君は何だ

白夏緑自

第1話君は何だ

 コーヒーを生み出した人は天才だと思う。

 飲めば思考がクリアになったり眠気が覚めたりするだけではなく、香りだけで豊かな気持ちにしてくれるのだから。

 苦味のせいで万人受けしないが、好みの範囲というものがある。嫌いな人は嫌いで、好きな人は好き。

「俺は好きでよかったあ」

 おかげで作業が捗る。

 報告書を纏めているとどうしても行き詰ることがある。

 ただ起きたことや聞いたことなど真実を書き留めていくだけの作業がなぜこうも中断してしまうのか。

「知ってたら苦労しないよ」

 だから人類はいつまでも進歩しないのだ。どこからかやってきた転生者たちに頼らなければ俺たちは進歩できない。

 俺が子どもの頃、世界はもっと寂しかった気がする。

 華がなかった。

 香りももっと少なかったと思う。

 コーヒーを生み出した世界はやはり華やかなのか。

 様々な香りを楽しめる世界なのかもしれない。

 それこそ、好き嫌いが分かれないような香りだってあるかもしれない。

 そこはそれだけ「好み」が共有できる世界のはずだ。

「いや、結局進んでないし」

 どうもコーヒーと言うのはいけない。深く考え込んでしまう。手のひら返し。

 ノックの音が聞こえた。

「どうぞ」

「失礼します、先生。転生者が一人来られました」

「お、そっかそっか。じゃあすぐ向かう」

「はい。三番の部屋でお待ちです」

「了解」

 ☆

 異世界から転生者が来ること自体珍しいことではない。

 だいたい一日に十人は来る。

 一か月にして約三百人。

 周りを海で囲まれたこの世界。広くない土地で、問題になってくるのはやはり人口問題だ。

 大量にやってくる転生者。彼らのおかげで技術や文化が発展していくので無下にするわけにもいかない。

 しかし、彼らがもたらした技術で出生率、生存率が上がったことも確かである。

 人類は発展する代わりに人口問題に直面した。

 多子高齢。

「それを解決してくれる技術があるといいんだけど」

 そんな期待も込めて、俺は三番の部屋の扉を開けた。

 扉を開けると、そこは簡素な部屋だ。

 白い壁と机。向かい合うように置かれた椅子。それと最近開発されたコーヒーメーカーとカップがあるだけ。

「お待たせしました」

 俺は既に座って待っていた美少女に挨拶する。

「ようこそ、私たちの世界、エウトパへ」

 できるだけ内心の喜びが表に出ないよう落ち着いた声で。

 なんだって美少女だ。

 美少女。

 黒髪。

 目元ハッキリ。

 唇柔らかそう。

 おっぱいデカい。

 おっぱいがデカい!

 いかんせん、ここで下心がバレてしまうのはよくない。何て言ったってこれから二人きりで話すのだ。ワンチャンスあるかもしれない。

「あの、机が何か……?」

 おおっと危ない。

 つい胸の上を凝視していた。

 胸の上。

 胸のふくらみで上と下と完全に区別できるのが素晴らしい。

 机と勘違いしてくれてよかった。

 俺は紳士的なんだ。

 紳士が女性の胸を凝視するわけないからな。

「いや、失礼。ちょっと配置が整っていないように感じて」

 失礼、ともう一度言って机を動かす。

 このとき、少し屈んで壁と机の延長が直角になるよう見てみるが、胸の下に影が生まれている。その大きな胸が上からの光を遮り、胸と腹の間に影を作っている。なんというデカさ。なんという素晴らしさ。ありがとう異世界の誰か。彼女のような存在を生み出してくれたおかげで私は幸福を味わえている。

このまま眺めていたいが──

「その、ここはどこなんですか?」

 ──俺には仕事がある。

 俺はまず、彼女がやってきた世界、俺たちの世界が何なのかということから説明を始める。

「俺たちの世界の名前──国名と言えばわかりやすいかな──はエウトパ。

君のような転生人がよくやってくる世界でもある」

「転生……?」 

「異世界転生。聞いたことがないかな?

