彼女は何の擬人か?

黒姫小旅

彼女は何の擬人か?

 何処にでもある人間の町の繁華街、というように見える。

 しかし、客引きする色っぽい女性の右腕が極彩色の翼に変じて酔客を招き、夜道を行くサラリーマン風の三人組の頭部から立派な鹿角が生えてカランと小気味良く打ち合ったかと思うと溶けるように消えた。

 動物が人間に変わる。日本では『擬人化』という呼び方が普通であるが、かの驚天動地の大事件も年月を経た今となっては時たま起こる珍事くらいにしか思われない程度には人間社会に受け入れられるまでになった。

 人間と化した動物たちはコミュニティを作り、彼らが暮らす地区は『擬人街』と呼ばれるようになった。

 ここはいくつもあるコミュニティでも古株にあたる某県擬人街。夜は深くなり宴もたけなわという言葉が似合いそうな飲み屋通りから視点を裏路地へと移す。

 少女が一人フラフラと歩いている。

 墨を塗ったように黒い肌とつぶらな瞳が印象的な少女で、何故かサイズの合わない男物の服を着ている。。


「ねえカノジョ。こんなとこで何してんの?」


 少女を目に留めて、白髪に細目の軽薄そうな男が行く手を防ぐようにして声をかけてきた。


「オレは〈シマヘビ〉のヤスヒロっていうんだ。キミは〈何〉の人? それとも人間さんかな? お洋服買ってあげようか?」


 たたみかけながら、ヤスヒロなる男の首から上が細長く伸び、人間の肌が縦縞模様の鱗に変化してニョロリとうねった。


「ぅッ……!?」


 いきなり話しかけられて驚いた顔をしていた少女は、頭部だけ蛇と化した男の姿を見て苦しげに額を押さえる。


「あらら、どうしたの?」


 ヤスヒロは人間の顔に戻ると、少女に手を伸ばした。予想外のリアクションに、糸目を丸くして、しかしすぐに笑顔になって少女の肩を抱く。


「具合わりィんだ? 休めるとこ知ってるから、行こうか」


 猫なで声で言いながら路地を歩きだす。少女は頭を抱えて呻くばかりで、促されるままに従うことしかできない。

 ところが、


「待ちねェ」


 投げかけられた声が、二人の足を止めた。いつの間に現れたのか、少し先の暗がりに人影がある。


「おい、小蛇ヤロウ。その娘どうするつもりだい?」


 足音もひそやかに、暗がりから歩み出たのはツバ広帽子を被った男だった。堂々たる足取りだが、帽子の陰に隠れた顔は意外に年若いようにも見える。


「どうって。ちょっと体調がわりィみたいだから、休めるところにつれていこう、ってね」


 チロリ、薄笑いを浮かべた蛇男の口から二股に分かれた舌が空気を探る。

 ヤスヒロの言い分を聞いて、男はチチチと舌を鳴らした。


「なるほどねェ。……けどよ、こっちの方はホテル街だぜ? 休ませるっつって、妙なことする気じゃァねえだろうな」


 男の声に、怖い色がにじんだ。

 ヤスヒロは蛇舌を二度三度と出し入れして、ふと観念したように少女から手を離した。


「ハイハイ、分かりましたよ。おとなしく帰れってんだろ。ったくウッゼーな」


 一触即発かとも思われたが、ヤスヒロは意外なほど素直に背を向けると裏路地の闇へと消えていった。

 残された少女は支えを失い倒れそうになり、男は慌てて駆け寄る。


「っと! 体調がわりィってのは本当みたいだな。お嬢さん、しっかりしな」

「……へ、平気」


 そう言って男の手を断わり、起こした顔の色は、日本人には読みづらいが悪くないようだ。大丈夫というのは嘘ではないと見て、男は助けようとしていた手を下した。


「大丈夫ならいいが……しっかし、若い娘さんがこんなとこ一人歩きたァ関心しねえぜ。最近『蛇胸会』ってぇヤクザが幅を利かせるようになってから、一段と治安が悪くなってやがんだよ。知らなかったのかい?」


