第3話 死を呼ぶ黄金の暗殺ペン
プレゼント用の小さな箱に梱包されていた万年筆は、3年前に一度見た時と変わらず、重厚な、しかし美しい黒の輝きを保っていた。
ドイツの有名ブランドが1960年代に販売していたタイプの中でも、比較的ポピュラーなNo.22という型式――と、母が言っていたことを辛うじて覚えている。
なるほど、たしかにデザインはシンプルで、庶民的とも思えた。装飾らしいものはキャップ先の白い花の紋章ぐらいのものだ。
だが、高級感がないかといえば、そうでもない。父が作家として現役だった頃から使われていたらしく、使用感はあるものの、艶のある漆黒の胴体と、各所に配された小さな黄金のリングのコントラストはずっと眺めていても飽きがこない。
そして何より――
「――おおー……」
嵌合式のキャップを外した途端、俺は思わず感嘆の声を漏らしていた。
きっと何万、何十万、もしかしたら何百万文字もの文字を綴ってきたであろうペン先――たしか”ニブ”という名称だったか――は、どこまでも深い、黄金の輝きを放っていた。
――なんて、綺麗な。
心の底からそう思った。感動したと言ってもいい。
そして、たったそれだけのことで、俺がこの日まで溜め込んでいた鬱屈とした思いと、張り詰めた感覚とが、少しだけ緩和されたのを感じた。
思えば、ここ数年は何を見ても心が負の方向にしか動かなかった。それが、こうもあっさりと。
そして急に、俺は俺自身が恐ろしくなっていた。
凄まじい罪悪感。激しい自己嫌悪。なんて、虚しいことをしようとしていたのか。
「…………憎しみは何も生まない」
『そうだ、その通りだ……フミノリ……』
ふと、優しげな女の声が聞こえた。
前々から自分は心の病にかかり始めているのではと疑っていたが、遂に来るところまで来てしまったのだと自覚した。
俺は決意した。
「何も憎まず、」
『うむ』
「何も恨まず、」
『うむうむ』
「誰にも迷惑かけずひとり静かに死のう……」
『うむうむうむ――おい!』
万年筆が光った。なんか、唐突に、光った。
なんで。
輝く万年筆は、俺の手の内からもがくように脱出すると、宙に投げ出され――更に強烈な発光現象を引き起こす。まぶしかった。
因みに、この時点で咄嗟に俺がイメージしたのは、美女でもなんでもなく、どちらかというと超強力な爆発物である。
あー、爆死かぁ――などとぼんやり思っていたものだ。
そうこう思っている内に発光現象が収まると、黄金の髪とサファイアブルーの瞳を持った美女が顕現していた。
なんとも唐突。雑に過ぎる初登場。
あまりにもあんまりで、俺はたいしたリアクションもとれないまま、美女の頭の上に無遠慮に手を乗せようとした。どうせすり抜けるに決まっていると思ったからだ。
だが、
「ふんっ!」
「あうちっ」
まさかの迎撃を受ける。
透き通るように白く、たおやかな彼女の右手が鞭の如くしなり、俺の右手をうち払っていた。とても痛い。
「この形態の私に、気安く触れるな、フミノリ」
彼女はぷいとそっぽを向き、そのまま流し目で俺を視線の端に捉えている。
なんというか、種族の壁的なヒエラルキーを感じさせられる、冷たい視線が肌に刺さって痛い。
「キミは女性の扱いがなっちゃあいないな」
「――すみません。幻覚にさわれるだなんて思わなくて」
「ふん、まぁよかろう」
この美女型の幻覚、コミュニケーションも可能らしい。
俺はとうとう本格的に気が狂ってしまったのだろう。あまりに追い詰められた結果、自分に都合のいい(少なくとも見た目は)女性を現実に投影しているに違いない。
「素直に謝るところは好感が持てるぞ。フミヒコに似たかな? ふふん、無礼を許すぞ」
都合のいい妄想――の割には、かなり態度がデカい。
ちなみに、フミヒコというのは俺の父親の名だ。
いや、それよりも、
「あの、質問いいすか」
「ん、なにかな、フミノリくん。自殺の方法以外なら相談に乗るぞ。というか、そんなこと訊いたら死んだほうがマシだという目に遭わせる。そして殺す」
殺られる。
「……あの、あなたは、どういう存在なんですかね」
右手に持っていたはずの”アレ”が消えているので、何となく想像がついてしまうのだが、取り敢えず設定の確認をする為に、最もベーシックな質問を投げかけた。
すると、彼女は得意げに胸を張り、対する俺は暗澹とした思いで身構える。
「万年筆の精霊だ」
「万年筆の精霊」
無意識に復唱。
「うむ、万年筆の精霊だ」
万年筆の精霊は、なぜか得意げな表情で、自分が万年筆の精霊であることを肯定する。
万年筆の、精霊。
「……そうか、万年筆の精霊だったんだな……」
急に頭が痛くなってきた。
頭痛薬を探そうと、ちゃぶ台の端に置きっぱなしにしていた錠剤に手を伸ばす。
すると、
「待てぇぃ!」
「あぶんっ」
彼女が猛然と突っ込んできて、俺の身体は彼女の見事なタックルを受けて弾き飛ばされていた。
タンスに頭をぶつけ、軽く逝きかける俺。そんな俺の襟を掴み、グイと容赦なく持ち上げる万年筆の精霊。
「死ぬな! 死んじゃダメだと言ったばかりじゃあないか! そういう死に方、フミヒコの本で見たから分かるんだからな!」
消えかける意識の中、俺は思った。
これが死、か――
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