小噺箱(仮称)
与太郎
紙の夢
僕は、芸術というものがわからない。
有名な画家の絵も、最先端のアートとやらも美しいには美しいと思うがそれっきりだ。名作と言われる小説を読んでも話が面白いことはわかるが描写の美しさだの言葉選びがどうだのということはてんでわからない。音楽などは友達にピアノ・コンサートに連れて行ってもらったこともあるが半分ほどで寝てしまったらしくそれ以降は誘いも来なくなった。
そんな僕だが、一度だけ芸術というものを理解できたことがある。理解というよりは体感したというべきだろうか。それはある一枚の切り絵であった。
その絵のデザインは簡単なもので、サイズもそんなに大きくなく、普通ならば印象に残りにくいような切り絵だった。黒い紙を切り抜いて、一本の木を描いただけの。透かした木の葉、それを支えてしなる枝、地を這いずる根。どれも美しく精巧で、黒一色でもそれが「木」としか呼べないような出来栄えではあるものの、やはりインパクトに欠ける、ただの木の絵である。その絵を描いた人物の名も覚えてはいない。それどころか、正直に言うと先ほど描写した絵の詳細すら正しいかは自信がない。ただそれが木の絵であったこと以外は何もかもがあやふやな記憶なのである。
『紙の夢』それがこの絵の題だった。
絵画においての紙の役割は、ただそこに描かれる世界を受け入れるだけの、自身では何もできない、そんな存在だったはずだ。紙に意思はない、そういうものだ。でも、木の遺骸である紙が、失ってしまった自らの形を夢見ているように、僕にはそう視えてしまった。彼が浴びた光を想起した、と同時に僕が好きだった人の顔を思い出した。彼が根を下ろした地面を想起した、今度は母の手の大きさを思い出した。彼の過去と僕の過去が重なっているかのようにも思えた。単なる僕の妄想だ。それでもその一枚の絵が僕に干渉してきたのだ。
ああ、芸術とはこういうものか。彩るものでなく、思い起こさせるもの。
そのあと僕は、久々に故郷に帰った。好きだった彼女はいなかったし、母の手は思い出の中のものよりも小さかった。その時には既に過去はあの時見た思い出ほど鮮明ではなかった。現実に塗り替えられてしまったからだ。
もう一度あの絵を見たところで感動は戻ってこないだろう。
小噺箱(仮称) 与太郎 @yotaro-san
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