 ひとまず安心して説教がましく話し始めた男だったが、聞いているのかいないのか少女の反応は薄い。

 そこでようやく、男は順序を間違えていたことに気付いた。


「おっと、そういやまだ名乗ってなかったな」


 額を打って、その右手を掲げてみせる。

 皮膚の分厚い鍛えられた手の平が、妖術のごとく変形した。音もなく骨格が変わり、指の間の水かきが広がって皮膜の翼を形成。


「あっしは〈アブラコウモリ〉のサマノスケという者でござんす。お見知りおきを」


 バサリ、とコウモリの翼が空気を叩いた途端、少女の顔色が変わった。

 先程と同様に、呻き声を上げて頭を抱える。


「ぅあ……!?」

「おいおい、本当に大丈夫かい?」


 サマノスケが慌てて駆け寄り身体を支えると、少女は苦しげな声で言った。


「――……の」

「あ? 何だって?」


 コウモリの聴覚は並みではない。どんな小声であろうと聞き逃すようなヘマはしない。なのに聞き返したのは、その内容がよく理解できなかったからだ。


「――私って……〈何〉なの?」



   * * *


 とにもかくにも場所が悪い、とサマノスケは判断した。

 少女を連れて移動したのは、裏路地を抜けて少し歩いた先。飲み屋通りの一角にある居酒屋『猪野毛』だ。閉店時間は過ぎているので、無理を言って入れてもらったサマノスケたち二人の他には他に客はいない。


「――それで、サマノスケさん。この娘は一体何者なんです?」

「さァて、あっしにも何とも……」


 熱燗を受取りながら、サマノスケはバイトの女子大生に問いかけられて曖昧な表情を浮かべた。

 彼女はタエ。擬人街では珍しい生まれながらの人間で、近くの獣医科大学に通いながら猪野毛でアルバイトをしている。サマノスケはこの店を贔屓にしており、タエとも顔見知りだ。

 二人が視線を向けるのは隣のテーブル。そこにはサマノスケが拾った色黒の少女が握り飯を片手に野菜炒めを頬張っていた。

 一時は立つこともままならない様子だったが、居酒屋へ向かっている間にいくらか回復したらしく、少女は椅子に座るなり空腹を主張した。適当に料理を運んでもらうと一心不乱に食べだして話しかける機会も見いだせないまま今に至るので、この謎多き人物についてはほとんど何も分からない状態だった。

 数少ない情報といえば、肌の色からアフリカ系の血筋らしいことが分かるくらい。それから、もう一つ。


「自分が元々、何の動物だったのか思い出せねえ、ってことだけだな」


『私は〈何〉なの?』

 繰り返し、少女はそう問いかけていた。記憶が混濁しているらしく、何故あんな裏路地を一人で歩いていたのか、なんてことはもちろん、自身の正体すら定かでない様子だった。

 擬人化が起こった直後には、特に心理的な面から何らかの障害を持つ者が少なくない。急激すぎる変化に、心がついていかないのだ。


「そう……不安でしょうね」


 タエはサマノスケの向かいに腰かけて、哀れむように言った。


「不安、なんてもんじゃねえ。擬人にとっちゃァ、もっと深刻なのさ」


 猪口を傾けながら、サマノスケは厳しい顔で答える。


「あっしらはこの通り、人間のナリで、人間みてえにものを考えるし、話もするし、飲み食いだってしてる。無理をすりゃァ、一時的には獣の姿に戻ることはできるが、……無理をしてる時点で、もはや本性とは言えねえやな」


 日本酒をチビリチビリとやりながら話すコウモリの横顔はどこか寂しげで、タエは口を閉ざして耳を傾ける。


「それでも、やっぱりあっしは獣に生まれたわけで。今のヒト型ってのはどこか違うっつうのかな、獣の方が本当の自分、一番の根っこだって思いがあんのさ。だから、その根源が分からなくなるってのは、自分の全てが消えちうようなもんなんだよ」


 擬人化とは本来、人ならざるものを人間であるかのように表現する技法である。擬人たちは自分たちが『人ならざるもの』であったことこそがアイデンティティなのだ、としてこう自称しているが、もしも人間でなかったころのことを忘れてしまったら? 『人間擬き』であるということ以外に自身を定義するすべがないなど、耐えられるだろうか。


