一緒にいられますように
ペペペチーノ
第1話
人は感情を持つ生き物だ。
そんな言葉をどこかで見たことがある。
感情は大切だ、人間が人間らしくいられる大切な要素だ。それをなくしてはならない、大切にしなくてはならない。
もっともな言葉だ、と俺は思う。けれども、苦しくて苦しくて仕方がないとき、そんな考えなんてくそくらえ――なんて風にも思ってしまうのだ。
妹が死んだ時の夢を見るとき、俺は特にそう思う。
◇
幼馴染は変な奴だ。今風の女子高生の風貌をしていて、高校二年生。俺と同い年。
同い年だからといって別に俺に引っ付いて回ることないだろうに。お節介焼きというか、なんというか。たぶん、弱っている人間を見過ごせないタイプなのだと思う。同情で一緒にいてくれてるんだろうなって、そう思う。
「やあ、よっくん今日は元気そうじゃないか」
学校の放課後、俺は公園のブランコでだべっていた。そんな俺の姿をたまたま見かけたのだろう。幼馴染は自然と俺の隣にあるブランコに腰かけて、そんな一言をかけてきた。
「俺はいつも元気だよ」
「そう? 昨日とか、やけに元気なさそうだったからさ」
そうなんだろうか? 俺が元気なさげなのはいつものことで平常運転。
単純に幼馴染が優しすぎるだけなんだろう。
俺は遠慮がちに笑いながら、なにか自分が元気だとアピールできるものがないか考えてみる。
「なあ、最近俺好きなアーティストの古いCD買ったんだけどさ」
「ふむふむ」
「なんかプリキュアのDVDが入ってたんだよな」
「……文句言ったほうがいいんじゃない?」
だが所詮俺が買ったのは中古品。三百程度で買ったものだし、文句をつけるのもなんだかなあと思って素直にプリキュアをみることにしたのだ。
「面白かった」
「面白かったのか……」
少し引かれた。
「いや、意外と面白いぞ。ヒーローが子供を守って、ピンチに陥って、逆転して敵を倒す。王道って感じでよかった」
美咲も見てみろよ、と彼女の名前を呼ぶ。
彼女は考え込むように俯いた。
「よっくんがプリキュアにハマって布教までしはじめた……」
「違うから!」
幼馴染は俺の反応を見てからからと笑う。
俺はわざとらしくむっとした顔を作って彼女の方を見た。
見つめあう。楽しそうな笑顔とわざとらしく作られた怒り顔。
なんだか馬鹿らしくなって俺は笑ってしまった。それに追従するように彼女も笑う。
「ねえ、楽しいね?」
「俺は楽しくないよ」
「笑ったくせに」
「馬鹿らしくて笑ったんだよ」
「でも楽しかったでしょ?」
「俺は楽しくないよ」
そんなことを言いながらも、自分の頬が吊り上がっていくのを感じていた。わざと自分が元気なんだってアピールするつもりだった。でも、蓋を開けてみればそんな打算めいたことをする必要はなくて、自然に笑わされてしまっていた。
敵わないなあ、と思う。彼女と一緒にいられることはまるで麻薬に浸ってるみたいだなあって。
俺は地を蹴ってブランコを漕ぎ始める。低いところから高いところへ。景色がその度に変わって面白い。
「なあ、やっぱり俺楽しいかもしんない」
「たぶんブランコのせいじゃない?」
「そうかも」
低いところから高いところへ。物事を塗り替えるみたいに、視界が巡る巡る変わる。なにもかも忘れてしまえますようにって、何の不安もなくそう思った。きっとそんなことを思えるのはこの時だけなんだろうけど、それでいいと思った。
ひとしきり笑ってブランコを漕いで、俺たちは休憩する。幼少期に戻ったみたいな時間。とても楽しかった――。
「ねえ、よっくん」
彼女は笑顔のまま言う。どこか仮面を被ったような、薄氷がへばりついたような声音で。
「妹ちゃんのこと、辛い?」
「……」
「忘れられないの?」
妹。たぶん、世間一般的に言えば兄妹間の仲は良い方だった。「陽兄さん陽兄さん」とうざいぐらいにあとをついて回ってきた妹。喧嘩した時は決まって俺が折れていた。機嫌を直してもらうためにプリンを持って行って、「仕方ないから許してやろう」って偉そうに言われたのが癪で、結局持って行ったプリンを目の前で全部平らげたり。
妹が楽しみにしていたお菓子を食べた罰で、一週間俺のおやつを献上することになったり(守らなかったけど)。
思い返してみてもろくな思い出がない。なのになんでこんなにも胸が痛いんだろう?
