼女とは、自然と親よりも長い時間一緒にいることが増えた。

 働かずとも社会とのかかわりを多少なりとも持っていれば生きられる時代に、働くことでしかまともに他と繋がれなかった私の背中を支えてくれたのも彼女だった。

 医者として――この時代に外科的な治療はほぼ用をなさないが――人々の最期を見送ろうと身を立て始めた、その時だ。

 彼女が球体関節症に罹患したのは。

 初期症状は軽い。むしろないといっても過言ではない。

 当たり前だが、関節としての役割は十分に果たすので社会的な影響はないのだ。

 だが、その後が問題だ。

 まず、筋機能が失われる。この時点で彼女は自活が不可能になった。

 メンテナンス方法も人間のそれとは異なる。

 私は医者の道を諦め、急遽、人形技師の道へ足を踏み入れた。

 この病から、その道の職人は総人口に対して多い比率で存在した。

 あるいは、二度と敷居をまたぐなと言われそうな機械的な、人形じみた方法で知識と技術を得ていった。

 私がつぎはぎの一人前になるころには、彼女の肌は硬化していた。

 残っているのは自失。

 治す方法はない。

 それでも私は――彼女を壊したくなくて必死でメンテナンスし続けた。

 そして、その日はやってきた。

 意識こそが不純物であるかのようにどんどん澄んでいく瞳。

 そこに宿った彼女の最期の願いを、今でも鮮明に覚えている。


「わたしを壊して」


 遠回りして、空回りして、道を誤って。

 それでも私はいまだに彼女の願いを叶えられていない。



 ◇ ◇ ◇ ◇



「あのぅ」


 声にはっとする。

 対して遠くもない昔のことを思い出していて、上の空になっていた。

 目の前には妙齢の、はて、性別がいまいちわかりにくい。

 どのような症状で尋ねてきたのか確認するついでに目を配ろうとカルテに目を移し、


「あの子のこと、まだ壊していないんですか?」


 何を言われたのかわからなかった。

 ただ、マイセン仕掛けのように声の主へ顔を向ける。

 なぜそれを妙齢と感じたのか、自分の感性を疑いたくなった。

 それは祈りのかたちをしていた。


「……“西の悪い魔女”」

「初めまして、看取り人」


 看取り人。そんな風に言われたのは初めてだが、やっていることを的確に表現している。

 結局私は諦めた夢を拾った。なんでも捨ててきた私の身の回りにあったのはそれだけだったから。


「“西の悪い魔女”、結局あなたはなんなんですか?」

「魔女さ。魔法を使って、呪いを振りまく。きみたちの生み出した祈りさ」

「あなたのような……大切な人を人形にしてしまうようなことを祈った覚えはないのですが」

「いいや、きみたちは祈った。はるか大昔に、ひとつの決断があった」

「決断? 何に対しての?」

「人の赦される方法について。多くのものがその命題へ挑み、ある答えを出したのさ」

「その答えとは?」

「きみたちは生きることを選んだ。それはのちの世の人のあり方を決定づけた。そしてこの末期において、救われる道を閉ざしたのさ」

「それが球体関節症にどう繋がると?」

「完成された箱庭は壊されなければいけない」


 その言葉に、先ほど思い出したおもちゃ箱をどうしたのかを思い出した。

 幼年期の思い出と別れを告げるようにして、私は捨てたのだった。


「きみたちは創り上げて、それを壊して、その残骸を積み上げて宙を目指してきたんだ」

「もういいんですよ。人はここまでです。星を掴むことも、最果てにたどりつくこともできなかったけれど……ちゃんと次世代へバトンを託せました」

「いいや、まださ。きみたちの名前は夢追い人ではない。星すら足蹴にして、最果ても乗り越えて、燃え尽きるまで走り続ける開拓者なのだから」

「けど……限界ですよ。もう人は、足を止めてしまっています」

「まだ、足は残っているだろう? 最後のひとりが息をやめるまで、きみたちの旅は続く」

「ああ……」


 なぜか怒りがわいてこない理由がわかった

 “西の悪い魔女”は個人ではない。現象だ。

 それの抱える欲望は、私たちの抱えているそれなのだ。

 祈りは魔女となった。そして魔女とは呪いだ。

 祝福などでは、決してない。


「きみたちの選択に正解も間違いもない。残るのはただ、結果だけさ」

「正解も間違いも、ない」

「看取り人。きみの望みはなんだ?」


 魔女のささやきに乗るのはまずいとわかっていながら。

 私は見つけた答えを口にした。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 仕事を終え、たそがれの差し込む屋根裏部屋に私は立っていた。

 これから夜が来る。


「ようやく言いたいことが見つかったよ」


 目隠しを外す。結び目はあっけなく見つかった。日差しを恐れた瞳は、夜に優しく出迎えられる。

 言おう。後ろ暗い、その答えを。


「私はきみを壊せない」


 彼女を思うのなら、壊すべきなんだろう。

 故人が生前に望んだ尊い願い――それを私は私のために無碍にする。

 多くの思い出を創っては捨ててきた私に、手放したくないと思うものが生まれた。


「きみの笑顔に、私は恋をした」


 人形となった彼女は私へ笑いかけてくれない。

 永遠に。

 そう、永遠に。

 私は看取り人。

 いつか来る人類再演の瞬間を見送るもの。

 だからきっと、彼女はいつか笑顔を取り戻すのだと信じ続ける。

 その笑顔を見ることはできないのだとしても――いつかあの笑みがもう一度咲き誇るのだと祈りを捧げよう。

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マクガフィン 綾埼空 @ayasakisky

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