「オウオウオウ! 店じまいだってのに無理やり押し入っといて、辛気臭ェ空気かもしだしてんじゃねえぞ!」


 店の奥から、筋骨隆々とした初老の男性が大皿を手に現れた。猪野毛の店主である。

 店主は肉、野菜、魚貝などの串焼きがいっぱいに盛られた皿をどでんと置いて、少女の頭を荒々しく撫でた。


「事情は聞かせてもらったぜ、お嬢ちゃん。とりあえず今は食いな。遠慮はいらねえ、サマノスケのおごりだ」

「いやいや父つぁん、払うけどよ?」

「そんなにたくさん持って来たって、食べられないですって」


 しんみりした雰囲気が一転した。サマノスケとタエが呆れ顔でたしなめて、


「食べていいの!?」


 少女が目を輝かせた。

 見れば、もう握り飯と野菜炒めを完食している。一人で。皆で食べようと四人前用意したはずなのだが。


「意外と悩んでないんじゃないですか?」

「……い、いや、食欲だけで判断するのは、良くねえぜ?」

 何とも言えない顔をする外野を置き去りに、少女と店主は意気投合している。

「いい食いっぷりじゃねえか。気に入ったぜ!」

「ありがとう。ええと……」

「俺は〈ニホンイノシシ〉のヤキチってんだ。好きに呼びな」


 店主がいかつい顔をニッとゆがめると、強面が数秒ほどイノシシのそれに変化した。豚にも似た鼻の下に立派な二本牙が生えた毛むくじゃ――


「――あッ!?」


 突然、少女が声を上げて串を取り落とした。


「またか! 大丈夫かい!?」

「もう、店長が無理に食べさせるから!」

「馬鹿言うな!? 無理強いはしてねえ。第一、食い物のせいなら頭じゃなくて腹を押さえるだろうが」


 三人が騒ぎながら少女を取り囲む。

 少女は頭痛がするように俯いていたが、ほどなくして顔を上げる。


「…………ごめん、なさい。なんだか、オジサンの顔を見たら急に……」

「もう、店長の顔が怖いから」

「いい加減にしねえと首にすっぞ、小娘が」


 店主とバイトが安心したように軽口を叩き合うが、サマノスケは真剣な表情のまま、少女の顔を覗き込んだ。


「――もしかして、だが、自分が〈何〉か思い出しそうになったのかい?」

「……う、ん?」


 自信なさげではあるが、少女が頷いたのを見て、じゃれていた二人が息を呑む。


「俺の顔を見てってことは、もしかしてお嬢ちゃんの正体はイノシシだったのか?」

「いや、それは違うと思うぜ、父つぁん」


 ヤキチの推測を、サマノスケは即座に否定した。


「あっしもコウモリの翼を見せたんだけどよ、こうバサバサッとな。そん時も、おんなじようなことになったのさ」

「あ、あと、ヘビの人を見たときも、頭いたくなったよ」


 おずおずと少女が付け足すと、店内に沈黙が訪れた。皆、困惑したように顔を見合わせている。

 考えをまとめるように、ヤキチが口を開いた。


「……つまり何か? ヘビとコウモリとイノシシを見て、自分の元を連想した、ってことか?」

「あっしもそう思うが……その三匹ぜんぶと共通点のある動物って、いるのかい?」


 おおよそ共通点など思いつかない三種類。これらの特徴の何がしかを併せ持つとは、いかなる動物が考えられるだろうか。


「例えば、うーん……ドラゴン?」


 というタエ自身もバカらしい発想だと分かっているようだったが、現状で思いつくのは空想上の生き物くらいというのも事実だ。

 一体、この少女は何者なのか。

 結局はその疑問に帰り着き、皆が黙り込んでしまった時だった。

 外が、妙に騒がしい。

 時計を見れば、猪野毛に限らず飲み屋通りの多くが閉店している時間だ。酔っ払いがいつまでもバカ騒ぎしていることは少なからずあることだが、聞こえてくる喧騒はいつものものとはどことなく違うように感じられた。

 ――嫌な予感がする。

 皆は追い立てられるように食器を片付けて店の奥へと引っこもうとしたが、手遅れだった。


「邪魔をする」


 表戸が開かれ、静かながら迫力のある声とともに入ってきたのは壮年の男だ。長身痩躯で金ぴかのアクセサリーを幾つも身に着けた成金趣味。彫りの浅いのっぺり顔だが目だけは異様に大きい。その後ろには数人、若い男ばかりが付き従っているが、そろいもそろって刺々しい雰囲気をまとっている。