もう、妹が死んで三年も経つ。不幸な事故にあって死んだ妹はもうこの世にいない。中学一年生になって嬉しそうに制服を見せびらかしてきた妹の姿が記憶にこびりついたまま、俺の妹に対する記憶は止まっている。
――陽兄さん、陽兄さん。
喧嘩して仲直りした後の潤んだ瞳。
――私が意地っ張りでごめんね、いつも先に謝らせてごめんね。
哀れっぽい声で不安げに謝罪する妹の声。
――陽兄さん、大好きだよ。
俺は――囚われてる。代替不可能な大切な絆を喪失して。
手のかかる妹だった。でも悪いことをしたらちゃんと謝る子だった。うっとうしい奴だった。でも一緒にいて気が楽だった。
「ねえ、よっくん」
「なに?」
「私が妹ちゃんの代わりになってあげよっか?」
「……」
「――陽兄さん」
それを聞いて俺は嫌な気持ちになった。
「やめろよ」
「……ごめん」
「おまえ、優しすぎるよ」
俺の言葉にはたぶん、棘が籠ってた。
それを受けて困ったように笑う幼馴染に苛立ちを感じて、いろんな気持ちがないまぜになって。
同情させている気がして、なにも言い返してくれないのが不安で。
「俺なんかと一緒にいないほうがいいよ」
「……そんなことない」
「俺は助けほしいだなんて言ってない」
そんなことを言ってしまって、後悔した。優しい彼女に吐くべき言葉ではなかった。
しかしされども、吐き出してしまった言葉はもう戻せない。口から出てしまった音をもう一度口の中に戻すことはできない。音は空間を伝って彼女の鼓膜を揺らし、取り返しのつかない意味を与えてしまった。
「陽君、ごめん……ごめんね……」
彼女は傷ついている人に関わりすぎてしまっている、と思う。傷ついている人間なんてろくなもんじゃない。それは善意を受けてもそれを返す余裕を持っていない人間たちだ。どん底にいる人間を助けるより、ほんの少し困っている人を助けたほうが恩が返ってくるし、楽だ。
でも俺はそのことを知っているから、彼女に報いたいと思った。
「悪かった、きつい言い方して」
俺は彼女のことをよく知っている。どれだけ優しい奴か、いいやつなのかを知っている。彼女は俺と違って価値のある人間だ。苦悩しすぎずに生きてきて、他人に優しさを与えられる聖人みたいな女の子。俺と違って、まともに生きている。
俺は彼女に優しさを返したかった。
「やっぱり陽兄さんって呼んでみてくれよ」
だから失敗した。
「……陽兄さん?」
「うん、なに?」
「なにさ、呼んで言ったから呼んだだけなんだけど」
彼女が軽く笑って、機嫌が良くなったのがわかった。「陽兄さん」と彼女はもう一度唱える。
それを受けて、なんとなく俺はおどけてしまう。
「……気恥ずかしくないか? いい年して」
「恥ずかしいよ?」
「やっぱりやめませんか」
「なんで急に敬語なのー」
間違ってるって強く思った。妹の代わりなんてない。
なのに俺は代わりを求めてる。誰かに近くにいて欲しいって。
でもなぜだかやけに嬉しそうな彼女を見て止められなかった。
「その呼び方、二人でいる時だけな」
「……うん!」
◇
妹みたいに行動する、と言う幼馴染の決意は固かった。手始めに夏祭りに一緒にいくと彼女は言い張る。こちらの反対意見は聞かない方針らしい。
「ねえ、待った?」
浴衣姿の幼馴染がはにかむように笑った。彼女は今、俺の家の前にいる。一緒に歩いて夏祭りに行こうって約束を律義に守っている。
「別に現地で合流すればいいのに」
「お互いの家がそんなに遠くないんだからそりゃ一緒に行くでしょ。そうでしょ? 陽兄さん?」
「……はいはい」
彼女は俺といるといつも楽しそうにする。こちらをからかうような声音で、こちらの意見を丸め込む。でも不思議と嫌な気持ちにならない。心地よく引っ張られているような、そんな感覚。
でも、彼女は気を使っているんだろうなって思った。無理して笑ってるんだろうなって。
理由はなんとなくわかっている。第一に、彼女は優しすぎる。そしておそらく――。
口を開きかけて――やめる。夏祭り前の楽しい雰囲気を崩したくなかった。彼女が無理して笑うなら、それを本物の笑顔に変えてやりたいと思った。柄にもなく、そんな責任感を感じていた。
「よし、いくぞ!」と俺は拳を突き上げる。
「よし、いくぞー!」と彼女はテンション高めに真似をする。
「俺たち馬鹿っぽくない?」
「青春っぽくていいじゃん。お祭りなんてそんなもんだよ」
「そうっすか」
俺たちは一緒に歩いて夏祭りの会場へと向かう。そこそこ時間がかかったが過ぎる時間はあっという間だった。
熱気を孕んだ人混みを遠巻きに眺める。屋台と屋台と屋台。食べ物と出し物と、いろいろな人々。
夏祭りは賑わっていた。
「ほら、いこ!」
物おじしない彼女は怯むことなく人込みの中に突進。「えー」と気の乗らない声をだしながら俺もついていく。