〝異なる〟世界へ転生。

君はつまり、ここじゃない、どこか別の世界からやってきたんだ」

 そして、

「そして君は、その姿に違和感を覚えるはずだ」

 俺がそう言うと彼女は自分の姿をまじまじと見た。

 まずはうつむいて下を。

 それじゃあ駄目だ。君のその胸では結局胸の上辺しか見えない。身体を確認することには適さないはずだ。

「もっと、腕とか広げてみて。ちょっと歩いてみてもいい」

 立ち上がり、机の周りを一周。

 このとき、彼女の匂いを嗅ぐ。

 決して変態的行為ではない。

 大事な仕事のうちの一つだ。

 彼女が何者なのか突き止めるための大事な手掛かりになる。

 どこかで嗅いだことがある匂いだった。

 フルーツのような豊かな匂いではなく、むしろその逆。

 詰まるような、黒色の匂い。昔来たタイヤさんのような匂いだ。

 彼女には申し訳ないが、決していい匂いではない。

 これは大きな手掛かりだ。

 匂いは食べ物かどうかを判別するための指針になる。

 いい匂いなら食べ物である可能性があり、あまり良くない匂いなら口に入れる物ではない可能性が高くなる。

 彼女の場合、後者の可能性が高い。

「うん、ありがとう。座って」

 さて、ここからが本番だ。

 座った彼女に俺は一つの石を渡した。

 緑色のそれを不思議そうに見つめる彼女に説明する。

「それは〝起憶石〟。君の正体に関するあらゆるものを記録する石でもある」

「私の正体?」

「そう、君の正体。どうだろ、今手足や身体を動かしてみて何か気づくことは無かったかい?」

 彼女はまた一度五指を動かし、

「こんなに自由に動くものでしたっけ……?」

 表情に感動の色が見えた。

「いいね。君は手足が自由に動かせることに感動した人間だ」

「だって、こんなに動かせるなんて、そう、それこそ初めてなんじゃないかって気がして」

 彼女の言葉に呼応するように〝起憶石〟が緑色の淡い光をあげる。

「わっ」

「離さないで」

 光はやがて治まって、消える。

「なんだったんですか、今の」

「君が君に関することを思い出したときや、転生する前──前世──の姿やその意義について口にしたとき、または気が付いたときに〝起憶石〟は光り、記録する。君が何者であるかを」

 例えば、

「例えば今、君は手足を自由に動かしたことに対して《初めて》の感覚だと言った。だとするならば、前世の君は自由に身体を動かせなかった《物》ということになる。それがわかったから、その石は光ったのさ」

「だとしたら私は何者なんですか……?」

「それをこれから探していくのさ。俺と一緒にね。それが俺の仕事。君に色々な質問をし、時には君と色々な会話をする。そうやって君のアイデンティティをより具体的にしていき、〝起憶石〟に保存する」

 仮に目の前の巨乳美少女が《物》だった場合、俺は彼女がどのような用途で使われていたかを探らなければならない。

 それを会話から探るのは、彼女の思想や考え方などに反映されているからだ。

 コーヒーさんは「落ち着かせることが得意な気がするんですけど、ちょっと子どもは苦手……というか避けられるような気がして」ということから万人受けしないものということがわかり、そこから紆余曲折終えたところで《万人受けしないけれど落ち着かせることができる飲み物》に行き着いたそうだ。