「あ、兄貴、あれです。あの黒い方の娘で」


 付き従っていたうち白髪の男が、少女を指さした。裏路地で声をかけてきた男である。確か名前は、ヤスヒロといったか。

 壮年はヤスヒロには一瞥もくれることなく少女を舐めまわすように見つめて、うなずく。


「確かに、間違いないようだな」

「オイオイ、外の札見てなかったのか? もう閉店だ、帰んな」


 少女とタエを守るようサマノスケの方へと押しやりながら、ヤキチが前に出た。大柄なヤキチが凄むとなかなかの威圧感になるが、壮年は眉一つ動かさない。


「自分は〈キングコブラ〉のカズラだ。ここの住人なら、当然知っているな?」

「……あの、サマノスケさん?」

「蛇胸会の若頭だよ。ウワサにゃァ聞いてるが、できれば会いたくなかったぜ」


 小声でタエに説明すると、カズラはその通りだと首肯する。


「単刀直入に言おう。その黒人はうちの関係者だ。引き取りに来た」

「なんだと?」


 少女へと驚愕の視線が集まる。しかし、当の少女も目をパチクリとするばかりで、わけが分からないと言いたげだった。


「擬人化したばかりで、記憶が混乱しているのだろう。後はこちらで何とかするので、引き渡してもらいたい」

「……はいそうですか、ってなるわけねえだろ」


 けんもほろろに、ヤキチは一蹴した。


「逆らうのか?」

「テメエらの言う通りにする義理はねえぜ」

「そうか、なるほど」


 カズラは面倒くさそうにため息をついて、傍らのヤスヒロを睨んだ。


「まったく、お前が最初に見つけた時に連れ帰ってきていたら、こんな手間をかける必要もなかったというのに」

「っ! す、すまねえ、兄貴。ままままさか、あれがそうだったとは思わなかったもんで」


 ヤスヒロは恐々と弁解するが、カズラは目を離した時点でもう聞いておらず、他の男たちに目配せする。


「おい、お前ら」

「へいっ!」


 威勢のいい返事とともに、男たちが前に出た。ヤスヒロを除いた三人、どれも殺気立っている。


「なんだ、ろうってのか?」


 バキバキ、とヤキチは拳を鳴らす。ちょっとした丸太ほどもある両腕が隆々とうねり、今にも暴力を解き放たんと構えを取る。

 ――が、先に動いたのは敵だった。

 向かって左側の男が口を開いたかと思うと、何かの液体を吐きかけた。


「っぐ!?」


 とっさに両手で顔を庇ったヤキチが呻き声を漏らす。

 見れば、液体のかかった個所が赤く腫れているではないか。


「父つぁん、毒だ!」


 毒蛇の中には、水鉄砲のように毒液を噴射することができる種が存在する。

 気付いたサマノスケが叫んで加勢に入った。

 先ほど毒を吐いた左側の男へ、飛ぶような勢いで殴りかかる。毒液による迎撃は、つば広帽を目深に被って防いだ。素肌に触れればカブレるが、目や口に入らなければどうということはないと見て突っ込む。


「へっ、馬鹿が!」


 顔を隠しながらインファイトを挑むサマノスケに、左の男は嘲りを浮かべるが、

 殴ッ!

 目隠し状態とは信じられない正確さで右拳が顔面に入った。


「ッ!?」


 男がよろめいたところへ、返す刀に左フックを見舞い顎を打ち抜いた。


「まず一人、っと」

「背中向けて余裕こいてんじゃねえよッ!」「オレらを忘れてんじゃねえだろうな!」


 あっという間に沈めたサマノスケの背後に、男の仲間が襲い掛かった。だが、

 ――ゆらり

 サマノスケの体躯がゆらめいて、まるで背中に目が付いているかのように適切な動きで二人の間をすり抜ける。


「他の種族は不便だねェ。目で見ねえことには、喧嘩もできやしねえ」


 チチチ、と舌を鳴らしてコウモリは不敵に笑った。

 反響定位エコーロケーション。音の反響で周囲の状況を感知する能力で、これのおかげでコウモリたちは視覚の利かない夕闇の空を昼間同然に飛翔することができる。


「父つぁん、こいつらみんな毒蛇だと考えた方がいいぜ。一噛みもらっただけで命に関わるかもしんねえから、気をつけ――」


 どんがらがっしゃんこ――――ッッッ!!!