「ねえ! 射的! 射的ある! やろ!」
「任せろ、魔弾の射手と呼ばれたこの俺が――」
幼馴染は俺の言葉を最後まで聞かずに行ってしまった。
「聞けよ!」
「どうせくだらないこと言ってたんでしょ?」
「そうだけど……」
確かにくだらない。
人混みをかぎ分け、彼女は射的の屋台に行こうとする。しかし、そこは人気の出し物が多い場所。どうしてもうまく進めず、彼女はもみくちゃにされたあとこちらに戻ってきた。
「おかえり」
「射的……」
「……任せろ」
今度は俺が先頭に立って人混みをかぎ分ける。幼馴染がすぐ後ろについてきている。はぐれそうになりそうで、俺は彼女の手を握った。
そうやってなんとかして射的場に辿り着いて、一息つく。
「兄妹らしい冒険だよね」
彼女はいたずらっぽく笑いながら、握られた手をこちらの顔に差し向けてきた。
……俺、幼馴染と手を繋いだのなんて、何年振りだっけ?
少しだけ動揺しながら、気にしないそぶりを見せながら俺は手を離した。離そうとした。
けれども力を抜いた手からは、幼馴染の手が離れていく様子がなくて、疑問に思って俺は言う。
「……あれ、ずっと握ったままにすんの?」
「あ、ごめん」
「握りしめたままでいてもいいのはユーフォ―キャッチャーのアームだけだぞ」
「なにそれ、意味わかんない」
そうして手を離した。
まもなく、射的の順番が回ってくる。屋台のおじさんからかっこいい銃を受け取り、俺は幼馴染に聞いた。
「なにが欲しい?」
「あのぬいぐるみ!」
それは某ネズミのぬいぐるみだった。
「任せろ」
俺は真剣に銃を構え、標的に狙いを定める。ぬいぐるみのサイズは手のひらサイズ。うまく当てればゲットできなくもない。
一発目。弾は気持ちのいい音を立てながらぬいぐるみから逸れていった。
それを見て彼女は言う。
「魔弾の射手、一発目失敗」
「……」
俺の話聞いてないっぽい感じだったのに聞いてたのかよ。
二発目。弾はお菓子にあたり、なんなく商品を手に入れることに成功した。
それを見て彼女は言う。
「魔弾の射手、食い意地が張っている様子」
「……」
「まともに的を狙えない雑魚」
「……いや、今の本気じゃないから」
三発目。外した。
「本気出さないの?」
「うっせえ」
選手交代ということで彼女が銃を握る。一発目でぬいぐるみを台から落とした。
「私の方が魔弾の射手してない?」
「そろそろ後継者が欲しいと思っていたところなんだ」
正直、めちゃくちゃ悔しかった。
ぬいぐるみを手に入れて機嫌よさげな彼女を横目に、俺は手に入れたお菓子を貪り食う。
――花火の音がする。
人の声と、花火の音。それを聞きながら俺たちは夏祭りを満喫した。
その途中、短冊コーナーを見つけ彼女と一緒にそちらに向かう。
「今日七夕だもんね! なんか願い事書いとこ!」
夏祭りのイベントの一環というわけか、丁寧にも笹竹の近くには短冊とペンと、それを書くための台がある。
二人で並びながら短冊に願い事を書く。といっても願い事なんてそうそう思いつくものではなく、俺はうなる羽目になった。
なので幼馴染がなにを書いているのかを覗こうとしてみる。
「ちょっと! 見ないでよ変態!」
見せてもらえなかった。
まあいっか、と思う。適当なことを書いておこう。
だがいざ書こうとすると、せっかく願い事をするのにくだらないことを書くのはもったいない気もして、結局ペンが止まった。どうせ書くだけならタダなのだから、間違って神様がこの願い事を叶えてくれる可能性も考えたほうがいい気もする。
『妹』と書いてすぐに紙をくしゃくしゃにした。……俺は馬鹿なことを考えてる。
結局『幸せになれますように』と当たり障りのないことを書くに留めた。
無難で普通の願いだろう。でも書いた後でそこまで幸せになりたくないなあ、なんてことを思ってしまった。なにかに対する罪悪感。
「ねえねえ、陽兄さん!」
びくりと反応しながら、声の方を見る。幼馴染がニコニコしながら短冊を持っている。ババ抜きでもしそうな持ち方だ。ざっと五枚ぐらいある。
「願いごとのみせあいっこしようよ!」
「俺一枚しか書いてないよ」
「いいのいいの!」
さっと俺の書いた短冊を奪い、にこやかに眺める彼女。しかし、その表情はすぐに不満げなものとなった。
「……つまんないね」
「悪かったな」
そう言いながら幼馴染の短冊を奪おうとする。
「だめ! そっちが一枚だったからこっちも一枚しか見せない!」
「えー、別にいいじゃん」
「だめー、不公平だもん!」
そこまで言うのならと、素直に一枚だけを引く。
『百億円欲しい』
結構つまんない内容だった。
「俗物的だな」
「お金欲しいじゃん」
それもそうかもしれない。
その時、突然夏祭りの光が消えた。
何事かと思う。あたりは一面闇色景色。明かりはない。……停電?