 そこまで転生者に思い出させるなり自覚させたりすれば〝起憶石〟も充分なデータを収集し終え、〝コーヒー〟の生産方法や種が〝起憶石〟から抽出できる。

「言っていることは簡単だけど、長丁場になるかも。なんたって君の前世は、俺たちの世界に無い物かもしれないからね」

「さて、じゃあ君の呼び名を決めよう」

「私の名前?」

「そう、君が一番しっくりくる名前を今から決めなきゃいけない」

 名は体を表す。

 名前が直接的な答えになる事例は少ないが、ヒントになったことは過去幾度とある。

 それでは、

「〝ビック〟とか、どう?」

「なぜですか?」

「いや、そのぉ……」

 胸が大きいからですごめんなさい。

「却下……だね……」

「はい」

 名は体を表す。

 その逆もまた然りだ。

 身体的特徴から名前を探ることは間違っていない。

 いいと思ったんだけどなあ。

 ならば、

「君はその身体を手に入れて何をしたい?」

 体が名を表す。

 ある意味で身体表現だ。

 ダンスの考え方に近いかもしれないが、彼女が手に入れた身体で何をしたいのか。そこから考えていくのもありかもしれない。

彼女は何秒か考えた後、手を広げ、それを前に囲うように動かす。

「こう、覆うように包み込みたい……ですかね?」

「お、いいね。そう具体的だと色々わかりやすい。

 じゃあ、それはなぜかな?」

 本当は行動がわかった段階で名前を考えてもよかったのだけれど、理由を訊いても答えれそうだったのでそうした。

「愛……ですかね?」

「なるほど……愛か……」

 愛かー……。

 何とも便利な言葉だ。

 幅が広い。

 それは何に対しての愛なのか。

 家族か。

 恋人か。

 子どもか。

 動物か。

 人類か。

 世界か。

 さあ、どれだ。

 個人的には僕をその胸で包んでほしいけど、無理だな。

 しかし、彼女のしたいことと、その動機がわかった。名前を決める段階に移ろう。

「さて、俺は君にぴったりな名前を思いついた。きっと気に入ってくれるはずだ。

 〝ラヴァー〟。それが君の名前だ。

 君がその身体でしたいと言った覆うように包み込みたい=カヴァーと、愛=ラブをかけてラヴァー。どう?センス良くない?」

 彼女は何度か僕の提案した名前を口にし、何度か首を捻った後、やがて一度頷き、

「それ、いいですね。それでお願いします」

「そうか、それはよかった。今から君のことは〝ラヴァー〟とそう呼ぶね」

 できればすぐ頷いて欲しかったし、彼女──ラヴァー──の「こいつセンス大丈夫か」みたいな眼はたぶん一生忘れない。

 名前を決めたとことで〝起憶石〟が光り、それが収まったところで話題を移す。

「さっき、君は包む行動の動悸を《愛》だと言った。

 それは誰に向けての愛かな?」

 俺がいくつかの対象を上げると彼女は恋人に一番しっくり来たようだ。次に家族。

 つまり、近しい人に向けての《愛》のためにラヴァーは存在することになる。

「愛を証明するため?」

「はい。それが一番正しいことなのかもしれません」

 《愛》を《恋人》や《家族》に証明するため、包み込む。

「なんだろう、蒲団なのかな?蒲団なら既にこの世界にあるのだけど」

「蒲団ではないですね……。あ、けどいつもその近くに私がいたような気がします」

「蒲団の近くにいた……」

 俺はそれをメモする。

「包み込むけど、蒲団ではない……。じゃあ、ベッドやシーツなんかも違うか……」

「それに、それらは別に愛を証明するためにとは限りませんし……」

「それもそうだ」

「俺は恋人への《愛》と家族への《愛》は違うような気がするのだけど、君はどう考える?」

「私も、それは違うと思います。

 だけど、やることは同じ、というか、何かをやった結果生まれてくるものは同じ、というか……。そんな思いがありまして」

「下ネタ?」

「言わせないでください!」

 ラヴァーがドンッと机を叩くと胸が揺れて、僕の心臓はドキッと音をたてた。鼻息が荒くならなくてよかった。

「いや、お互い大人だし気にしない気にしない。あ、けど君は今日生まれたてのゼロ歳か。ハッピーバースデー」

「ありがとうございます……。

 だけど、今のでわかったことがあります。

 私は、新しい命が生まれることを邪魔するような存在だったと思います」

 〝起憶石〟が光る。

「何か、そう。認識的にそれは間違ってないと思います。私は新しい命が生まれることを阻止するための存在」

「けど、それは愛を証明するためなんだろう?」

「はい。私が無いと、愛が無いと。そう相手に認識されるものだったと思います」

「逆に言えば君があると《愛》がある、か……。

 けど、やっぱりおかしい。愛してるからこそ子どもを作りたいと思うものだろう。俺独身だけど。ラヴァーはどう思う?」

「まず、その考えは私もわかります。ですが、新しい命を創らない《愛》もあると思います。それが何かはまだわかりませんけど。……すみません、よくわからないこと言って……」

「いや、いい。君の世界と俺の世界で考え方が違うのかもしれない。俺の世界はそう言う考えで、君の世界はそうではない可能性だって大いにある」

 だけど、こうなってくると俺は予想していたより長丁場になることを覚悟した。彼女の世界の倫理と俺の世界の倫理が違うと、物の使用用途が俺の想像つかないところへ行くからだ。

 何となく行き詰った空気を変えたくて俺はコーヒーを淹れる。

「ラヴァーの世界にコーヒーはあったかい?」

「はい、私は飲んだことないですが……」

「じゃあ、君とコーヒーさんは同じ世界の住人だったのかもしれないっと、おおっと⁉」

 そう、それはたいへん都合のよいことに俺はすッ転んだ。そして天の恵みか、かつてこの何もない世界に転生者の技術を手に入れるための〝起憶石〟を創った神のおかげか、彼女の胸にダイブした。

 さらに幸運なことにラヴァーは俺を跳ね除けるのではなく、そのまま腕で包み込んでくれた。これはひょっとしてひょっとするとワンチャンスあるのかもしれない。

 だけど、喜びと同時に違和感を得る。

 彼女の体温が若干だが遠いのだ。

 何かが隔てていると言ってもいい。

 それを厚さで表すと0.01ミリほど。

 服の厚みではない。

 彼女の手の平と、僕の半そでシャツから伸びた腕とが触れあって感じた体温だ。

 愛を証明するため、包み込む。

 けれど、体温は遠い。

 ラヴァーの前世は愛を証明するため、包み込む。何かと何かを離すため……?

 彼女もそれに気が付いたのか、僕の腕を握ったり撫でたりを繰り返す。

 やはり、遠い。彼女の体温が遠い。触れているはずなのに、直接ではないような。

 〝起憶石〟が光る。強く強く。その光はラヴァーの前世を全て記録したことを示していた。

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