 言い終わらないうちに、何か物体が走り抜けて交通事故かと思うような轟音とともに店のテーブルが一脚粉砕された。

 テーブルの残骸に紛れて、男の一人が目を回して倒れている。そのすぐそばでパンパンと埃を叩いているのはヤキチだ。


「……さ、さすがは父つぁん。見事な猪突猛進で」

「無駄口叩いてんじゃねえよ。さっさと残りも片付けるぞ」


 鼻を鳴らして再び突進の構えを取るヤキチに習い、サマノスケも笑みを消す。

 圧倒的な実力差を見せつけられ、立て続けに仲間二人を失った男は青い顔をして後ずさった。


「ま、待て……」


「そうだ、待ってもらおう」


 予想外の方角――サマノスケたちの背後から声がした。


「何ッ!?」


 驚いて振り返る二人の目に飛び込んできたのは少女とタエ、彼女らを壁に押しつけているカズラの姿だった。女性相手とはいえ全力で暴れる二人を、カズラは平然としたままにそれぞれを片手で抑え込んでいる。


「馬鹿な、いつの間に!? どうやってあっしの聴覚を……」

「見えていても――いや聞こえていても、か? 相手に意識されることなく動く技術がある。人間が編み出した技だ。覚えておくといい」


 淡々と話しながら、カズラは無事な男とヤスヒロの二人を呼び寄せ、少女を預けた。


「自分の部下がその娘を連れ帰るまで、そちらの二人は大人しくしていてもらう。抵抗するというのならば、この女が毒牙にかかることとなる」


 そう言って毒液の滴る牙を見せられれば、黙るしかなかった。

 脅しではない。この男ならば実際に、眉一つ動かすことなくタエを噛み殺すことができる。そう思わせるだけの迫力を、カズラは持っていた。


「ぐぬぬ……」「……ちきしょうめ」


 動くことができない二人に気をよくして、ヤスヒロたち子分も調子に乗って嘲笑を浮かべた。


「へっ、大したことねーな」「どうした、悔しかったら来いよ」「ま、手を出した瞬間に女は死ぬだろうけどな」「そうとも。兄貴くらいの大蛇ともなりゃ、たったの一噛みで象だって殺せる量の毒を――」


「バカモノ黙れッ!!」


 カズラが怒鳴った。

 姿を見せてから今まで、少しも顔色を変えることがなかった男が、目に見えて狼狽しながら怒鳴った。


   * * *


 私はずっと考えていた。

 自分が擬人だってことはわかる。もともとは人間じゃない、別の動物だったはずなんだ。

 けれどその先、じゃあ何だったのかが、どうしてもわからない。

 私は必死で考えた。だって、何もわからないっていうことがすごく怖かったから。

 だけど思い出せないまま、怖い男の人たちがやってきた。お兄さんやおじさんがやっつけてくれようとしたけれど、気が付いたら一番怖そうな人がすぐそばにいて、私とお姉さんは捕まってしまった。

 私は、もっともっと怖くなった。これからどこへ連れて行かれるんだろう?

 ううん、違う。本当に怖いのは、みんながひどい目にあわされることだ。三人とも、優しくしてくれた。優しくしてくれたせいで、この人たちは私を連れて行くためにみんなを傷付けるんだ。

 自分が何なのかわからない、っていうのとは怖さの種類がぜんぜんちがった。

 私に向けてくれた優しさが壊される。何も思い出せない私が、やっと持つことができた安心がうばわれる。

 私を連れて行こうとする男の人がイヤな笑い声で何かを言っている。

 ズキリ

 また頭が痛くなった。

 さっきから何度も、頭が割れそうになることがあった。

 始めは、ヘビだっていう怖めの人。ニョロニョロする姿はどこかで見た気がした。

 二度目はコウモリのお兄さん。バサバサする皮の翼は何かに似てるって思った。

 次はイノシシのおじさん。あの顔のどの辺りが気になったんだっけ。

 そして今。この人は言った。『――みで……って』。

 …………――――――――。

 ああ、そうか。

 思い出した。


   * * *


 PAWOOOOOOOOOOOOOMM!!!