「陽君」
『陽兄さん』と呼ばずに、幼馴染は俺のことをそう呼んだ。彷徨うように動く手の影がこちらに伸びてくる。探している手。
俺はそれに対して奇妙な罪悪感を抱えながら手を伸ばした。暖かい幼馴染の手。
手と手が触れあって、ドギマギする。闇色の景色はどこか人間を恐ろしい気分にさせるようだった。それでも俺は彼女の手に触れて、今の状況に温かさを感じてしまっていた。
――罪悪感。
「大丈夫?」と俺は必死になって言う。なにかを埋め合わせるような行為が強迫観念を駆り立てる。ほんとうにこれでいいのかって思ってしまう。
「……うん」
手を取り合って、一緒にしゃがんで。
この闇が晴れるのを待った。その時、紙切れが地べたに落ちているのを見つけた。なんにも考えずに、それをポケットの中にいれた。いや、それがなんなのか、本当はわかっていたのかもしれない。
――願い事が書かれた紙。
まもなく、夏祭りの火は再燃する。ぱっと明かりがついていって、人々の安堵の吐息が共鳴して木霊する。もうなにも怖いものはなかった。みんな安心していた。
でも俺だけはたぶん、不安がってた。
大丈夫? と幼馴染が俺に聞いてくる。
「大丈夫? もう帰ろっか?」
「……ああ、そうしようか」
俺たちはちゃんと夏祭りを満喫した。キリ自体はいい。
いつの間にか繋いだままになってしまっていた手を引きながら、幼馴染を引っ張っていく。
家路につく。人の群れから離れていく。静かな道を俺たちは渡り、二人きりへ。
「ねえ、今日楽しかったね」
「ああ、そうだな」
「これからも私たち、疑似的な兄妹としてやっていけそうだね」
でもそれで彼女はいいんだろうか?
でもそれで俺はいいんだろうか?
よくわからなかった。
彼女の方を見る。幼馴染は微笑んでいた。楽しそうとか悲しそうとかは一切なしに、ただただ微笑んでいた。たぶん、俺を安心させるためだった。
「ありがとな。一緒にいてすごい気楽だ」
幼馴染に気を使ってそんなことを言う。
夏祭りの前、俺は彼女の偽物の笑顔を本物に変えたい思っていた。俺なりに本気で決意したことだった。でも、今の状況はどうなんだろう?
