狛犬の記憶
凍った鍋敷き
狛犬の記憶
我は狛犬だ。大きな川の土手の脇にこの神社が建立されてからずっと、ここで見守ってきた。遠くなった昭和も一桁から、かれこれ百年近くになる。
目の前を通る道も、砂利からコンクリート、アスファルトと変わっていった。同じように目の前の家々も、平屋しかなかったはずが背の高いマンションに取って代わられた。空もえらく狭い物になった。
戦火に塗れた時は、人々がこの境内に逃げてきた。立派ではないが鎮守の森もあり、空から隠れるにはちょうどよかった。
鉄火も収まり、再び平和を受益する世になると、ここを訪れる人間も減った。最近は森の木陰で一休みする年寄りと保育園のチビ達くらいしか来なくなっていた。
時代が変わったと、ひと言で表せば簡単だが、なかなかに寂しいものだ。
ここ数日、何やら人間が多数、神社の前で話をしている。ヘルメットを被ったり、偉そうな態度の太い人間もいる。図面なのか紙を広げ、あーでもないこーでもないと、騒がしい。
おかげで保育園の園児も遠巻きにしている。お前たち邪魔ではないか?
そんな時、隣の獅子が話しかけてきた。
「狛犬、知ってるか?」
「何をだ?」
「そこの人間どもの話だと、このお
がやがやと何か話をしている人間どもを見る。その向こうには、小さな道だったはずの大通りに忙しなく行きかう車が見える。静かな社だったがいつの間にか周りが騒がしい物になったのだな。
「なんでも、そこの土手に新しく橋をかけるらしくてな。このお社が邪魔なんだそうな」
橋のぅ。確かにそこの川に橋を掛けりゃ便利だろうのぅ。その便利と引き換えに、何かを無くしていくのだなぁ。
「あれは工事の人間だろう。ご苦労な事だ」
獅子はあっけらかんとしている。悔しくは無いのだろうか。この地で既に半世紀以上、もはや一世紀にもなるのにあっさりと壊してしまうなど。信心を失って久しいとは聞くが、切ないのう。
「何時頃なのかのう」
「さぁなぁ」
獅子と共に、目の前の景色をただ眺めるばかりだった。
社務所に人がいなくなってから数十年。訪れる人も減れば、消えゆくのは定めなのか。
「ここがなくなると、あの子供らも休む場所がなくなるな」
「ははは、我らと一緒だな」
なんとなく呟いた言葉に獅子が反応してきた。考える事は同じようだ。まぁ、獅子と狛犬は一対で初めて意味があるからな。
「ここいらの景色も変わってしまうのぅ」
動かない体の代わりに目を動かし、ぐるりと周囲を見る。狭い空、煩い音。いつまでも変わらないと思っていたが、変わるときは意外にあっさりと変わるものだ。
「人がそう望むのなら、しかたあるまいて」
獅子がぼやく。所詮は人によってつくられた我が身だ。始まりも終わりも人の手に依るのは摂理ではある。
「ま、その時までゆるりと移り行くさまを見ておこう」
鎮守の森は風に吹かれ、葉の音を立てていた。
あれから数か月、にわかに境内が騒がしくなった。鳶や大工がわさわさと集まってくる。
「とうとう始まるようだの」
愛用の道具を用意する人間たちを見て獅子が呟いた。人間の使う道具も随分変わった。鋸も鉋も見なくなった。なにやら電気で動く道具を使っている。なんとなく詫びしさがつのる。
「さぁてこの身は何になるのか」
動かぬ我が身は石で出来ている。何かに再利用などできまい。
「そうさなぁ。砕かれて、新しく作る道の礎にでもなれば、この地に残れるかもな」
自嘲気味ではあるが、それも悪くは無いと思った。百年近くいればこの地に愛着もわく。
「ま、それも人間次第さ」
その人間が大きな袋を担いで階段を上がってくる。皆揃ってお社に並び参拝をするようだ。社務所に人はおらんが神はそこにおわす。当然の礼儀だな。
詣でが終わり、その大きな袋を担いだまま、我らに近づいてきた。
「あれは我らを砕いた石でもいれるんかの?」
「さぁなぁ。それにしちゃ、ちょいと小さいな」
我らを砕けば量も増えよう。大きい袋でも収める事はできんだろう。そんな事を考えていると、人間はその袋を逆さまに持ち、我が身にかぶせてきた。
「なんじゃ、どこかに連れ去るつもりか?」
「別な場所で砕くのかもな」
やはり同じように袋をかぶせられたのだろうか、獅子がそんな風に答えてくる。
「なるほどな。お前とも長かったが、これまでだの」
一応、相方に餞別の言葉を贈る。
「おお、達者でな」
「達者でいられるか、この馬鹿もんが」
「ははは」
行く末も分らないと言うのに、お互いに呑気なものだ。
台座から外され、平らな所に置かれた。袋を被されているから何も見えない。
「さて、どうなるんじゃろかな」
俎板の上の魚の気分が良く分る。煮ても焼いても食えんがな。
「おぉ!?」
平たい場所が急にぶるんと揺れた。エンジンの軽快な音がなり、床が振動を始めた。袋の上から縄か何かが掛けられ、がんじがらめにされる。
「どこぞに運ぶんかいのぅ」
どのみち俎板の上だ。好きにするがええて。
ゴトゴトと長い間揺すられ、動く床は止まった。外では人間の声がかかり、この身が運ばれていく。
どこに来たんだか。そんな考えをしていればドスンと地面に置かれた。音からすれば下は土のようだ。
がやがやとした人間の声は遠のき、軽快なエンジンの音がかかると、それもどこか遠くへと去っていった。
「うむ、置き去りは想定外だったの……」
袋越しに聞こえる音は風が葉を揺らす音、小鳥のしゃべる声、虫の響。どこかの森か山か。
「まいったのぅ」
我が呟きに返す声は無い。
あれからどれくらいの時が経ったろうか。暑い日も過ぎ、セミの声も絶えた。鈴虫だろうか、綺麗な声を響かせている。その間、何もなかった。ここを訪れる人間の気配もなかった。
「忘れられてしまうくらいなら、いっそ砕いて砂利にでもしてくれた方が余程いいんじゃがなぁ」
存在を忘れられてしまうのは辛い。
「アイツはどうなったかのぅ」
社で別れた相方の行方に思いをはせるが、分る筈もない。
「アイツだけでも、砂利になって道の礎に練ってくれていれば、いいんじゃが」
そう願望を述べていると、ふいに軽快なエンジンの音が聞こえてきた。誰かが来たようだ。
「なんじゃい、今更」
不平を述べてみても、なんとなく嬉しい。わいわいと近寄る人間どもは我が身を持ち上げると、どこぞに運び始めた。
また移動か?