 それは何の前触れもなかった。

 どこかに数十人のラッパ隊でも潜んでいたのか、と錯覚するような凄まじい音が鳴り響き、爆風が店内を暴れまわる。


「――……!? な、なな何だァッ!?」


 サマノスケは突然巻き起こった災害に、目を白黒させて立ち上がった。他の面々も同様、周囲に倒れている。爆音で痛めた耳を押さえながら立ち上がり、彼らは目の前にそびえ立つものを見て、口をあんぐり開いて固まった。

 その牙はイノシシにも似て、しかしより太くより長く、鋭くて立派だった。

 その耳は翼のごとく。羽ばたくたびに硬い皮が空気を叩く音が響く。

 そして細く長く、自由自在に動く鼻はヘビにそっくりだ。

 まだ幼いというのに、決して狭いわけではない居酒屋が犬小屋に見えてしまうほどの巨体を表わす名は、間違えようがない。


「――象、か」


 アフリカゾウ。現存する陸上生物最大の称号を冠する獣こそが、あの少女の真の姿であった。


「うぐ……あのバカどもが。せっかく記憶を失っていたのに、不用意に思い出させるような発言をするとは」


 呻きながら、カズラが身を起こす。

 その足元にはタエが横たわっている。気絶しているのか、ピクリとも動かない。

 ――隙あり、だ。


「ぅおらァッ!」

「むっ!」


 サマノスケの飛び蹴りを、カズラは片手で受ける。そこへ、


「がっしゃんこ――――ッッッ!!」


 ヤキチのぶちかまし。しかしこれも、滑るような足さばきで躱され――


 PAWOOOOOOOM!!


 大質量がカズラを襲った。

 アフリカゾウが、窮屈そうにしながら鼻を振るったのだ。

 剛の一撃。

 陸上最大の名にふさわしい面積でもって圧殺するような横薙ぎは、人間の技術で防御あるいは回避できる次元を超えていた。

 狭苦しい店内で満足に動けそうもないのに、その威力はヤキチの全身全霊を込めた突撃を上回る。カズラの痩躯は軽々と吹っ飛んで激突した戸もろとも店外へと姿を消した。


「……こいつァすげぇや」


 読んで字のごとく一撃必殺。

 月並みな感想しか口にできないほど、清々しさすら感じられる一撃だった。


「……う、んん」


 倒れていたタエが、ようやく意識を取り戻して身を起こした。


「い、いったい何が……って、アフリカゾウ!?」


 あんぐり、サマノスケとほとんど同じリアクションをして、一拍遅れて気付く。


「あ、ああ、あれ。もしかしてあの娘? 象だったんですか?」

「おお、そうみてえだな」

「助けてやろうと思ったら、あっしらが逆に助けられちまったなァ」


 怒涛の展開ではあったが、どうやら一件落着、と三人が胸を撫で下ろした時、


 ……PAWOOOOM


 アフリカゾウが弱々しく鳴いて、ゆっくりと壁に寄りかかった――が、支えには弱すぎたらしく壁ごと横向きに倒れる。


「ぬおおお!! 俺の店がアアア!?」

「言ってる場合かよ、父つぁん。――ったく、身体の一部を動物に戻すだけでも無理があるってのに、全身原寸大で戻りゃァぶっ倒れるわな」


 膝から崩れ落ちるヤキチの肩を叩いて、少女の様子を見に行こうとするサマノスケだったが、反響定位で状況を把握して思いとどまった。


「……わりィ、タエちゃん。あの娘のことは任せていいかい? あっしらは、ヤクザどもの掃除をやっとくからよ」

「? はい、分かりました」


 よく分かっていない顔で象が倒れた方へと歩き出すタエに背を向け、サマノスケはそこらに転がっている男たちの回収に向かった。

 間を置かず、アフリカゾウからヒト型へ戻った少女のもとにたどり着いたタエが悲鳴を上げる。


「……まあ、あんだけ巨大化すりゃァ、服が破れて当然だわな」


 生ぬるい笑みを浮かべながら、サマノスケは呟いた。


   * * *


 翌日。

 サマノスケが猪野毛を訪れると、改装工事の真っ最中だった。


「ほう、景気よくやってんな」

「あ、コウモリのお兄さん!」


 工事の様子を眺めていると、あの少女が駆けてきた。どこから仕入れたかちゃんと女物の服を着せてもらっている。動きやすそうな格好でヘルメットを被っているが、大工たちの手伝いでもしていたのだろうか。