決意が叶ったとは思い難かった。
「陽兄さんは私を妹としてみてくれてる? 少しでも辛いのが消えたりしてる?」
「ああ……もちろんだよ。お前がいてくれてよかった」
間違ってるって強く思った。
きっとずるずるとこの関係が続いて行ってしまうんだろうなって思った。俺たちはお互いのことを大切に想いすぎている。相手に気を使って、傷つかないようにしようとしすぎてる。
だからきっと、俺は彼女に犠牲を強い続けてしまうのだろう。彼女は優しすぎるから、ずっとその状態が続いてしまうのだろう。
「陽兄さん」
幼馴染が甘えるように腕に頭をこすりつけてくる。それはかつての出来事の再現。妹が甘えてきた時と同じ動作。
なんだか泣きたいような気分に陥って、俺は彼女の頭を撫でた。
ごめん、ごめんって心の中で繰り返した。
そうして、分かれ道に着く。ここから先は別の家路。もうお別れの時だった。
「陽兄さん」と幼馴染が呟く。
手を握りしめたまま、必死に懇願するように。
「私、陽兄さんを一人にしないから」
「……」
「辛いときは一緒にいるから、頼ってくれていいから。……一人で泣かなくても、いいから」
やっぱりな、と思った。
俺は……なんだか辛くなって、一人公園で泣き出したことがある。誰にも見られていないつもりだった。ここなら大丈夫だって、一人で膝を抱えてた。
……でも、見られてたんだ。
だから幼馴染はこんなにも俺に構う。
ありがとうもなにもかもを言えずに、俺は立ち尽くしていた。いつの間にか固くつないでいたはずのてのひらは消えていて、俺の手の内には空虚だけが残った。
本当にこれでいいのだろうか。幼馴染を見送っていいのだろうか。
でも、俺にできることなんてなにもない。
だから俺はなにもしなかった。なにもできなかった。
幼馴染に背を向けて、ポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出す。
あのとき闇の中で拾った紙。それは短冊だった。
『陽君と一緒に幸せになれますように』
「……ああっ!」
とっくにくしゃくしゃになっていた短冊をさらに強く握りしめた。
俺は振り返って遠ざかっていく幼馴染の背を見つめた。そして――。
「待てよ!」
走った。必死になって無我夢中で、彼女の肩に手をかけた。不思議そうな顔をする彼女をそのままに、両の手で強く彼女の肩を掴んだ。
「こんなこと……やめよう」
「……え?」
傷ついたような表情。私じゃ無理だったのかって、代わりにはなれなかったのかって不安がってるのが俺にはよくわかった。
でも違う、そういうことじゃない。
「俺は嫌だ、お前が妹の代わりをするなんて嫌だ! お前はお前のままでいろよ! そうしじゃないと、絶対に嫌だからな!」
「……陽君?」
「俺はそのままのお前でいて欲しんだよ!」
彼女と一緒にいることは気が楽だった。妹のふりをしているときよりも、彼女そのものと喋っている方が楽しかった。
一緒にいて自然に笑えてしまう、そんな彼女のままでいてくれることが俺の望みだった。
「だから! ……だから妹の代わりなんてやめて欲しいんだ。俺はお前と一緒にいられることが幸せなんだ」
ブランコを一緒に漕いでいる。彼女は俺をからかい、俺はおどける。
「妹なんかじゃなく、お前はお前のままで俺の傍にいてくれ」
告白紛いの叫びを受けて彼女は――彼女は、泣き出してしまった。
だめだよ、と彼女は言う。
「私なんかじゃダメだよ。ダメなんだよ。私、最低だから。落ち込んでる陽君を見てチャンスだって思っちゃったんだから、妹の役割をして陽君の傍にいられることを、喜んでたんだから」
私、陽君にふさわしくないよ。
「私、卑怯だよ。こんなのよくないって思いながらも陽君の弱っているところにつけこんだ。陽君は優しいから断らなかった」
最低だ、最低だ……。
そうやってさめざめと泣く彼女を俺は思い切り抱きしめる。
心拍数が上がる、もう戻れないって思った。
「それがなんだっていうんだよ」
俺は彼女のことが大切で、彼女の優しさを知っている。
彼女が卑怯だとしても、彼女が俺を慰めようとしてくれた事実は変わらない。
ずっと昔から、そういうやつだった。
「そもそも、お前は妹扱いされることに傷ついてたじゃないか」
喜んでたっていったって、彼女は身を削ってた。違う人物として求められることに苦しさと切なさを感じて、それでも俺の傍にいようとしてくれた。
「俺、お前の優しさを知ってるから。傷つきながらも俺の傍にいてくれようとしたことを知ってるから」
「でもそれは私が陽君のことを……」
最後まで言わせなかった。俺は彼女の濡れた頬を手で引き寄せ、自分の顔に近づけた。
鼻先と鼻先がこつんとあたる、彼女はなにも喋れない。
この疑似的な兄妹関係は、おそろく傷のなめあいのようなものだった。でも、それは嫌だったから、だから俺は変えようとした。
変える必要があった。だから、行動と言葉で示す必要がある。そう思った。
「俺、お前と一緒に幸せになりたい」
「……」
「なあ、好きだよ」
彼女はさめざめと泣いている。嗚咽を堪える苦しそうな声音が闇夜に響く。
俺は彼女を幸せにしてやりたかった。
偽物の笑顔なんて欲しくなかった。
だから――。
キスをする。
抵抗なんてさせずに、キスをする。
彼女の涙は増すばかりだった。でも、幸せそうな顔を見せてくれた。
一緒にいられますように ペペペチーノ @Yasufami
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