振動する床に乗せられ、又もゴトゴト揺られ運ばれていく。
「人間は死んだら三途の川を渡るだとか。我が身の終点はどこなのかのう」
神社に三途の川など関係ないが、ぼやきたくもなる。動く床は止まる気配はなかった。
じゃじゃっと砂利をかき分ける音をたて、動く床は止まった。エイサと威勢の良い声が掛かり、我が身が持ち上げられた。
「ここが我が身の終着駅か?」
良く分らないが、やたら威勢のいい掛け声が続く。訳が分からないうちにゴトリと我が身は置かれた。ごそごそと縄が外され、かぶさっていた袋も取られた。久しぶりにお天道様を拝む。
「ん?」
わが身が置かれたのは、前も置かれていた石の柱の上だった。目をぐるりと回して周りを見れば、見覚えのある獅子がいた。
「おぉ、達者であったか」
「なんじゃい、おぬしか」
「何じゃいとは、なんじゃい」
「はは、息災であったか」
勝手知ったる相方だ。この程度が心地よいのだ。
「なんでここに、というか、ここはどこじゃ。あの世か?」
「石があの世に行くものか。
獅子の言葉にもう一度周りを探る。
人間たちは大勢でがやがやと騒ぎおる。鎮守の森は、以前とは違う形のようだ。境内も以前より格段に広い。社の前にあった道はやたら遠くに見える。袋の中にいて我の目が悪くなったのか?
だが、遠くに聳え立つ建物には見覚えがある。ふむ、どういうことじゃ?
「気がついたか?」
「ふむ、分からん」
分からんものは分からん。
「この石頭め」
「当たり前じゃ。我は石でできておる」
「やはり石頭じゃの」
獅子が笑ろうておるがこの際放っておこう。はて、本当に分からんな。
「ここはな、元の社の裏手らしいぞ。なんでも道を作るのにこの社を後ろに下げたらしい」
獅子が偉そうにいってきよる。どうせ人間のまた聞きじゃろうが。だがお社は元の物を使っておるようじゃな。あの瓦の古臭さはまさにそれじゃ。
「はは、道の礎になり損ねたな」
なにやら獅子は上機嫌だ。鬱陶しいのう。
「ほんにな」
仕方ない、長年の付き合いだ。答えてやるか。
「またここで雨ざらしじゃ」
「踏みつけられるのと、どっちが良いかの差じゃ」
またこいつと一緒か。
お囃子の音が響く夕餉時。茜さす社の境内には、盆踊りでもするのか櫓が立っている。浴衣姿の人間どもが忙しく動き回っている。
「神社で盆踊りとは……」
獅子がため息をついている。偉そうじゃな。
「神は寛容じゃ。些細な事ではお怒りにはならんて」
「そうかのぅ」
獅子は不満のようじゃな。
「見てみぃ。子供らが楽しそうではないか。それを見て神が怒ると思うか?」
「うむ、怒らんな」
屋台と電球の灯り。最近はえるいーでーとかいうのかの。じゃが変わらんな。子供らの笑い声は。昔から。
「楽しそうならええじゃろ」
「ええな」
境内には人が溢れてきた。見たことのある顔も多い。
「おー、八重子の孫の孫じゃ」
「変わらんなあ。そっくりじゃ」
名は知らぬが姿は覚えておるものにそっくりだ。
「森で休憩しとる子供らも、いずれはいなくなるんじゃろな」
「その代りに、似た顔が出て来るじゃろ」
「おぉ、そうじゃな」
「お前は阿保じゃの」
「やかましいわ」
――とある神社の境内には、古い古い獅子と狛犬が鎮座しているそうな。
狛犬の記憶 凍った鍋敷き @Dead_cat_bounce
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