「ようお嬢ちゃん。身体の具合はどうだい?」

「うん。いっぱい寝たから、もう元気! 今ね、お店を直してるの!」

「――手伝うって聞かねえんだよ。別にいいって言ったんだがな」


 少女の後からヤキチが歩いてきて、苦笑交じりに言った。

 聞いてみれば、彼女は労働力としてかなり優秀らしい。象の怪力で、大人でも苦労する大荷物を軽々と運んでいるのだとか。昨日のように全力全開ではすぐに倒れてしまうが、最低限にセーブしてもなお凄まじいパワーを発揮しているとのことである。


「父つぁんも元気そうだな。タエちゃんはいないみてえだが、大丈夫かい?」

「ああ、今朝がた通学前に寄ってったがピンピンしてたぜ。店が直り次第、バイトに戻ってくるとさ」

「そいつは何よりだ」


 それから、三人は大工たちに一言断りを入れてから、その辺を歩きながら話すことにした。明るいうちの飲み屋通りは人通りが少なく、落ち着いて話すことができる。


「で、昨日は聞けなかったが、お嬢ちゃんの記憶は戻ったのかい?」


 さっそく、サマノスケは気になっていたことを尋ねると、少女はこくりとうなずいた。


「私ね、動物園で生まれたの」


 と、つっかえることもなく話し出す。

 彼女が生まれて間もなく母象は死に、一頭だけの象として暮らしていた。そんな少し寂しいながらも平和な日々が続いたが、終わりは唐突に訪れた。

 動物園の閉園が決まったのだ。

 当然、少女も動物園にはいられなくなったのだが、どういう取引があったのやら、蛇胸会に引き取られることとなった。

 当時はただの子象でしかなかった少女は人間の言うことに従う以外に何もできず、ヤクザのもとへと運ばれた。

 しかし、ここで予定外の事態が起こった。

 象が擬人化したのだ。

 生憎その後は、記憶が混濁していた期間のことなのであやふやだが、ヤクザの目を盗んで逃げだし、適当な服を見つけ、宛てもなく歩いていたところ例の裏路地までたどり着いたのだという。


「なるほど、ねえ」


 聞き終えて、サマノスケは顎を撫でた。

 ヤクザが何の目的で少女を引き取ったのかは分からない。まさか家で飼うつもりだったか、はたまた、殺して象牙を売ろうとでも考えていたのか。何にしろ、違法なことには違いないと思われるが、昨夜の襲撃が失敗に終わった以上、諦めてもらうことになるだろう。


「これまでのことなんざどうでもいい、とは言わねえが、大事なのはこれからのことだぜ」


 ヤキチが口を挟んだ。


「お嬢ちゃん、これからどうする? あのヤクザがまた手を出してくることは、少なくともすぐにはねえと思うが、不安ならヤツらが追ってこれねえくらい遠くの擬人街へ逃がしてやることもできるぜ。何だったら、お袋さんの生まれ故郷、アフリカへ行くってのもありだ」

「ん? う~ん……」


 少女は真剣に悩んで――どうするか、というよりは、何と言うべきか、で悩んでいるようにも見えた――十分に時間を経た後、サマノスケとヤキチの顔を順番に見て答えた。


「できたら、おじさんやお兄さんたちと、一緒にいたい」


 二人は少し驚いて、それから破顔した。生まれ育った動物園は潰れ、身寄りもない。天涯孤独の身である少女から、それだけの信頼を向けられているというのであれば、光栄なことだった。


「そういうことなら、父つぁんの店がいいや。タエちゃんだって喜ぶだろうし、あっしもよく顔を見せるからいつでも会える」

「ああ、もちろんだ」


 サマノスケが提案し、ヤキチもうなずくと、少女は花のように笑った。

 幸せそうにコロコロと笑って、ふと思い出したように「あ」と声を上げると、早足で数歩先へ行ってからこちらを振り返った。


「あのね、私たいせつなことを忘れてたよ」

「大切なこと?」


 不思議そうに二人が顔を見合わせる中、少女はグッと力むと、可愛らしい顔が変化を起こす。


「私の名前。――〈アフリカゾウ〉のコハルっていいます」


 一瞬だけ象の長鼻を揺らして、少女――コハルは宝物を差し出すような笑顔で名乗った。



【おわり】

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